事情12 晴汰と禁止令
俺達の叔母と真里兄さんの両親に事実がバレてしまってから翌日。おやつの時間の頃に事件は起こった。
俺が漢字ドリルを片付けたちょうどその時だった。
「ちょっと紗希!何回も言ってんじゃん!どうしてそれが守れないの!?」
隣の和室から真希姉貴の怒鳴る声が1階中に響き渡った。
俺は襖を少し開いて覗いてみた。
「おいおい、どうしたんだよ?」
その声に聞きつけた真里兄さんが脱衣所から駆けつけて来た。
「聞いてよ猫目君!紗希ったら子どもらしくない言葉使っててね」
「子どもらしくない言葉?」
「とりあえずこれを見て」
突如現れた亜希姉貴が紗希の連絡帳を差し出した。真里兄さんが受け取ると、早速中を開き始めようとした真里兄さんだが、躊躇し始めた。
「…亜希ちゃん、勝手に見て大丈夫?」
「個人情報だけど、周囲にバラさないんだったら問題ないわ」
真里兄さんは恐る恐る連絡帳のページを開いた。するとあるページに目を通した。
俺もそれが気になって仕方がなかったので、一緒に連絡帳を読んだ。
4月13日
先日はありがとうございました。今日の昼食後の時間のことですが、トイレに入る時に紗希ちゃんが誤ってひまわり組の咲愛ちゃんの指を挟んでドアを閉めてしまうといことがありました。紗希ちゃんはすぐ謝ったのですが、咲愛ちゃんはあまりの痛さに泣いてしまったのでそれに対し「ごめんって言ってんじゃんかよ!」「何か言えよ!」などと乱暴な言葉を遣って謝罪を要求していました。私は紗希ちゃんと同じクラスの男子に聞いて言葉遣いに関して注意しましたが、たまに葛藤してしまうと言葉遣いが乱暴になってしまうようで
その時真里兄さんの頭にクマのぬいぐるみが直撃し、思わず読んでいた連絡帳を手放してしまった。危うく落とすところだった連絡帳を俺の左手で受け止めた。
「いてて…。何なんだ?」
真里兄さんが振り向くと紗希の顔は真っ赤に染まっており、いかにも怖そうな目つきをしていた。
「真希ママには関係ねーじゃん!」
「ほらまた!汚い言葉遣って!」
その様子を把握した真里兄さんは2人の喧嘩を止めに入った。
「真希、紗希ちゃん!その辺りにしときなって」
「真里パパは黙ってろ!」
紗希は真里兄さんの方に睨んだ。それに対し紗希の言葉に唖然としてしまい、言葉を何一つ返す事が出来なかった。
「ごめんね猫目君、紗希!猫目君に謝りなさい!」
「誰が謝るもんか!」
紗希は真希姉貴の足を蹴りながら外に飛び出した。
「ったー…!全く紗希ってば…ごめんね猫目君。せっかく止めてくれたのに紗希ったら…」
真希姉貴は踝を抱えながら陳謝した。
「俺は大丈夫だけど、紗希ちゃんがあんなこと言うのは正直驚いたよ」
「だろうな。もう少し何とかして欲しいよな~」
やっとのことで存在に気付いた真希姉貴と亜希姉貴は俺をじっと見た。
俺への視線はとても冷たくいかにも睨んでいるような目をしていた。
何なんだ…?俺何かしたか?
心当たりは全く理解出来なかった。
「あ、晴汰君」
真里兄さんも俺の声に反応して振り向いた。
「な…何だよ姉貴!じっと俺のこと見やがって」
一瞬の沈黙が続いた後、真希姉貴はため息をついてすぐに口を開いた。
「…今夜は家族会議を行う。ただし、今回は紗希と健汰抜きで」
意味が分からない。
「何でだよ。今まで全員でやってきたじゃねーか」
俺が真希姉貴を見て言うと、亜希姉貴の視線が俺に向いていることを感じ取った。亜希姉貴の方に振り向くと鋭い視線でまた睨んでいることを悟った。
「晴汰、後で話すから」
そう言って亜希姉貴はさっとその場を立ち去った。
「…一体俺が何をしたって言うんだよ」
そっけなく呟くと部屋はしーんと静まってしまった。
時は過ぎて午後9時半頃。家族会議はいつもの和室ではなく2階の真里兄さんが使用している部屋で行われることになった。辺りは冷たい空気に包まれていて夕方頃の冬の気温並に寒く感じた。そんな中で真希姉貴達は紗希と健汰が寝静まった後、何故か部屋に置いてあった卓袱台並の大きさのテーブルを囲んで会議を始めた。
「んじゃ、会議を始めようか」
『始めよう』じゃねーよ。色々と突っ込みたい所がある。
「待てよ真希姉貴、まず紗希と健汰がいないことについて説明してくれ」
「…まあ晴汰君、まずは落ち着こうか」
開始早々俺が首を突っ込むと、俺と真希姉貴の間に座っている真里兄さんが少し慌てながらも俺を宥めた。
仕方なく気を収めることにしたが、イライラは止まらなかった。
「…今回は紗希の言葉遣いについて話し合おうと思うんだけど…、ここで何故紗希と健汰をあえて出させないようにしたか、いつもは7時か8時くらいに会議を行うが何故この時間にするかを説明しよう」
真希姉貴は咳払いをした後に説明を続けた。
「単刀直入に言うと、元凶は…晴汰!あんただよ!」
真希姉貴が突然指した。
心当たりが全く分からない俺は言うまでもなく動揺し始め、混乱し始めた。
「おいおい、どういうことだよ!俺が何したって言うんだよ!」
真希姉貴の右隣に座っている亜希姉貴が鋭い刃を突きつけるように冷たく言い始めた。
「あんたってバカね、まだ分からないのかしら。要するに晴汰の言葉遣いが悪い、その影響で紗希がそれを真似するようになって今に至るってことよ」
言葉遣いが悪い?だと?
ますます分からなくなってきた。
何で俺の言葉遣いが出て来んだよ!?
その説明を聞いた優汰が口を開いた。
「そっか、紗希が言葉遣いを真似するってことは、健汰も汚い言葉を言うかもしれないからあえて外したんだね?」
「その通り、さっき優汰が言ったように晴汰のせいで紗希が今言葉遣いを悪くしながらコミュニケーションをとっている。もしそれを見て聞いてる健汰が真似したら幼稚園の友達にも傷つけてしまう恐れがあるでしょ?だから今回の会議はこの時間に開いたの」
真希姉貴が説明し終えると真里兄さんが挙手をした。
「ん?どうした?」
「さっき紗希ちゃんが言葉遣いを悪くしながらコミュニケーションを取ってるって言ったよね?健汰君は言葉遣い悪くして言ってないの?特に俺がここに来る前とか」
その質問に対して優汰が深く考えた。
「う~ん…僕は健汰が汚い言葉言ってるのは全然聞いたことないと思うなぁ…」
「確かに、晴汰があれだけ言ってるのによく使わないよね~」
真希姉貴が言った。
俺は全く悪くねーよ!大体悪い言葉遣いごときで何で会議が起きんだよ!?
そんなことはさておき、俺も健汰のことについて呟いた。
「ほんと、あれは奇跡だよな~。この前紗希なんて優汰に『そんなの関係ねーじゃん』とか言って喧嘩になりかけたのにな~。成長しろよってむかつくくらい思ってるくらいだよ」
また場の空気が悪くなった。
俺の言葉を聞いた一同は一斉に疑いの目で見始めた。
「何だよ」
「晴汰君、まさかと思ったがここまで自覚が無いとは…」
真里兄さんが片手で軽く頭を抱えながら呆れて言った。
「はぁ?真里兄さん何言ってんだよ。俺は全然汚ねぇ言葉なんて使ってねーぞ!」
「また言ってるわね、このバカ」
「亜希姉貴!バカとは何だよバカとは!」
「本当のこと言っただけよ」
姉貴までにもバカにされるとは思ってもいなかった。
「亜希姉の言う通りだよ。そんなんだから兄ちゃんは学校で『マキシマムサンダーうる晴汰』なんて言われるんだよ?」
「何の話だよ!」
優汰も口論に加わり、真顔で言い始めた。
何で知ってんだよ…!3つも学年が下のくせに。
ちなみに『マキシマムサンダーうる晴汰』とは、実際に同級生に付けられたネーミングである。由来は雷が落ちるようなうるさい声を出していることからだそうだ。
「えっ、優汰君そうなの?」
「真里兄さん信じないで下さい!違うんすよ!こいつは出鱈目言ってるだけなんで!」
せめて真里兄さんにだけには知られたくなかったので誤魔化すことにした。
「マキシマムサンダーうる晴汰」
突然亜希姉貴が学校で呼ばれているあだ名を呼んで嘲笑い始めた。
「おぉぉぉぉぉぉい!やめろぉぉぉぉぉ!」
気がつくといつの間にか辺りは口論で大騒ぎになり、話も一気に逸れてしまった。
「うるさーーーーい!!いい加減にして!!紗希と健汰が起きるかもしれないじゃん!」
真希姉貴の一喝で皆が静まった。
「いや、真希が一番うるさかった気がするんだけど」
真里兄さんがぼそっと呟くと真希姉貴は咳払いをしてから本題に戻した。
「…話を戻して、とりあえず晴汰は明日からその汚い言葉遣いを一切使わぬようにしたいと思います。名付けて『汚い言葉遣い使用禁止令』!」
何だよそれ!
ここで優汰が挙手をした。
「あのさ、兄ちゃんの言葉遣いなんだけど、多分すぐに直すのは難しいし無理だと思うからさ、学校では使っていいけど、家では禁止の方がいいんじゃないかと思うんだけど…」
「あー…それもそうだね…。学校でも言葉遣いに気をつけたらストレスが溜まりそうかもね」
真里兄さん腕を組みながら言った。
「だーかーらー、俺は汚ねぇ言葉遣ってねーって!!」
「晴汰、しゃらっぷ」
亜希姉貴の鋭い目つきで睨まれた俺は反論はしたかったが、これ以上騒ぎになるとまた制裁されるかもしれないと悟ったのかイライラしながら黙った。
「他に意見は?ないなら確定するけど?」
真希姉貴の質問に対し、皆は何も言わなかった。が、俺はまだ怒りが治まらず納得もしないので思わず立ち上がった。
「何?まだ『汚い言葉遣ってない』とか言うんじゃないでしょうね?」
真希姉貴が呆れて言った。
その辺はまだ納得出来ないが一応理解したとして、俺が聞きたいのはそこじゃない。
「ちげーよ、ただもしそれが決定したら俺はいつまで家で言葉遣いに注意しなきゃなんねーんだ?」
「それはあたしの独断で決める」
俺の質問に即答した真希姉貴は座るよう手振りを表した。
仕方なく座ると真希姉貴が再び口を開いた。
「…異論がないなら結論を下します。明日から晴汰は家内では言葉遣いに注意するよう意識し、それ以外では通常の言葉を遣うことを許可することに決定します。ただし、特に授業参観などの学校のイベントでは一時的に言葉遣いを意識すること」
真希姉貴は優汰をちらっと見ながら話を続けた。
「また家内で晴汰の言葉遣いを注意してるかを監視する必要がある。優汰、特に亜希とあたし、猫目君が不在の時には監視役を頼むことにするよ」
監視役!?どうしてそうなるんだよ!
「わかった…ってえーーー!?ぼっ僕が!?」
突然の指名に驚きを隠せない優汰は混乱してしまった。
「学校から帰る時とかって必ず紗希と健汰を迎えに行くでしょ?この時も晴汰に注意して欲しいの。だからお願い!」
「…。真希姉がそこまで言うならしょうがないなぁ…」
優汰が頭をかきながら渋々と返事をした。
しょうがないじゃねーよ!断れ!
「ということで、本日の家族会議はこれにて終了します。解散!」
「何でだよ!何で俺に監視役がつくんだよ!」
俺の異論には無視して真希姉貴は会議を終わらせた。
真希姉貴の合図で亜希姉貴と優汰はその場を離れて階段を下りて行った。
「いやいや、納得いかねーよ!何でそうなるんだよ!」
その怒りは真希姉貴にぶつけたが、無意味だった。
「ねぇ真希、本当に大丈夫なの?晴汰君こストレスが心配なんだけど…」
俺を見た真里兄さんは真希姉貴の顔を覗き込んだ。
「確かに心配はするけど、きっと大丈夫だよ。晴汰はやる時はやる男だからね」
「なるほど。治るといいね」
真里兄さんが俺の肩に手を置いて『大丈夫、治せるよ』と言いたげな目で俺を見た。
俺は何も言えず、この部屋を出て就寝に取り掛かることにした。
さっきまではつい興奮してて我を忘れていたが、よくよく考えてみると姉貴達の言うとおり言葉遣いを治した方がいいかもしれない。
明日から意識してみるか。
こうして今日も1日は過ぎていくのであった。