第三話 教師探し
当初の予想に反して、ローザス一座の座長レイワンさんは芸事を教える事に好意的な意見をくれた。
「未来の団員確保にもつなげることができますので、ご協力いたします。しかしながら、基礎教育課程に組み込むのでは、やる気のある生徒を確保できないでしょう。養成校という形にしたいところですが、それであれば我がローザス一座に入団してもらえばいいだけの話。何しろ博打のような稼業ですから、退団した後でも職に困らぬように複合的に学ぶことのできる養成校を設立していただければ、ご協力いたしましょう」
「難しい注文ですね」
「なに、大したことではございませんよ。遺伝の研究など、タカクス都市主導の事業に参加できるような知識を学べるようにすればよいのです」
それをやるわけにいかないから困っているんだけどね。
教師役ができそうなマルクトやラッツェは各自の事業に手一杯だ。オーバーワークは頼めない。
それに、遺伝子だけで授業するのはなかなか難しい。遺伝子操作なんてできないのだ。RNAの存在さえこの世界では知られていないし、俺自身も前世の高校で習った程度の知識しかない。人様に教えるなんてとても無理だ。
だから、おそらくは他所の町や村が教えてほしいだろう遺伝学を応用した品種改良についての授業を行う事になる。農業なり畜産なりの複合的な知識まで持っている研究者なんて、片手で数えられる程度しかいないのだから、授業なんてできるはずもない。
すでにタカクスの野菜類はシンクに続いてブランド化しているから売り上げは安定しているし、教師役さえ見つかれば授業しても経営に影響はないんだけど。
「どうしたもんかなぁ」
悩みながら学校の設計図を描いていた時の事。
「――アマネ、マルクトさんのところの奥さんが話があると言ってるわ」
「奥さんの方?」
「そうよ」
珍しい事もあるわよね、とリシェイも首をかしげている。
おっとりといつもニコニコ笑顔でマルクトの側にいるイメージしか湧かない娘だけど、一体どんな用件で訪ねてきたのだろうか。
俺は設計図をそのままにして、作業部屋を出た。
すぐ隣の応接室に入ると、マルクトの奥さんがニコニコしながらお茶を飲んでいる。
「あ、市長、遺伝学の教師をお探しとの事で、お訪ねしました」
マルクトの奥さんは笑顔を崩さずに続ける。
「日中だけでよければ立候補したいのですが、いかがでしょうか?」
「元々、学校の授業は日中だけの予定だけど、遺伝学を応用した農業の授業を行うのよ? 教えられるの?」
リシェイが困惑気味に訊ねる。
けれど、俺はなんとなく読めた気がした。
「マルクトから話を聞いて、ある程度理解してるのか?」
「はい。あの人ったらいつも色々と話をしてくれるので、いつの間にか意見を言い合えるくらいになりました」
マルクトだもんなぁ。家の中でも四六時中ランム鳥の遺伝子実験の話をしてそうな気がする。
最近はランム鳥の餌に用いる飼料用トウムの収量増大を目標とした品種改良計画なんて企画書を出してきていたはずだ。
「ちょっと試験をしてみようか」
実際の授業では教科書を使うけれど、きちんと内容を理解していないと生徒の質問に答えられない。生徒の理解度を計るための試験として考えておいた問題がいくつかあるから、解いてもらう事にしよう。
作業部屋から問題集を持ってくる。学校の設計をしている合間に書いていたものだ。
「それじゃあ、始めて」
試験時間は一時間でいいかな。本当は遺伝関係の小論文作成とかさせたいけど、後回しだ。
マルクトの奥さんの試験監督をリシェイに任せて、俺は学校の設計に戻る。
生徒の通学距離を考えると、学校の建設場所は第一の枝が望ましい。孤児院は同じ枝にあるし、住宅区のある第二の枝の隣という立地条件に加えてカルクさんの治療院も近い。
古参住人の住居を雲中ノ層に移している今ならば、荷重限界の問題もクリアできる。
問題があるとすれば、結婚式が頻繁に行われる教会が同じ枝にある事だろう。
第二の枝に作る手もある。
治療院から離れる事にはなるけれど、保健室を作って旧キダト村から医者を出してもらえば手が足りるだろう。
ただし、まだ支え枝が完成していないため限界荷重量の問題がある。さらに、建設用地が足りないため確実に空中学校になる。
それでも、
「第二の枝が妥当かな」
教会の結婚事業に影響が出る配置だけは避けたい。
さて、空中学校の設計に取り掛かろう。
まずは部屋の数をそれぞれ決めないといけない。
基礎教育課程の子供たち用に六つの大部屋。この世界では学年なんて存在しないそうだから、理解度に合わせて部屋を分ける事が出来ればいい。
基礎教育課程に実験などはないため、この大部屋六つだけで授業は事足りる。
専門的な知識が学びたければ卒業後に専門の養成校に通うか、職人などの下で修業すればいい。
俺は村育ちで学校教育を受けたことはない。いわゆる直接弟子入り組だ。読み書き計算を師匠に教えてもらったりする。
前世知識とじっちゃんの教育ですっ飛ばしたけど。
基礎教育課程に通う子供のために寮も必要になるだろう。
「寮かぁ。寮監も探さないといけないな。門限に厳しい、怒らせると怖い人っていたかな」
二百人からの大所帯だし、寮や食堂は大きなものになる。ひとまず後回しにして、遺伝学、農学、芸事を教える養成校の方を進めておこう。
まずは用途別に教える座学用の教室が三つ。遺伝学用の実験棟、農学用の試験農場、芸事用の簡易劇場ホールが必要になる。
座学用の教室はともかく、他の三つはかなり幅を取ることになるかな。簡易劇場ホールは騒音の問題も発生しかねない。
前世でも、吹奏楽部が大会を間近に控えていると朝から周辺住民に演奏を聞かせていたくらいだ。むろん、不可抗力なのだけど、中学校の近くに住む友人は「今年の吹奏楽部は熱が入ってるなぁ」とか呟いていたものである。
壁を厚くするなどで対策は取れるけれど、風通しの問題もある。どうしたものやら。
農学の試験農場はすでに第二の枝にある実験農場での実習と観察を取り入れて活用すれば、新たに作る必要はないだろう。
遺伝学用の実験棟は数年単位で生徒に教えていくことになる。花粉の飛散を防ぐ必要があるため、実験グループごとに部屋を区分けしたり、生徒の衣服に付いた花粉の除去ができるように洗浄室を設けるなどするから、学校の中では寮に次ぐ大きさとなりそうだ。
「第二の枝の地図は――これだな」
元々商店通りまでの空中回廊を整備する予定だったから真新しい資料があって助かる。
地図を広げて学校の建設予定地を考える。
「実験農場の近くにするか」
ではお楽しみの外観イメージを――
「アマネ、試験が終わったわ」
「いまいく」
良い所だったんだけど、後のお楽しみにしておこう。
応接室に戻ると、マルクトの奥さんが笑顔を浮かべてお茶を飲んでいた。酷くデジャブを感じる光景に、机の上の答案用紙という差異を見つけてほっとする。
採点してみると、基礎的な知識に関しては満点なだけでなく、ランム鳥の遺伝の優劣なども暗記していると分かった。即戦力レベルだ。
「驚いたな。タコウカとかの遺伝形質は覚えていないのか、知らないのか、どっち?」
「申し訳ありませんが、知りませんでした。資料があれば、もう少し論理的に組み立てて答えを導き出せたのでしょうけど」
マルクトが持っている知識をそのまま吸収したような状態だから、他の分野までは網羅していないって事か。
トウムについての遺伝形質はある程度覚えているところが怖い。マルクトの出してきた企画書には早めの回答が必要だろう。
逆を言えば、基礎的な知識はきちんとしていて話を聞くだけである程度理解できるだけの地頭を持っていることになる。最新の研究結果をみせて説明すればすぐに教師役もこなせるだろう。
こんな人材が埋もれていたとは……。
「教師業の合間でいいから、ルイオートの品種改良に取り組んだりしてみない?」
「夫のお仕事の手伝いがあるので、お断りします」
ですよね。
この人の優先順位は一にマルクト、二にマルクト、三、四はもちろん五もマルクトだ。一直線なところはランム鳥教徒のマルクトといい勝負である。だから結婚したのかもしれない。
「でも、それならなんで教師になろうと思ったの?」
リシェイが首を傾げて訊ねると、マルクトの奥さんは花のような笑顔を浮かべた。
「あの人は日中、飼育小屋でお仕事をしていますから、時間を持て余してしまって。それなら、遺伝子研究者の卵を育ててあの人のお仕事を後々補助できる助手を作り出したいと思ったんです」
あくまでマルクトのためなわけね。
そこはかとなくヤンデレっぽさが香ってくる言動に戦慄しながら、俺は答案を返却する。
「合格。まだ学校は出来ていないけど、授業のやり方とかを学んでもらわないといけないから、これからしばらく忙しくなるよ」
ケーテオ町での研修や教科書の読み込みと試験問題の作成手順、実験方法のおさらいなど、おおよそ一年は必要になる。
「分かりました。では、予定が決まりましたら連絡をくださいね」
マルクトの奥さんはそう言って、帰って行った。
最初から最後までずっと笑顔だった。
「才能の使い方がまっすぐな人よね」
リシェイが苦笑気味につぶやく。
「本人が良ければそれでいいのだけど」
事務室に戻り、リシェイと一緒に教師陣の名簿を作る。
読み書き計算については旧キダト村の村長以下、キダト村の高齢者にお願いするつもりでいる。元キダト村長は学校長に就任してもらい、教師としての仕事の統括をお願いしたい。
遺伝学と農学に関してはマルクトの奥さんで先ほど決まったけれど、マルクトやラッツェなどの研究者にも暇を見つけて講師を頼みたいところ。
芸事に関してはローザス一座で選定中だ。
「備品の方はどうしようか?」
「黒板やチョーク、教科書よね。一番厄介なのは楽器かしら?」
リシェイが事務室の小棚に飾ってあるメルミー作の吹奏楽器グルッガに視線を向けた。
あのレベルの物なら空中市場の土産物屋とかテグゥールースの雑貨屋でも売ってるけど、あくまでも子供の玩具でしかない。
授業で使うとなると、音が安定していない子供の玩具を使う事は出来ないし、必然的に値が張る。
「必要経費と割り切るしかないな。芸事に関しては養成校扱いになるから授業料を取れるし、上手くやりくりして補填していくとしよう」
舞台道具なんかは生徒たちが自主製作するから、材料費だけで済むのがありがたい。
「赤字経営になるわよね」
「こればかりは仕方がないさ」
卒業生がタカクス都市に移住してきてくれるのを期待しよう。