第七話 ケーテオ町雪揺れ被害
学校の生徒向けの寮を建設している内に秋が過ぎて冬を迎えた。
男子寮、女子寮の二つを第二の枝の空中回廊に建て終えた俺は、降りしきる雪を眺めながら事務所でのんびりとお茶を飲んでいた。
冬は建設オフシーズンである。雪が降るため、工事ができないのだ。
学校の敷地内に建設する予定の図書館は春頃からの建設になるだろう。すでに設計図もできている。
「アマネ、ちょっと手伝って」
「うん、いま行く」
リシェイに呼ばれて、ダイニングキッチンから事務室に顔を出す。
ついさっきまでなかったはずの書類がいくつか、リシェイの机の上に載っていた。
「なんの書類?」
「ケーテオ町のある枝と、旧キダト村の向こうの枝に橋を架けてほしいって嘆願書よ。それから、雲中ノ層にもう一本枝が欲しい、とも」
「また唐突だな」
一気に橋を三本も架けるような資金――あるんだけどさ。
「ケーテオ町のある枝はともかく、他の枝に関しては現状、橋を架ける意味がないと思うな」
リシェイの机の上から嘆願書を拾い上げて、目を通す。
嘆願書によれば、ケーテオ町などと橋を繋げることで行き来を楽にしてほしいらしい。
ケーテオ町からの観光客はかなり多い。人口過密で苦しむケーテオ町の住人には、観光地であるタカクス都市で羽を伸ばしたいと考える人が多いのだろう。
ケーテオ町のある枝との行き来を楽にできれば、観光客の増加も見込める。
「いまはケーテオ町との行き来に一日掛かるんだよな」
「コヨウ車を出せばもっと早く着くけれど、徒歩だと一日くらいね。第二の枝を北に進んで、木籠を使って枝を移った後、しばらく歩くことになるわ。木籠にコヨウ車は乗せられないから、行商人が使う道は第三の枝を南に進んで、カッテラ都市へ、カッテラ都市の中の枝を渡って少し北へ行った後、架けられている橋を渡って、また北に進めば到着」
カッテラ都市にある枝とケーテオ町の枝は別の枝だけれど、双方の交流事業で架けられた橋がある。この橋は双方の共有財産として管理されており、一般にも開放されている。
ケーテオ町との間にコヨウ車が渡れる橋を架けられれば、交通機関としてコヨウ車を使用し、タカクスとケーテオ町を直接行き来できる。木籠でコヨウ車を乗り捨てなくていいから、観光客はタクシーみたいなことをして小銭を稼いでいる行商人を捕まえやすくなるだろう。
「ケーテオ町にも連絡取らないといけないかな」
「人口過密をいくらか緩和できるかもしれないから、歓迎されるとは思うけれど、連絡した方がいいでしょうね」
今のタカクスは空中市場もあって便利になっている。そのため、周囲の村や町と不用意につなげると人口を吸い上げてしまいかねない。ケーテオ町ならともかく、その周辺の村に影響が出るかもしれないと考えると――
「いま橋を架けるのはまずいかもな」
「新興の村の問題よね。いよいよ危ないという話だし」
ずっと危ない、危ないと言われていたのもあって、やっとか、と思う元日本人の俺と、この世界の時間感覚で言えば案外早かったな、と思う世界樹人の俺とが心の中でせめぎ合ってる。
「周辺の村や町の体力を削りかねないから、橋架けはしないってことで、決まりだな」
「そうね。けれど、雲中ノ層の枝に関しては考える余地があるわ」
そう言って、リシェイが一枚の申請書を引っ張り出してくる。
受け取ってみると、ケーテオ町に本店を置く老舗の薬屋からだった。
「タカクスに倉庫と研究施設を作りたい?」
申請書には、タカクスに薬の保管を行う倉庫と様々な薬の研究と開発を行う施設を作りたいと書かれていた。
設計図なども添付されている。おそらく、ケーテオ町の古参の建築家がデザインしたものだろう。
「なるほど。これはケーテオ町には建てられないよなぁ」
最下層に薬品倉庫、その上に陰性植物に分類される薬草の畑を三層、そのさらに上に薬品の研究施設を三階建て、さらにその上に陽性の薬草園を作り、雲中ノ層の枝に到達する。
高層ビルかと。
しかも、設計図を描いたのが建築家である以上、これは資格の問題で建設許可を出せない。建築家資格が許す建物の中に、直上の枝に上がれる高さの建築物は入っていないのだ。
「あくまで叩き台かな。薬屋との協議でこのレイアウトまで固めたけれど、建設する際には建橋家の俺とさらにすり合わせを行って設計し直さないといけないのか」
「建設資金は薬屋が出すそうよ。この建物が完成すれば、第二の枝の高層化が一段と進むし、橋を架けずに雲中ノ層の枝をもう一本所有できる」
「魅力的ではあるな」
タダで雲中ノ層の枝をもう一本だ。当たりくじのアイスみたい。
しかも、薬品の研究所と倉庫付きとはね。
俺はリシェイの横に椅子をもってきて、座る。
「重量の問題もあってケーテオ町だと建設許可が下りなかったのか?」
まず間違いないだろうな、と思いつつ、確認する。
リシェイは机の横のファイルから封筒を取り出した。
「経緯の書かれた手紙が入ってるわ。読んでみて」
「どれどれ」
中身を見てみると、この建築物そのものの重量もさることながら、使用する事になる水の分量を考えた場合、現在人口過密が問題になっているケーテオ町では建てられないと書かれていた。仮に建設に踏み切った場合、高確率で渇水に陥るそうだ。
「となると、雲中ノ層の枝には施設の建設に先んじて取水場か貯水槽を整備する必要があるな」
「貯水槽の方がいいと思うわ。取水場だと必要量を安定して賄えるかどうかわからないもの」
「了解」
この場合、貯水槽の整備はタカクス都市主導で行った方がいいだろう。今後、雲中の層に住宅地が発展した場合。貯水槽の権利関係で揉めるような事態にはしたくない。
手紙を読み進めてみる。
研究施設で作る薬はケーテオ町で消費する形になるのかと思っていたけれど、どうやら輸出用らしい。
カッテラ都市は薬の出来不出来や薬草の生育に煙の影響が出る可能性を考え、薬品をもっぱら輸入に頼っている。
カッテラ都市にほど近く、周辺の村や町からのアクセスも容易で、観光客が出入りするため傷病対策が必須のタカクスであれば、薬の生産地として的確であるという判断のようだ。
タカクスに生産拠点を作ればケーテオ町からの輸送費を削減できるという狙いがあるのだろう。
「リシェイ、タカクスにおける薬品の消費量なんかの資料は?」
「はい、これ」
さっと手渡された資料を見てみる。
水生の薬草を用いる薬の類はビューテラーム、キノコなどを原料とする薬はヨーインズリーが産地として有名だし、タカクスでもいくらかはこの二つの摩天楼から輸入している。
ケーテオ産の薬に関しては地植えの薬草を主とした薬だ。軟膏などを作る際に混ぜる物が多い。
「輸送費が上乗せされてこの価格なんだよな。削減されたらどうなる?」
「ケーテオ町からの薬品に関してはそこまで値は下がらないわ」
リシェイは資料をぺらぺらめくって続ける。
「ただ、タカクスに薬品の生産拠点を作る事で、周辺の村や町の薬品の価格は下がるでしょうね。道が整備されているのが大きいわ」
「タカクスから直接行けなくても、カッテラ都市を経由すればかなりの範囲にコヨウ車で運べるもんな」
タカクスもカッテラ都市との間に崖が存在したけれど、ヘッジウェイ町と共同して作った道路のおかげで移動時間が大幅に短縮された経緯がある。
「周辺の村や町に対するちょっとした慈善事業と考えればいいかな?」
「薬そのものに関してはそうね。けれど、タカクス都市の利益は雲中ノ層へ続く高層建築物で十分よ」
雲中ノ層へ橋を架ける手間が省けるのだから、大きなメリットだ。下世話な話だけれど、金額に換算すれば玉貨三十枚以上の価値になる。
元々、こちらにデメリットのある話でもないし、前向きに検討するべきか。
「よし、この話を受けてみよう。ただ、図書館の建設もあるから職人が足りない。ケーテオ町から派遣してもらう形で話を纏めたいところだな」
「ケーテオ町との交渉次第ね」
リシェイとケーテオ町に出す条件を話し合っている内に喉が渇いたため、俺はリシェイを誘ってダイニングキッチンへ移動する。
リシェイの活躍により最近種類が増えてきたブレンドハーブティーから甘い香りが特徴的な物を選ぶ。デザインを悩んでにっちもさっちもいかなくなった時に温かくして飲むとほっと一息吐いて前向きに取り組めるようになる品だ。
お湯を沸かしながら、リシェイが窓の外を見る。
「降るわね」
俺もつられて窓の外に目を向ければ、雪の勢いが増していた。
最近はこんな天気ばっかりだ。
「今年はずいぶん降るよな。雪かきを徹底するように呼び掛けてるけど、こうも何度も降られるとやる気が――」
なくなる、そう言いかけた時だった。
ゴウゴウと、何かが落下する大きな音が第二の枝の方角から轟いてきたのは。
「……今の音、もしかして雪崩れかしら?」
リシェイがお湯の入った鉄の薬缶を安定したところに置いて、俺を見る。
すでに立ち上がっていた俺はリシェイに頷きかける。
「リシェイは事務所に待機。俺は第二の枝の様子を見てくる」
「気を付けてね」
リシェイに送り出された俺は、まっすぐに第二の枝を目指す。
「見た感じ、被害はなさそうだな」
遠目から第二の枝の様子を眺めつつ、足を速める。
矢羽橋を渡って第二の枝に到着すると、住宅街の住民たちが建物から出てきていた。
大きな混乱は見られない。
「あ、市長!」
パタパタと駆け寄ってきた商店通りの住人に片手を挙げて挨拶する。
「大きな音が聞こえてきたから来てみたんだけど、雪崩れかな?」
「まだ被害状況はよく分からないです」
「揺れはあった?」
「いえ、まったく」
それは妙だな。
あれだけの音がした以上、雲中ノ層から大量の雪が降ってきて雲下ノ層の枝に直撃したとみるべきだ。
別の枝に落ちたのだろうか。
「――まさか!」
一瞬嫌な想像が過ぎり、確認するため俺は大急ぎで階段を上がり、完成したばかりの学校へ向かう。
現状、第二の枝で最も高い位置にある学校の二階から、俺は隣の枝、ケーテオ町の乗っている枝を見た。
「……まじか」
ケーテオ町のある枝の上から雪がごっそりとなくなっていた。
おそらく、雲中ノ層から雪が降ってきて枝に直撃、さらに枝の上に積もっていた雪ごとまとめて樹下へと雪崩れたのだ。
ここからでは距離があるためケーテオ町の様子までは分からないけれど、枝はかなり揺れたはずである。
俺はすぐに学校を出て、事務所に向かった。
ケーテオ町の被害状況が分かったのはそれから二日後の事だった。
リシェイ、メルミー、テテンと共に事務所のテーブルを囲んで、調査に向かわせた魔虫狩人がケーテオ町長から預かってきたという報告書を読む。
「報告によると、建物の倒壊が起きたみたい。火事もあったらしくて、三軒が全焼、二軒が半焼。問題は、畑よ」
リシェイが報告書を読んで顔をしかめる。
「土が一部、樹下へと雪崩れ落ちたわ。上からの雪に巻き込まれたみたい」
「規模は?」
「そこまでは分からないからこその、一部、と言う表記みたいね。畑の上には雪崩れ落ちなかった雪がまだ残ってるみたいで、一度雪かきをしないと被害状況が分からないそうよ」
土は高価な必需品だ。流出規模次第では畑の面積を減らすことになり、ケーテオ町の食品自給率が下がる。
ただでさえ人口過密だというのに、食糧自給率の低下は大問題になるだろう。
「空中回廊などの被害は?」
「火事の影響で空中回廊の一部区画からは避難。現在、その区画に住んでいた三十五人が公民館へ避難しているそうよ。倒壊した建物、倒壊の危険性がある建物に住んでいた住人は七百人、公民館の他、宿に分散してもらって、親族がいる場合はその家へ避難してもらってるみたい」
「人的被害は?」
「死者三名、怪我人が四十二名。うち重傷患者が七名。行方不明者は二人。畑の方に向かったとの目撃証言があるらしくて、総出で捜索にあたってるそうよ」
頭が痛くなるような大災害だ。
メルミーも痛ましげな顔をしつつ、リシェイに問う。
「ケーテオ町の施設の被害はどうなってるの?」
「湯屋が稼働停止で点検中。診療所は満員で医者も足りてない。薬品や包帯は足りているみたいだけど、食糧庫が倒壊したせいで食糧支援が必要みたい」
「テテン、公民館の共用倉庫の在庫一覧を出してくれ」
「……わかった」
テテンが立ち上がってリシェイの事務机の横からファイルを引っ張り出す。
「食糧支援と、医者の派遣が第一だな。ケーテオ町との間に木籠を設置して、間に合わせの食料を送ろう。後はカッテラ都市に連絡して日持ちのする物を送る。タカクス公民館を避難民の受け入れ先として活用する旨の伝達、宿にも協力を取り付ける。あと、備品が少し足りないのが気になるが、学校の男子、女子寮も開放する」
「三百人くらいまで受け入れられる態勢を早急に整えるわ。食料品や衣類の問題もあるけれど」
俺たちは相談しつつ、ケーテオ町への支援に向けて動き出した。




