プロローグ
「かわいい…よく頑張ったな、美代子」
「ありがとう…涼介…あなたも頑張ったわね…」
今から17年前の1997年の12月9日。私は飯野家の長女として生まれてきた。私を見てとても喜んでいる父・涼介と母・美代子。このときの私は生まれたばかりで知らないのも当然であるが、私がこの世に生まれてきたことが両親にとって一番の幸せであったとのこと。
「名前どうする?」涼介が美代子に尋ねた。
「そうねぇ…」美代子が唇に人差し指を当てて考えると、続けてぼそっと呟いた。
「この子には…真の希望を持って欲しいわ…」
「真の希望…か…真希はどうかな?」
「いいわね…その名にしましょう…真希、聞こえる?ママだよ」
こうして私は「真希」と名づけられた。
それから私は両親が新婚当初から住んでいる家ですくすくと育ち、2年後には亜希という妹が出来た。姉妹が出来る前までは両親に叱られたり、褒めてくれたり、優しい愛情に包まれていた。いわゆる両親を独占していたということになる。母曰く「結構やんちゃ」であったようだ。当時1歳半の私は妊娠している母の姿を見て「おねえしゃん?おねえしゃん?」と何度も質問するくらい興味津々で姉になることがとても楽しみにしていたらしい。
妹が出来てから私のわがままで叱られて我慢することが多くなり、自分で出来ることは渋々とやった。もちろん母が亜希に構っている様子を見て嫉妬することも多かった。しかし亜希を恨むことはなかった。むしろ妹を大切に思った。一緒に遊んだり、亜希を応援していた。
私が幼稚園年中になると、今度は弟の晴汰が生まれた。妹が出来る前の私は結構やんちゃであったのに対し、亜希は真逆であった。母を晴汰に独占されていようが、彼女は何も動じなかった。寝ているか、一つのことに集中しているかのどちらかが多かった。たまにわがままを主張しては泣き叫ぶこともあったが、基本的には無関心のような存在であった。
「あの時は結構育てるのが楽だったなぁ~」当時を振り返っていた父と母はまれにこう呟いていたことを今でも私は覚えている。
それから3年後、小学2年生になった私はまた家族が増え、優汰という弟が出来た。晴汰にとっては初めての下の兄弟が出来たため、とても喜んでいた。兄となった晴汰は弟が出来たばかりの私と同じわがままを主張し、両親に叱られていた。私と亜希は姉として晴汰に「長男としての自覚を持ち、しっかり生きろ」的なことを伝えながら共に成長していった。
時は流れて2008年。小学5年生になった私はまた1人妹が出来た。だが、私達の喜びと引き換えに大切なものを次々と失っていくことをまだ知らなかった。
三女である紗希の誕生日であり、思いもよらぬ不幸が訪れた日でもあった。母が入院している病院から連絡があり、何故か私だけ学校を早退させられ病院へと連れられた。病室に入ると、ベットで横たわっている母と当時3歳の次男の優汰の姿が見られた。私は慌てて母の元へ駆け寄った。
「お母さん、陣痛が起きたって…」
「真希…。お母さんは大丈夫よ…それより学校は…?」
母が弱々しい声を出すと、私は少し気を落ち着かせて事情を説明した。
「そうなの…。ごめんね心配かけちゃって…」
「そんなのいいよ、だってなた新しい家族が増えるんだから」
「…そうね。もうこんな時間ね。晴汰は大丈夫かしら…。それに亜希も…」
時間は1時45分を回っていた。幼稚園年長になっていた晴汰の迎えの時間まで15分を切っていた。小学3年生の亜希もこの日は早めに下校する。
「私が迎えにいくよ。お父さんも途中で仕事抜け出したら大変でしょ?」
「確かにそうね…。それじゃあお願いするわ」
「わかった、行ってきます」
病室から出ようとした私は、足にしがみついてる優汰を見下ろした。
「優汰も行きたいの?」
すると優汰は無表情で静かにこくんと頷いた。
「優汰も連れてってあげたら?」
母にそう言われた私は2人で病院を後にし、幼稚園へと向かい始めた。
私は優汰の手を引いて歩いて行った。晴汰が通う幼稚園は目と鼻の先だ。
「ゆーた…おにいしゃん?」
突然の言葉にちょっと驚いた私は少しの間を空けて言葉を返した。
「うん、そうだよ。優汰がお兄ちゃんになるからにはちゃんと面倒を見なきゃいけないからね」
そう言ってる間に幼稚園にたどり着いた。この時は既に降園の挨拶を済ませていたようだ。晴汰の担任の先生が私に気づくとすぐに晴汰を呼んだ。
「せいちゃん、お姉さんが迎えに来たよー」
「先生こんにちは」
「こんにちは。今日はお母さん病院なんですね?」
「はい、今日出産の日なんです」
「まぁ、おめでとう!!お母さんにもそう言ってくれるかしら?」
「ありがとうございます。母にそう伝えます」
そのような会話をしていると、晴汰が教室から飛び出してきた。
「せいちゃん、また明日ね」
「うん、せんせーさよーならー」
幼稚園を後にした私達は小学校へと向かい、亜希を迎えに行った。
病院へ向かうと途中通りかかった自販機を見た晴汰がジュース飲みたいと私に要求をしてきた。仕方がなく私は200円を入れて、欲しがっていたオレンジジュースを購入した。晴汰がジュースを飲む姿を見た優汰もそれを飲みたかったのか缶を奪おうとしていた。
「だめ、それ俺の!!」
「ちょっと晴汰、優汰も飲みたがってるんだから少しあげたら?」
私の注意を受けた晴汰は渋々と缶を優汰に渡した。
2人がジュースを飲み終えると、オイルの臭いが漂って来るのがわかる。どうやら交通事故でも遭ったようだ。
「お姉ちゃん、もしかして…」
やっと口を開いた亜希も悟った。
「早く行こう!!」
私達が現場の方へ行くと、見覚えのある白い車が炎上していた。間違いない。あれはお父さんの車だ!
「お父さんが!」
父の元へ行こうとすると、「危ないから入るな」と警察に止められた。すると救急救命士が男性を救急車へ運んでいる姿を見た私達はすぐにそこへと追った。私達は唖然とした。そう、運ばれているのは大火傷を負った父の姿だった。
「お父さん!!」
「どうしてこんなことに…」亜希はぽかんと口を開けてまだ信じられずにいた。
私は救急救命士に私の父であることを説明し、母のいる病院まで同伴することになった。
どうしてこんなことになったのだろうか…。お父さんはまた妹が出来るのを楽しみにしていたのに…。
病院に着くと父は手術室へと運ばれた。
「亜希、お母さんの所に行ってもう少しで生まれそうだから」
「お姉ちゃんは?」
「私はお父さんの所で待ってるから、早く!!」
「わかった」
亜希はそう言うとすぐ母の所へ向かった。
しばらくすると父の手術をしていた男性の一人が中から出てきた。意外にも早く終わったのかとおもいきや思わぬ言葉を言い渡された。
「大変言いにくい話ですが、午後4時51分にご臨終の時間となりました」
父は死んでしまった。この世から私達にとって大切な家族の1人がいなくなってしまった。私は絶望のあまりにひざまつき、大粒の涙を流しながら床に叩きつけた。この声は廊下中に響き渡った。
「何で泣いてるの?」
晴汰が私に声を掛けてきた。まだ6歳の年じゃこの状況は伝わらないのも無理はなかった。私は晴汰と優汰に父が死んだことを説明すると、晴汰はしばらくしてから泣いた。優汰はまだ状況が掴めないようで、無表情のままだった。
すると男性は私達にこう言った。
「あなた達のお父さんから最後に伝えたいことが…」
母のいる病室へ行くと、無事に出産は終えていた模様だった。
「お姉ちゃん、何で…」
亜希が私に問うのを終える思いきや私の表情を見て悟った。
「駄目だったんだね…」
亜希の表情はがらりと変えて言った。私は無言で母の所に寄って父が最後に残した言葉を伝えた。
「お母さん、お父さんね…交通事故に遭って死んじゃった…。けど生まれた妹の名前はもう決まってるから…この子…いとへんに少ないという字で紗、希望の希で…紗希」
こうして2年後、三女の紗希は父の温もりを知らずに育っていった。
同年、母のお腹にまた新しい命が出来た。しかしこの時母は癌を持っていることを医師に知らされるまで楽しく暮らしていた。何の癌かは忘れたが、母の命と6人目の子両方とも助かるという選択肢はなかったことだけは覚えている。
「お母さん、…死んだら嫌だよ…」
中学1年生になった私は不安と恐怖でいっぱいだった。
「大丈夫よ。手術すれば助かると言ってたし、また楽しく暮らせるわ」
この時の私は信じていたが、母の笑顔は嘘だった。一緒に暮らせるとずっと思っていた。
そして出産日。無事に弟を出産したが、母は「生き延びなさい」と最後の言葉を残してこの世から去ってしまった。私は健やかに成長することから健汰と名付けた。また大切な人を1人失った。
実の親が両方ともいなくなり、私達は父方の祖母と暮らした。健汰は両親の温もりを知らず祖母に育てられたため、私達は哀れだなと感じてしまった時が少なくなかった。それでも飯野家は真っ直ぐに進むべきだと強く生きることにした。
そして2014年。祖母は去年老衰で亡くなり、今は父方の叔母と暮らしているが、仕事が忙しいため帰らないことが多い。
「お姉ちゃん、今日の宿題多いから夕食作ってくれない?」
「真希姉ー、紗希と健汰が揉めてるんだけど」
「真希姉貴、ゲームやっていいか?」
「亜希、わかったからさっさと手動かして!優汰、何で見てるの!?わざわざ報告しなくていいから2人を止めて!!晴汰、ゲームは1日1回1時間って言ったでしょ!?今日何回やってるの!?」
高校2年生になった私は家庭の為に弟妹の面倒、学校やバイトなど重く背負いながら今日も明日に向かって平和な日常を過ごしていく。