事情10 真里と忍び寄る影
放課後、俺が1人で帰る時であった。背後から奇妙な人が後を追って来た。俺はそれに気付き、恐ろしくなって急いで自転車を漕ぎ始めた。1度も振り向かず飯野宅に着くまでひたすら逃げた。
「ただいま…」
ドアを素早く閉め、追っ手が来ているかを確認するためそっとドアを開き始めた。門外には人の気配は全くなかった。
「ふぅ…。怖かった…」
安心して戸を閉めると、亜希ちゃんが部屋から出てきて俺をちらっと見た。
「何してんのよ、そんなとこで」
亜希ちゃんの声に反応して振り向き、息を殺しながら説明した。
「いや、ちょっとね。……不審者が追って来たからね…すぐ逃げて…いるかどうかを確かめただけさ」
「ふーん。その不審者がマーサのお母さんだったりしてね」
「ちょっと!それやめて!ますます怖くなるから!」
「冗談よ。マーサって面白い人ね」
亜希ちゃんはクスクスと笑いながら台所へと立ち去った。
冗談にもほどがある…。
呆れながら家に上がった。
それにしても一体誰だったんだろう…?
まさか…ね。
その日の夜。真希と俺は遅めの夕食を摂っていた。バイトから帰って来た真希にもそれについて話した。
「不審者?それって目の錯覚じゃないの?じゃなかったらただの通りすがりの人とか」
「本当に見たんだよ。どんな人かは目悪くて見えなかったけど、俺との距離が近付いて来たんだ。すごく怖かった…」
焦って信じて欲しいと説明するのに対し、真希は少し考えて結論を出した。
「う~ん…。もし本当に不審者っぽい人だったら、猫目君のお母さんだったりして」
「真希~!亜希ちゃんと同じ事言わないでよー!!しかも満面の笑みで答えないでよー!」
いつの間にか今にも泣きそうな顔をして真希にすがりついていた。
「嘘嘘!ゴメンね。でも何かあったらすぐあたしに伝えてね」
と言って真希は食器を片付けた。
「亜希ー、明日健汰と紗希を幼稚園まで送ってってくれるー?」
「はぁ?何でよ」
2階から亜希ちゃんの叫ぶ声が1階まで響いた。
「明日高校は創立記念日で休みだから!迎えはあたしと猫目君が行くからー」
「わかったー」
「真希、迎えって俺も行くの?」
真希の言葉を聞いてすぐに喰らいつくように質問した。
「もちろん。親と言っても未成年だし姉弟だけど、子供の迎えは仕事の中で基本中の基本よ!いつもは晴汰と優汰が迎えに行ってるけどね」
「そうなんだ。でも俺が幼稚園まで行っても怪しまれないかな~…?」
「あたしが何とかするから大丈夫。心配しないで」
「うん、わかった」
俺が納得すると、すぐ風呂場へと向かった。
明日は高校の創立記念日だった。その日に何事もなければいいんだけど…。
飯野家は今日も平和な1日を過ぎて行ったが、俺の不安は残ったままだった。
翌日。真希と俺以外は全員登園・登校を済ませて家の中はほぼ空になった。真希は食器を洗いながらため息をつぃた。
「……。しばらくの間暇だ。どうやって時間潰すか…」
真希が呟くと、席でぼーっとしている俺はあることを思い出した。
「真希、実は買いたい物があるんだけどいいかな?」
「いいけど、何買うの?」
「弁当箱。この間のお昼に廊下で落としちゃってヒビが入ってね」
実はこの前の交際疑惑の日に階段で弁当箱を落としてしまい、幸い中身は漏れなかったもののケースの角にヒビが入ってしまったのだ。
現在俺の弁当箱はこれしか持っていなかった。
「ああ!あれってあたしが割っちゃったかと思ったわ!なんだよかった~…。じゃあ今から買いに行く?」
「うん、行く行くー」
という訳で飯野宅は完全に空になり、真希と俺は自転車で隣町の通りへと買い物に出掛けた。
隣町には『青葉通り』という原宿の竹下通りにあるような店がずらりと並んでおり、ブティックやファーストフード店はもちろんスーパーやクリーニング店もある。真希が勤めているカフェもここにある。しかし残念ながら竹下通りにはほど遠く店は少ない上に人の通りも少ない。
俺はここに来るのはあまりないが、飯野家に来てからは寄って行く機会が多くなりそうだ。
家から約30分掛けて青葉通りの門付近に自転車をめ停めた。そんな中を歩いていると、俺は考えていることを口にした。
「真希、弁当箱って何でもいいの?」
「ん?どういうこと?」
「真希ってさ、意外とケチに見えるからほば4割は100均の私物かと…」
言ってはいけないことなのは分かっているのに、どうしても真希のイメージはそれしか思いつかなかったのだ。
「ちょっと!それさぁ、まるであたしが貧乏にたいに聞こえんじゃん!…まあ事実そうなんだけど…」
真希は本気で俺を叱ろうとしたようだが、途中で止めてしまった。
何を考えていたのかは知らないが、あまり深く考えないことにした。
一瞬黙った後、真希は続けて答えた。
「た…確かにあたしの場合だけど、弁当箱は100均の物を使ってるよ。ただ、紗希と健汰はキャラ弁のもの使ってるけどね。基本何でもいいよ」
「ふーん…飯野家ってキャラ弁以外は100均のやつ使ってんの?」
「そう…だね…。キッチン用具や文房具、他の日用品も…いろいろ100均なの!」
それを聞いた俺は不意に吹き出してしまい、腹を抱えて笑った。
「いろいろ100均って!オタクみたいだねー!真希って面白い!」
ヤバい、つい本音が出てしまった…。
真希は恥ずかしさのあまりにそっぽを向いて反論した。
「しょ…しょうがないじゃない!本当なら亜希達に良い物買ってあげたいけど、高いんだもん…」
「ごめんごめん…。俺は別に真希のこと100均オタクだと思ってないけど…けど高いって普通じゃん?」
頑張って笑いを堪えようとしたが、それでも止まらなかった。
「そうだけど、あたしから見れば高く感じるの!」
真希は憤慨してしまったあまりに俺を追い抜いてスタスタと歩いた。その状況を悟った俺は後を追いかけた。
「待ってごめんっ、ごめんって!」
やっちまった…。こんなはずじゃなかったのに…。
罪悪感を感じてしまった瞬間だった。
真希は感情を静めたのか、元の速さで歩いた。
「で?猫目君はどうすんの?弁当箱」
後から追いついた俺は慌てて答えた。
「えっ、ああ100均のやつにするよ。安い方が良いからね」
「本当に良いの?猫目君の物だし高いやつでも問題ないけど…」
「ん?大丈夫」
しばらくすると100円ショップに着き、棚に並んでいる弁当箱を見て悩んだ。
すると2段重ねになっている青の弁当箱と一般的な大きさの1段の黒の弁当箱に目を付けた。
デザインで言えば青の方なんだが、量を考えれば黒なんだよな~…。
俺はどっちかと言えば少食だが、たかが100均の弁当箱で量の問題かデザインの問題かで悩むのは初めてだった。
「真希、どっちが良いと思う?」
思わず聞いてしまった。俺の弁当箱なのに。
『そういうの自分で決めろや!』と思っていたことと同時に『少食なのかな…?』と真希が考えてしまうことを一瞬感じてしまう俺がいた。
「そうだね~…。どのくらいの量で食べられるか考えてから選んでるからね~…。あんまり食べられないんだったら1段のやつでいいけど…?」
「そうか。じゃあこれにしよう」
量を考えるなら俺もそうしよう。
青の弁当箱を棚に戻し黒を選んだ俺は早速会計を済ませた。
そう言えば今何時だっけ?真希に聞こう。
「真希ー今何時かわか…。どうしたの?」
俺が真希の元へ戻って聞くと、ガラス越しの外を見ていた。
「さっき変な人がいて、そこに…あれ?」
真希が指を差した方向を見ると、人が通り過ぎていく様子しか目に映らなかった。
「変な人?何かの見間違いじゃない?」
まさか…、昨日の不審者…じゃないよね…?
青褪めた表情で真希に聞いた。
「違うって!あたし本当に見たの!」
「そうなの…?まあいいや。それより今何時か分かる?」
真希はバッグから携帯電話を取り出し、時間を確認した。
「えっとねー…。今12時になる前かな?」
「あのさ、思ったんだけど健汰君と紗希ちゃんの迎えって何時?」
俺が時間を聞きたいのはそれだけのことだった。
「大体2時頃だよ。それまでの間お昼にしない?お腹空いたし」
「そうだね。何食べる?」
「この近くにあるすごく安いファミレスとか、目の前にある●クドナルドとかあるけど…。何でもいいよ」
「じゃあ…、そこでいいよ」
俺は店を出ながら目の前にあるファーストフード店を指差した。
「いいよ。行こう」
俺達はそこに入り、昼食を摂り始めた。
「あのさ真希、この暮らしにちょっと慣れたのはいいんだけど、実はちょっと不安なんだ。今後親や学校の皆にバレたらどうなるのかとか」
ポテトを数本摘みながら真希に打ち明けた。
もしお客さん(特に先生とか真希の親戚とか)が来たらどうしたらいいのか、その対策を考えて欲しい。それがなければ俺の居場所はなくなるかもしれないし、飯野家にも迷惑がかかる。
真希は少し考えてから結論を出した。
「そうだね…。とりあえず今後は家に居ない振りをしていかないとね。靴は部屋の中に置いとくとか、突然の訪問客とかが来たら…、どうしよう、悪いけど押入れの中に隠れてくれる?」
「ああ、いいよ。…あれ?」
すると俺の目の前で座っている奥の女性を見た。その女性を見ると、何となく状況を悟った。
き…昨日の不審者だ…!!
まずい!何でここに居るんだ!?
「どうしたの?顔色悪いよ?」
「ちょっとね…。へ…変な人が俺らのことを見てるような…」
真希は俺が指を差している方向に振り向いた。真希が見ると女性はすぐさま顔を隠した。
「ほら!あたしが言ったこと本当だったでしょ!」
恐らく俺が見た女性とは真希と同一人物のことである。
「真希が言ってることは本当みたいだね…。ここに不審者がいるってことは…」
真希と俺が顔を見合わせるとガタンと席を立ち、ゴミをまとめて慌てて処分した。
「辻褄が合うかも!早く行こう!ついでに紗希と健汰の迎えもね!」
急いで店を後にし、門に停めてある自転車に乗って幼稚園へと逃げた。