事情15 晴汰と諏訪の家庭見学 延長戦
「亜希姉さん、隣の人って誰ですか?もしかして彼女ですか?」
諏訪が普通に質問を仕掛けてきた。以前亜希姉貴は真里兄さんのことを『お姉ちゃんのフィアンセ』呼ばわりしていたが、どう言い訳をするのか…。
何故か俺の心の中では無駄に妙な期待が表れていた。
「あぁ、この人はマーサでお姉ちゃんの許嫁よ」
許嫁に修正されてる…。まあ無理もないな。いろいろあって決めたことみたいだし。
「そう言えばコウちゃん、今日お母さん仕事で夜中に帰って来るんでしょ?それだったら家で食べていかない?」
亜希姉貴…また余計なことを…!ここで夕飯ご馳走になったら容赦なく俺の学校生活が丸裸に晒されるじゃねーか!
飯野家の皆は全員諏訪の事情を知っている。親がなかなか帰って来ない諏訪に気を使い、たまにここで夕食を摂ることもある。だが皆で過ごすのは楽しいが、諏訪が俺の学校生活での出来事を赤裸々に話すので正直な話、迷惑である。だからこの時間帯はあまり居て欲しくない。早く帰ってほしい。
余談だが、亜希姉貴は俺達の友達や年下の甥、姪とかには勝手に呼びやすいネーミングを付けて呼ぶ癖がある。先程の場合、諏訪のことは『コウちゃん』と呼んでおり、真里兄さんのことは『マーサ』で通じている。
「本当スか!?いつも悪ぃです!!」
「いいのよ別に。食材はほとんど質素なもんばっかりだけど、家はいつでもウェルカムだから」
ノーウェルカムはここに1名いますよ~姉さん!!てか諏訪!何あっさりとのってんだよ!少しは遠慮ってもんをするばいいだろ!
「今夜の夕食は賑やかになりそうだね」
真里兄さんがくすりと笑って呟いた。
「亜希おねーちゃーん、今日のご飯はなーにー?」
紗希が和室から出て来て駆け寄って来た。
「今日は…何だっけ…。あ、そうそうカレーよ」
「え~…やだ~…」
紗希が不満そうな顔をして答えた。紗希は好き嫌いが多く、特に野菜を残すことが多い。今最も嫌いなものは人参であり、それを使っている料理が出ると必ず残してしまうのだ。一体どこが嫌なんだろうか。甘くて美味いのに。
「何言ってんの紗希、人参食べないと大きくなれないわよ。とりあえず早く上がりたいからそこ退いて」
俺はさっとその場を離れ、3歩くらい後退した。その後に亜希姉貴と真里兄さんが靴を脱ぎ捨てて上がり始めた。
「それと晴汰、あんたも料理くらい手伝いなさい。ほとんどやったことないでしょ?」
ちっ、強制か。俺はのんびりと過ごしたかっただけなんだけどな。まぁしょうがない。ちょっとは手伝うとするか。
一斉に廊下を歩いていく音が響き渡る。
「亜希姉さん、俺も手伝います!」
おぉ諏訪!お前がいてくれたら有難い!何てたって俺より料理の経験があるからな!
「あら、コウちゃんは別にそこまでしなくてもいいのに…」
「俺、いつもここで世話になってばかりじゃ申し訳ないんで、少しでも力になれればと」
「…じゃあお願いしようかしら。それにしてもコウちゃんは頼もしいのね~。誰かさんと違って」
おい姉貴、そんな目で俺を見るなよ!まるで俺が怠け者みたいに言われてんじゃねーか!…確かに怠け者だけど。
亜希姉貴に鬼の面のような鋭い目つきで見るのは耐えられず、すぐにそっぽを向いた。
俺は仕方なく亜希姉貴と諏訪の3人でカレーライスを作り、団欒で過ごすことになった。それにしてもカレーを作るのは、去年の秋にやった宿泊学習の昼食時以来だ。その時俺はただ米を炊いていただけなんだけどな。家で本格的に作るのは初めてかもしれない。野菜切るとか、炒めるとか、分量を量ってとか正直面倒だった。
「お、いいじゃんこれ!俺達の合作のカレーの出来上がりじゃん!」
諏訪が喜んで席に着いた。
「これ、せーたおにいしゃんが作ったの?」
ちょうど席に着いた健汰が指を差して物珍しそうに見た。
「あぁ、亜希姉さんとついでに俺もなんだけどな」
諏訪が麦茶を注ぎながら健汰の質問に割って入ってきた。
全員が席に着くと、手を合わせ
「いただきます」
と挨拶をし、食事を摂り始めた。
「そう言えば真希姉さんの彼氏さんって何でここにいるんですか?」
やはりこの質問か…まあ当然ってことだな。ここに来た客は皆真里兄さんを気にするのが普通だ。あと諏訪、どうでもいいが口にカレーのルーがついてるぞ。
「んー、ここで飯野家の力になりたいとおもったから…かな」
真里兄さんがサラダを口に運ぼうとしたときに答えた。
だけど何かおかしい。今の言い方ははぐらかしてるようにしか聞こえない。もっと他に理由があるはずなんじゃ…。
「そうなんですかー、あと真希姉さんとの馴れ初めを聞かせて下さい!」
さっきの質問は聞いといて落とすんかい!すごく興味無さそうな受け答えだったぞ!…馴れ初めか…。そういや真希姉貴と真里兄さんとの馴れ初めなんて聞いたことないな…。
「真里兄さん!俺にも聞かせて下さい!」
すごくというわけではないが、興味深かった。一体どんな出会いだったんだろうか。
「マーサ、あたしにも聞かせてちょうだい。大丈夫、お姉ちゃんにはバラさないから」
亜希姉貴が言う『大丈夫』は全然大丈夫じゃないのが大体である。何しろすぐに秘密を話したくなる裏切り者だからな。真里兄さん、断るなら今ですよ。
「亜希ちゃんまで…。しょうがないな~、真希には内緒だよ。あれは去年の春頃だった…」
《真里の回想 1年前 水蓮寺高校にて》
俺と真希は今年と同じD組のクラスになり、お互い顔見知り程度だった。小学校も中学も全く違ったからね。最初は何てことないただのクラスメートとしか見ていなかった。けどとある日の5時間目の体育の授業の日だった。たまたま同じグラウンドで別々のスポーツ授業を行っていた俺と真希の運命が変わった。
「真希ー、いくよー」
「待って、まだ準備が…」
この時女子はソフトボールの投げ合いをしていて、俺達男子はサッカーの授業を受けていた。元々あまり得意でなかった俺はゴールキーパーのポジションに立っていた。ボールが来るとただそれを守る、それ以外はぼーっと立っていているだけのことだった。だが次の瞬間…
「キャット危ない!!」
突然チームメイトの大声がしたので、何が危ないのかが分からなかった。気が付くと飛んで来た何かが俺の頭部に強打し、いつの間にか倒れて気を失っていた。後々聞いた話によると、気絶していた俺が真希にお姫様抱っこされていたらしい。
《再度 晴汰 飯野家の食卓にて》
真里さんの話を聞いて亜希姉貴、諏訪、優汰がケタケタと腹を抱えて笑っていた。
「マーサが…お姫様抱っこされてんの…普通逆じゃないのかしら…」
「亜希姉…ツボりすぎだよ…」
「そういうゆーちゃんだって…腹痛てぇ~…」
真里兄さんと初対面なのに失礼じゃないのか、諏訪。お前が一番ツボにはまってるぞ。まぁ俺も言っちゃ悪いけど真里兄さんの実話にはつい吹いたけど。
「みんな~笑い過ぎだよ…」
真里兄さんが必死で止めようとしても、この爆笑の渦は治まらない。もちろん俺も必死で笑いをこらえようとしたが、なかなか止まらない。
「ちょっと、真里兄さんが可哀想だろ!?笑うのやめろ!!」
このまま笑いっぱなしだときりがないので、俺が制御することにした。まぁ俺もまだ少し笑ってたけど。
「ごめんマーサ、話続けて」
亜希姉貴が多少笑っているものの、本題に戻そうと切り出した。一息ついたところで真里兄さんは咳払いをした後に話を続けた。
《再度真里の回想 1年前 水蓮寺高校保健室にて》
目が覚めると、俺はいつの間にか保健室のベットで横たわっていた。慌てて起き上がると、時間は3時10分(つまり6時間目)を指していた。完全に授業をサボっていた俺は急いで教室に戻ろうとベットを抜け出そうとした。
「まだ動いちゃダメ!」
俺の傍に居た女子生徒が突然叫びだし、いかにも不安そうな顔で俺を見ていた。よく見るとその女子生徒こそが真希だった。けどまだ顔と名前が完全に一致していない頃だったから、すぐに思い出すことは出来なかった。
「君は確か同じクラスの…」
「猫目君!!あの時は本当にごめんなさい!!体育の時間で間違えてボールを当てちゃったのはこのあたしなの!これで許して!!」
真希が俺に差し出したのは、財布の中に入っていた現金約4000円程だった。しかも土下座をしながらの渡し方だったので何かと罪悪感が伝わって来た。
「そっ、そんなの別にいいよ。俺もちゃんと見ていなかったのが悪かっただけだし」
「本当に大丈夫…?」
震えていた現金を持っている手をそっと下ろし、不安そうな顔はやがて少しずつ和らいでいった。
「ちょっとまだ痛むけど、今は大丈夫」
「よかった…。けど本当にごめんなさい…」
途中真希の声はだんだんと小さく聞こえないくらい謝った。そこから沈黙の時間が30秒程続いた。
「あのさ猫目君、これ…」
真希のバッグから何かを取り出し始めた。すると差し出したのは生物のノートだった。
「これ…もしかして…」
「そう。あの時倒れてて居なかったでしょ?だから…その…お詫びというか」
俺は真希が差出したノートを黙って受け取り、開き始めた。今日の分の範囲がきっちりと書かれている。それにしても…
「…字、綺麗だね。読みやすい」
「そんなことないよ!これでも雑だよ!」
振り向くと真希の顔は少し赤らんでいた。その時俺は感じてしまった。
何だ…?ただ褒めただけなのに…何で苦しいくらい胸が締め付けられるんだ?この人の顔を見てなんとも思わないと思っただけなのに…。もしかして可愛いと思ったからドキドキするのか?
「猫目君?どうしたの、じっとあたしを見て。熱でもあるの?」
真希の声で我に返った。心配そうに見る彼女を見てやはり何か感じる…。
「いや、何でもない。とりあえずありがとう。生物は写させてもらうから明日ノート返すよ」
俺がその場を立ち去ろうとしたその時だった。保健室の扉前で真希が俺の右腕を軽く掴んで引き止めた。
「猫目君…。また何かあったら言ってね…?」
やや不安気味であるが、真希の笑った顔は可愛い…。俺はとうとう気付いてしまった。
そうだ。俺はこの人に恋をしてしまったんだ…。
《再々度 晴汰 飯野家の食卓にて》
俺はこの話を聞いて悟った。最近になって真希姉貴にこの思いを打ち明けたんだと。
「へぇ~。真里サンって惚れっぽいんですね~」
既にカレーライスを完食していた諏訪が、テーブルに両肘をつけて物思いにふけているような雰囲気で呟いた。
「いや、そういうわけじゃ…」
「けど青春よね~。お姉ちゃんとマーサが少女漫画みたいな恋をするなんて」
亜希姉貴はまだ中学生なのに青春はしねーのかよ。
「亜希姉」
全員分の食器を片付けようとした亜希姉貴を優汰が呼び止めた。
「今日兄ちゃんが禁止令を破りました」
ここで暴露すんなぁぁぁぁぁぁぁ!どう考えてもタイミングがおかしいだろ!
「そうそうついでに亜希姉さん、実は晴汰に好きな人がいてですね、その人にスカートめくりしたんですよ~」
何のついでだ諏訪ゴルァァァァァァァァ!!おめーは何を伝えてんだよ!!そもそも俺はそんな変体でもねーし、好きな人もいねーよ!
「え、せーたお兄ちゃん好きな人いんの?」
「紗希、誤解だ。信じなくていい」
「まさか…晴汰君そんな人だったとは…」
「真里兄さんまで信じないで下さい!」
また飯野家が荒れ出した。これじゃあ霧がねーぜ…!
仕方がない。ここは俺が止めなきゃ…
「おめーらやめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
「うっさぁぁぁぁーい!何時だと思ってんの!?」
台所の入り口の方に振り向くと、真希姉貴がいつの間にか帰っている。
「今は8時半よ!こんな大声で騒いだら近所迷惑でしょーが!」
そういうお前も相当声がデカかったけどな。
「あれ、洸介君はご飯食べたの?」
「あ、はい真希姉さん!突然お邪魔してすいません。俺もうそろそろ帰りますんで」
お邪魔だと感づいたのか諏訪は急いで帰る支度をし始めた。
「そうか。じゃあ帰りは家まで送ってってあげるよ。もちろん晴汰も連れて」
「おい真希姉貴!俺は強制かよ!」
俺が立ち上がって真希姉貴に近寄ると、真希姉貴は強い力で俺の左肩を抑えるように掴まれた。
「当たり前でしょ!友達なんだから!」
「じゃああたしはここで留守番してるからコウちゃんは晴汰とお姉ちゃん、マーサの4人で行ってらっしゃい」
「え、俺も?亜希ちゃんこれ冗談だよね?」
真里兄さんがおどおどし始めた途端、亜希姉貴は真里兄さんを見てニヤニヤと笑って言った。
「あら、あたしがこんなことで冗談を言う人だと思うかしら?嘘だと思うならお姉ちゃんにさっきのこと話すけど?」
「…わかった。行って来ます」
真里兄さんはせめて真希姉貴にだけはバレたくないのか、さっさと玄関へと立ち去った。
「猫目君、さっきのことって?」
「真希、気にしないで。早く行こう」
真里兄さんの顔が真っ赤だ。よほど真希姉貴のことが好きなのかが伝わってくる。
そう思いながら俺は諏訪を連れて外に出た。
諏訪を見送った後、俺は暗い夜道の中で真希姉貴に聞いた。
「なぁ真希姉貴、漆黒の翼って何だ?」
それを聞いた真希姉貴と真里兄さんは、持っていた懐中電灯を不意に落としてしまった。真里兄さんが2つ拾い上げると、困った様子で俺に聞いた。
「晴汰君…それ、どこで覚えたの…?」
「いや、俺が帰って来た時に健汰と紗希がそう言ってて…。どうやら亜希姉貴に教えて貰ったらしいけど…」
「晴汰、それを覚えるのはまだ早い。もうちょっと大きくなってから覚えなさい」
俺の両肩を添えた真希姉貴は睨んで説得した。こんな夜道で怒られても恥ずかしいと思わんのか。
「そういう問題なの?ねぇ」
真里兄さんの突っ込みは無視した真希姉貴は興奮を静めてそのまま家に戻った。
一時期はどうなるかと思ったけど、とにかく(いろんな意味で)何事もなくて正直安心した。
ちなみにその後、中二臭いと疑われる亜希姉貴に中2発言禁止令が下されたとのことである。