第二話 学校設立の依頼
「距離が大分あるね」
メルミーが矢羽橋から第二の枝の住宅を眺めて目測する。
第二の枝の住宅区の人口が増えたことで、道の混雑が問題視され始めていた。
空中市場は第四の枝にあるため距離も遠く、第二の枝の住民用に新しく商店通りを整備したのが昨年の事。道の混雑はこの商店通り付近で顕著に起きている。
「商店通りへの空中回廊を整備するとして、どこと繋げるの?」
「住宅区の四方だろうな。商店通りに向かって交差路にするよ」
問題は空中回廊の幅だ。単純な通路として設計するなら来月までに建設に入れるし、天候次第では来月中に完成する。
けれど、今回は空中回廊に加え住宅区の高層化を行いたいと思っている。
「交差ヴォールトで支える形で空中回廊を作って、高層化を図ろう。メルミー、測量を頼んだ」
「測るよー。アマネの胸囲とか測るよー」
「何に使う数値だよ」
「メルミーさんが優越感を得るため」
「男と胸囲を比べるなよ。むなしくならないのか?」
「人間という枠組みでは一緒だから、ぜんぜん」
なんて身勝手な男女平等だ。
ポンポンと軽口を叩きあいながら第二の枝の住宅区の測量を行っていく。
商店通りの建設時の測量データと照らし合わせて問題がないのを確認し、測量を終えた俺たちは事務所に足を向けた。
「高層化すると食料自給率が減るんだよね?」
「基本的にはそうなるかな。畑は高層化しにくいから、後から住み始めた人の分の畑を確保しようにも住宅から距離が遠くなっていく。結果、畑の管理ができなくなるから、一人あたりの面積を畑ほどとる事がない工房での仕事に従事するようになる」
誰だって勤務先は近い方がいいのさ。
建築現場を飛び回ってる俺が言っても説得力無いなぁ。
「ただ、タカクス都市の自給率はかなり高いから、高層化で農業従事者の割合が減ってもあまり気にする必要はない」
タカクス都市の食料は輸出すら行っているのだ。しかも、農業従事者一人あたりの生産量が徐々に増えている。
伊達に最先端を行く遺伝子研究を誇っていないとばかりに品種改良を続けており、中でもトウモロコシに似たトウムの倒伏耐性強化は徐々に実を結びつつある。
ランム鳥の堆肥も効果を発揮しているため、ちょっとした緑の革命状態だ。
この第二の枝の上にある畑も部分的に実験農場になっており、主食のトウムや採油用植物ルイオートの品種改良種を栽培している。
基本方針は病害虫に強い個体を作り出すことだ。味よりも収穫の安定性の方が重要と考える人が多いのは、この第二の枝の最初の住人がブランチイーターの食害により移住を余儀なくされたために生活基盤の安定を求めているからだろう。
矢羽橋を渡っている途中、メルミーが手摺りから第二の枝の下を覗く。
「支え枝も順調なんだよね?」
「第二の枝に限らず、どこの支え枝も順調に育ってる。来年の頭には完成かな」
「順調で何よりだよ。これから人口が増えたら荷重の問題に悩まされるところだったもんね」
「第二の枝は住宅街があるから、特にそうだよな」
これから高層化も図るわけだし。
矢羽橋を渡り切って第一の枝に到着する。
網籠を持ってパタパタと駆けていく娘が見えた。
「ケキィ、お使いか?」
「あ、アマ兄さんにメルミー姉ぇ。ハロロース」
「ハロロース」
その挨拶、最近よく耳にするんだけど……。
ケキィの持っていた網籠を覗き込む。中には多種多様な薬草が入っていた。
「カルクさんの治療院に持って行くのか?」
「そうだよ。ついさっき孤児院の薬草園で採ってきたんだ。夏風邪が流行ってるから、二人も気を付けてね。そうだ、飴いる?」
「カルクさんの飴か?」
「ううん。お手製ののど飴」
はい、と差し出されたのは赤い紙に包まれた薄紫の飴玉だ。口に放り込んでみると、麦芽糖っぽい素朴な甘さの中に紫蘇に似た風味がプラスされていた。美味しくはないけど、なんだか癖になりそう。
「どう?」
ケキィが期待するような目で見つめてくる。メルミーも面白そうに俺の表情を観察していた。
「子供受けはしないだろうな。アレウトさんは好きそう」
「さっすがアマ兄、分かってる!」
ケキィが手を叩いて喜ぶ。
「院長先生はちっさな木箱に入れて院長室に置いてるんだけど、孤児院のみんなは嫌がって舐めないの。喉がいがらっぽい時には最適なのにさ」
不満そうにいって、ケキィは網籠を持ち直す。
「それじゃあ、もう行くね。あ、ビロースさん夫婦に定期検診に来るように言っておいて。今日と明日は夜でも受け付けるって言えば、待たせる申し訳なさから今日の夜に来てくれるだろうってカルク先生が言ってた」
「したたかだなぁ。分かった、宿に寄って伝えておくよ」
治療院へ向かうケキィを見送って、ビロースの宿屋へ歩き出す。
ケキィに手を振っていたメルミーが俺の隣に並ぶ。
「ケキィちゃんもすっかり看護師が板についてきたね」
「将来的には医者になりたいらしいからな」
この間、人間にも遺伝病はあるのか、と聞かれて少し困った。
この世界の人間に前世にあったような遺伝病がどこまであてはまるのか分からないからだ。色弱とかはあるみたいなんだけど、あいまいな答えに終始するしかなかった。
ビロースの宿屋に寄って、裏の勝手口で野菜の皮をむいていた若女将に定期検診の話を伝える。
「あぁ、すっかり忘れてましたよ。今晩にでも、主人と一緒に行きます」
カルクさんの目論見通りになったな。
メルミーと苦笑しつつ、事務所へ帰る。
今日も平和なタカクス都市である。
――と思っていられたのは事務所に到着するまでだった。
「なんだか、一杯来客が来てるみたいなんだけど」
応接室の方から複数の話し声が聞こえる。
メルミーと顔を見合わせて、俺は先に事務室に顔を出した。案の定、人の多さに怯えたらしきテテンが壁際で縮こまっている。
「来客の内容は?」
「……いろんなとこの、創始者一族。リシェイお姉さま、接客中」
そういえば、カッテラ都市から相談があるって手紙が届いていたな。確か、学校の設立を求める話だったはず。
「分かった。メルミー、お茶の用意を頼む」
「はいよー。テテンちゃん、手伝って」
「喜んで……」
メルミーが声を掛けた瞬間、テテンはしゃきっとして立ち上がった。
二人をキッチンへ送りだし、俺は応接室の扉をノックして中に入る。
「お待たせしました。タカクス都市、市長のアマネです」
先制で挨拶を口にしつつ、中のメンバーを確認する。
来客対応をしていたリシェイと、ケーテオ町の古参住人を含む周辺地域の村や町の創始者と古参が五名。カッテラ都市次期市長であるクルウェさんまでいた。
豪華な顔ぶれである。
リシェイの隣に腰掛けて、お歴々を見回すと、クルウェさんが代表するように用件を口にした。
「事前にお手紙を差し上げました通り、タカクス都市に学校を設立していただけないか、相談に上がりました」
やっぱり学校の話か。
「失礼ながら質問させていただきます。カッテラ都市にはすでに学校があるはずでは?」
「熱源管理官養成校ならばあります。算学や文字の読み書きを教える基礎教育制度もありますが、市内の子供向けでしかないため寮はありませんし、あくまで基礎教育しか行っておりません」
市内の子供達に対しての物だから周辺の町からの留学生は取っていない。熱源管理官の養成校には寮があったはずだけど、あれは専門学校だから基礎教育学校とは分けて考えるべき、と。
俺はクルウェさん以外の町や村から来た人々を見回す。
「では、みなさんがここに同席しているのも、タカクス都市に学校が設立された場合に留学させたい子供たちがいらっしゃるという事であっていますか?」
ケーテオ町の古参の老人が頷いた。歴史が長いケーテオ町だけあって、カッテラ都市とは利益を共有しない部分に関しては代表してくれるらしい。
「我らがケーテオ町にも基礎教育を施す学校があり、寮も完備しております。しかしながら、十年後を目安に寮制度を廃止したいと考えています」
「それで溢れることになる生徒をタカクス都市で面倒見てほしい、というお話ですか」
ケーテオ町は人口過密が問題になっている。自然と子供も多く、ケーテオ町の中の子供だけで学校がいっぱいになってしまっているのだろうと容易に想像がつく。
ただでさえ、基礎教育を施す学校は赤字運営が基本だ。カッテラ都市の熱源管理官養成校の様な専門学校ならば授業料も取るが、基礎教育学校は基本無料で運営する習わしである。
そう考えれば、世界樹北側で現在最も経済、食糧事情で余裕のあるタカクス都市が寮を完備する基礎教育学校を設立するのは半ば義務だろう。
子供は大事。必然的に教育も重要だ。出生率の低いこの世界では当然の考え方だったりする。
けれども、都市運営者としては赤字経営を当然とする施設の設置なんてぞっとする話だ。
「設立の是非は一時脇におきましょう。仮に設立するとした場合に見込まれる生徒数をお聞きしたいです」
タカクス都市における子供の数は孤児院の子を含めても百人に満たない。都市人口のほとんどが身軽な移住者で構成されているため、夫婦で移住してくる場合でも子連れは滅多にいない。
学校を設立した場合、生徒のほとんどが他所からの留学生になる。留学生の生活費はタカクス都市が負担する事になる。基金を設立するという方法もあるけれど、基金設立と参加の意思があるならばわざわざタカクス都市に持ち込まずにケーテオ町主導で行うはずだ。
「ざっと二百でしょう」
ケーテオ町の古参老人が数字を口にすると、他の町や村の代表者も追認する。
育ち盛りの子供二百人か。苦しい数字だなぁ。けれど、苦しいだけで、抱え込めない数字でもない。
クルウェさんをちらりと見る。反応がない所を見るに、タカクス都市の受け入れ可能人数を試算してから切り出した数字と言うわけでもなさそうだ。
それに、新興の村による難民発生がいまだに危惧されている現状でタカクス都市に不要な負担を押し付けるとは到底考えられない。留学生の数字もギリギリまで抑えた結果の二百人だと考えた方がいい。
「条件があります」
リシェイが口を開いた。
クルウェさんを除く代表者たちが少し意外そうな顔をした。決定権が俺にしかないと考えていたのだろう。
タカクス都市は俺のワンマン経営だと思ってもらっては困る。むしろ、数字を扱うならリシェイの方が数段上手なのだ。
さぁ、リシェイさん、やってしまってください。
「条件とは?」
ケーテオ町の古参老人が訊ね返すと、リシェイはクルウェさんにも視線を向けてから条件を話す。
「基礎学校及び専門学校の運営方法について資料開示と、教職員の研修期間と場所の確保、寮の運営方法についての資料開示、さらに食事メニューなどの資料も欲しいですね。それと、教科書を作成するので参考資料を頂きたいです。最後に、夏と冬に留学生が故郷に帰る際のコヨウ車の手配と運行を各自治体で保障してください。以上、無料でお願いします」
学校経営と寮経営のノウハウを無料開示してくれないとやり方が分からない。タカクス都市にいる間は面倒見るけど送迎はそちら持ちでお願いします。
当然と言えば当然の内容だ。
代表者たちが頷くのを横目で確認したクルウェさんが俺たちを見て「一つ質問がございます」と切り出してくる。
「遺伝研究や芸事といった授業は行ってくださいませんか?」
リシェイは即座に首を横に振った。
「遺伝研究は今、授業が可能なほど精通している者の手が空いていませんので難しいですね。芸事と言うのは?」
「そのものずばり、芸事です。演劇、歌劇、演奏、大道芸や美術など、ビューテラームから得意とする方々がタカクス都市へ移住していると伺っておりますので、教養の一つとして基礎教育に組み込む事は出来ませんか?」
「ローザス一座に話を通してみますが、おそらくは無理でしょうね」
「そうですか」
クルウェさんは残念そうに肩を落とす。
やけにがっかりと落ち込んでいるクルウェさんの反応に首を傾げつつも、話がまとまったため場を解散する。
「それでは、資料の方をお願いいたします」
代表者たちを送り出して、俺はリシェイと一緒に事務室に入った。
まさか学校を作ることになるとは思わなかったけど、今回は仕方がない。第一次ベビーブームの影響だろうし。
タカクスの子供達が少ないのはちょっと悲しい所だけど。