事情14 晴汰と諏訪の家庭見学
2時間目は危うく音楽の授業でリコーダーを忘れる事件を回避し、他は何事もなく無事に下校の時間となった。
帰り道。俺はこの穏やかな空気の中、残酷なほど眩しい太陽に照らされながら、水田に挟まれた狭い道路を一人でとぼとぼと歩きながら考えていた。
今日は確か優汰に紗希と健汰の迎えを頼んでいるはず…。俺はこのまま帰っても大丈夫だよな…?て言うか…
「何でお前がここにいるんだよ」
背後にいると知っておきながら振り向かず話しかけた。
俺の足元にもう一人ほぼ同じ身長で肥満型の体型をした影が目に映っていたので、誰が後をつけているかは見当がついた。
「何だよ~、知ってたのか」
「その影じゃお前しかいねーんだよ、諏訪。てかお前の家は逆方向だろ?」
諏訪が何やら不吉な笑みを浮かべながら俺の左隣に寄って来て訳を話し始めた。
「実はさぁ、俺の母ちゃんが今日夜勤だから9時までには帰れないって言ってたからさ、家に居ても暇だしどーせなら遊びに行こうと思ってさ」
何て都合の悪い日なんだ…。これじゃあ俺ん家の家庭訪問みたいなもんじゃねーか!
諏訪の両親は俺らが小学生になったばかりの頃に離婚してしまい、今は看護師である母親と2人で暮らしている。母親は大抵夜遅くまでに近くの病院で勤務しているため、帰って来るのが夜明けになることが多い。しかも諏訪には兄弟姉妹が誰一人いないので、本人曰く家に帰って来る時はいつも1人で過ごすことが普通なんだとか。
俺から見れば、諏訪がどれだけ寂しい思いをしているかという孤独感が伝わってくる。
だからいくらしつこく付き纏われても俺は放っていくわけにはいかないのだ。
「はぁ…。しゃーねーなぁ…、いいよ、家に来て」
「本当か!?っしゃー!」
俺の承諾を聞いた諏訪はますます明るい笑顔へと変えていき、両手で拳を作った。
「但し、俺に今日の算数の宿題教えるという条件付きだったらの話だけどな」
今回出された5桁くらいの大きな数についての宿題があまりにも不安だったので、俺より算数が得意な諏訪に今後出されるであろう問題を教えてもらうことにした。
というのも、ただ遊びに来るだけでは俺と紗希のやり取りを見てからかうなどとおちょくることを想定して、このような迷惑な状態を回避しようとしていたのだった。
「それならお安い御用さ!さっさと行こうぜ!」
俺を通り越した諏訪は手招きを示した。
何張り切っているんだ、こいつは。ただ俺らのやり取りを見て楽しみたいだけだろ。
ため息を吐いた後に仕方なく諏訪を追いかけた。
「実はさぁ、今日家からこんなの持って来たんだけど、一緒にやろうぜ」
そう言いながら諏訪はランドセルを開けて、ごそごそと中身を探り始めた。やっと見つけたところで俺に見せ付けた。
………。え………?…嘘…だよな…?
一瞬の沈黙を後にした俺は念のため確認した。
「何だよ…、これ…」
「何って、見りゃ分かるだろ?ヴァ●ガードだよ」
何やってんだお前はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!しかも何自慢気に晒してんだよ!!
「わざわざ俺ん家で遊ぶためだけの為に持って来たのかよ!よく学校で見つかんなかったな!運が良過ぎだぞ!」
「え、だってお前とどうしてもやりたかったんだもん」
「『もん』じゃねーよ!!慶野先生に見つかったら即死んでるぞ!」
そこまでする諏訪は流石悪知恵の天才だ…。俺には手の施し様がない。
諏訪が隠し持っていたヴァ●ガードに呆れたところで、ちょうど家にたどり着いた。
「おぉ~、相変わらず変わらんな~」
「お前、それ褒めてんのか見下してんのか分かんねーよ」
玄関のドアまで来たその時だった。優汰達が何やら不気味な声を出している。
何を言っているのかは定かではないが、その部分には無視して鍵を開けた。
「ただいまー」
「お邪魔しまーす」
俺らが返事をしたが、誰も出迎えて来ない。その代わりに優汰達がとても低い声で奇妙なこと言っているのを和室から聞こえた。
「ラーメン、ソーメン、タンタンメン、ラーメン、ソーメン、タンタンメン…」
何の呪文だよ。これ。しかもいい具合に音程保っいて、不気味さが増してくるから妙に怖く感じる。
「まぁ、とりあえず上がってくれ」
俺は諏訪にそう促した後、恐る恐る和室をそーっと覗き始めた。
よく見ると室内は暗室で、雨戸が閉められている。優汰、紗希、健汰の3人はくまの●ーさんのぬいぐるみと何かのイベントで貰った小さなピンクのライトを囲んで唱えていた。●ーさんの下には優汰が描いたであろう魔法陣の紙が敷いてある。
それにしても何だこの奇妙な儀式は。それにしても何で麺類を呪文にしてんだろうか。
俺の頭上で覗いていた諏訪がその様子を見てクスクスと笑っていた。
「何だよこれ、クソウケるんだけど!」
背後で小声で本音を吐き出している。俺から見れば何も面白くない。というより、馬鹿らし過ぎて呆れている。
「あれ、せーたお兄ちゃん、いつ帰って来たの?」
俺らの存在に気づいた紗希が襖まで駆け寄って来た。
「『ただいま』は言わn…ないのか…。てか何してんの?」
背後からまた諏訪のクスクス笑いが聞こえた。そんなに面白いのかよ。そんなことはお構いなく真顔で話を聞くことにした。
健汰の質問に気が付いた優汰が俺の元に来て説明し始めた。その後に健汰が寄って来た。
「お帰り。紗希が『召喚ごっこやろー』なんて言うから強制的に…」
「召喚?また新しい遊びだな。んで、何を召喚しようとしたんだ?」
今度は健太が口を挟んだ。
「あのねー、しっこくのつばさのね、はねがはえたひとー」
………い、今何て………?
シッコクノツバサノ…ハネガハエタ…ヒト…?
「健汰、それどこで覚えたんだ?てかそれ何…?」
3歳児が今とんでもないこと言った…よな…?てかむしろ聞き間違いだと信じたいが…。
無駄に揺れ動く俺の緊張感が心の中で動いていた。同時に健汰の言葉に対しての表情は、とてもではないが隠し切れなかった。
俺の質問に対して健汰は腕を組んでしばらく考え込んだ。
「えーっと…、何だっけ…。忘れた!」
無駄な緊張感がすーっと消えていくように治まった。
「…そうか…。それにしてもどこで誰にそんな言葉を聞いたんだか…。諏訪、早くk…じゃなかった。来て」
「健汰、そのシッコクノツバサノハネガハエタヒトってやつさ、もう1回亜希お姉ちゃんに教えてもらいなよ」
亜希か!?健汰に教えたのは!!何変なもん植え付けてんだよあのポンコツ姉貴は!!てか紗希まで何覚えようとしてんだよ!!
歩いていた俺の足を思わず止めてしまい、健汰と紗希の方に振り向いた。後ろについていた諏訪の笑いは治まるどころか、ビックヴォイスで爆笑して腹を抱えている。
「やっべ~腹痛ぇ~…!晴汰、やっぱお前ん家最高だな!!」
「諏訪、ここはいいから早く算数教えてくれ…ませんか」
ここの場を早く逃げ出したい。今はその感情しかなかった俺は諏訪の手を引いて隣の部屋へと連れて行った。
隣の部屋に入り、背負っていた青いランドセルを窓の下にあるテーブルの脇にどさっと下ろした。
「テーブルの脇に置いていいよ」
後ろにいた諏訪も反対側にランドセルを下ろし、中から算数の教科書と配布された宿題のプリントを出した。
「んで、どこが分かんないんだ?」
諏訪が腰を下ろすと、俺は慌ててランドセルのふたを開けようとした。すると台所から微かであるが、だんだんと足音が聞こえてきた。
「入りまーす。コウさんちょっと少ないですけど、ゆっくりして下さい」
振り向くと、優汰が木の器に入っている数枚の煎餅を差し出した。
「おう、サンキュー」
「兄ちゃんには言ってない。それからここにいる間はずっと監視することにしたから」
「いいじゃんか、真希姉貴はしばらくバイトで帰ってこねーし」
次の瞬間、頭に何かでバシッと叩かれ激痛が走った。
「ってー!何なんだ!」
振り向くと優汰が無表情で巨大ハリセンを持っていた。
「何で叩いた!?俺何もしてね…」
優汰が何故ここにいるのかはすぐに悟った。一旦俺は咳払いをしてから感情を沈めた。
「そういうことか、それはすまん。てかそれどっから持ってきた?」
「それはどうでもいいよ。それよりその言葉遣い、何とかしてよね」
そう言って優汰は部屋から立ち去った。
あまりの脱力さに呆れて大きなため息をつき、諏訪の方に顔を向けた。やはり腹を抱えて笑っている。
「もうどっちが兄貴なのかわかんねー!」
「諏訪、もうそれはいいから早く宿題を教えてくれ」
そっと諏訪の右肩に手を乗せた。もうこれ以上恥をかきたくない。
「そうだな。とっとと終わらせるか」
そう言って教科書のページを開いた。
算数の宿題の進み具合は意外にも着々と片付いていき、残るはあと1問のみとなった。
諏訪のおかげでここまでたどり着いた。これだけは俺の力で終わらせたい。
最後の問題に鉛筆で記そうとしたその時だった。
「キャー!助けてー!怪獣が!あたしを食べようとしているわ!」
紗希が大声をあげてバタバタと廊下を駆けて行くのが聞こえた。
「んぎゃー!!」
健汰も後に続いて紗希を追いかける。
「われはしっこくのつばさのかいじゅうだー!ひとをのこらずたべるぞー!」
シッコクノツバサノカイジュウ…?それって黒いドラゴンと言いたいのか?
「健汰ー、紗希ー、ちょっと静かにしてー」
背後に居る優汰が部屋から注意した。
一瞬手を止めて廊下に振り向いたが、構わず問題を解くことにした。が、また紗希と健汰の騒ぐ声が響いた。
うるさくて集中出来ねぇ…!
俺はとうとう堪忍袋の緒が切れてしまい、すたすたと廊下まで歩いた。
「お前ら!せっかく人が居るのに静かに出来ねぇのか!」
「兄ちゃん、また言葉遣いが…」
「優汰、お前は少し黙れ」
俺がぴしゃりと言葉を放つと、優汰は何も言葉を返すことなくただ俺を睨んでいるだけだった。
「おい晴汰、落ち着いて…」
諏訪の言葉にも耳を貸さず紗希と健汰を叱り続けた。
「ごめんなさい…」
一瞬の沈黙の後、健汰は今にも泣きそうな声で素直に謝った。
「分かればいいんだ」
俺は健汰の頭に手を乗せ、優しく撫でた。その後紗希に目を向けた途端、俺の怒りに恐怖を覚えたのかすぐに固まってしまった。
「ほら、何か言うことは?」
「悪魔はさっさと闇でおねんねしろ、クズ」
…おい紗希、さっき何て言った?クズ…?何いい顔で口叩いてんだ?
「紗希!何てこと言うんだ!」
優汰が紗希の口を塞いで叱りつけた。
もう我慢出来ねぇ…!その腐った根性を俺が叩き直してやる!
俺は無意識に右手を上に挙げ、紗希の頬に振り下ろそうとしていた。
「兄ちゃん!何やってんの!?」
気が付くと、優汰と諏訪が振り下ろそうとしている俺の手を止めていた。
「晴汰!いくら何でもやりすぎだ!」
諏訪の止める力はとても強い。力づくで下そうとしても、全く動けない。2人が必死で止めようとしているのに、俺の怒りはまだ収まらない。それどころか暴走していた。
「一旦離せ!」
「嫌だ!兄ちゃんが止めるまでこの手は離さない!」
その時、玄関の扉が開く音がした。
「ただいまー」
真里兄さんが帰って来た!まずい!この状況を見られてしまう!
「真里パパおかえりー」
健汰が玄関に駆け寄って行き、真里兄さんに抱きついた。一旦玄関の方に振り向くと、帰って来たの真里兄さんだけではなかった。
無駄な焦りと心の鼓動がどくどくと鳴っている。
最悪の事態だ。亜希姉貴まで帰っていやがる!しかもこの今の状態を目撃してる!
「晴汰、何やってんの?」
そらそうだよな!紗希に言葉遣いのことで説教してたなんて薄情出来るもんか!一発で殺られるぞ!
すると今まで掴まれていた諏訪の手が解き、亜希姉貴と真里兄さんの元へと足を運んだ。
おい諏訪!何をする!俺のことで真実を晒すつもりか!?それだけはやめてくれ!
俺は諏訪に目で訴えたが、本人は全く気付かずただ歩んでいくだけだった。
「あれ?お客さんいたんだね?」
真里兄さんが諏訪の存在に気付いたのに対し、諏訪はこくりとお辞儀をした。その次に亜希姉貴に目を向け、こう言った。
「お邪魔しています亜希姉さん、晴汰が紗希ちゃんにセクハラしたみたいなんで、お仕置きしてもいいですよ。俺目撃者なんで」
何出鱈目言ってんだこの薄情者がぁぁぁぁぁぁぁぁ!!
波乱な家庭訪問はまだまだ続きそうだ…。
どうも影林月菜です。今回執筆中の章ですが、タイトル名を変更しました。
いつの間にかタイトルとは矛盾しているみたいだったので…すいません。
これからもよろしくお願いします。