遭遇、衝突少女
その日はいやに綺麗な夜空だった。もちろん都会のことだから満天の星空、とはいかない。だけど深夜も午前二時をすぎて街の灯りが控えめになったおかげで星がよく見える。小腹を満たすためにコンビニに出かけなければ、そして通りがかった家に笹が飾られていなければ、今日が七夕ということにも気づかなかった。短冊に願い事を書かなくなったのはいつからだろうか。くだらない優等生を演じ始めるより前だったのは間違いない。今、俺が願い事を書くとしたらなんと書くだろうか。
「空から美少女が降ってきますように……ははっ、なんてな」
苦笑し、寄りかかっていた歩道橋の欄干から勢いをつけて離れると、目の前に女の子の姿を見たような気がした。俺の覚えているのはそこまでで、次の瞬間には俺はどこかこの世とは思えない場所に横たわっていた。何が起こったのかは理解できなかったが、それでもなにか本能的な感覚により、『俺は死んだ』ということが自覚された。
目を覚ますと俺はどこかに横たわっていた。無理やり例えるなら、宇宙空間のようなところといったところだろうか。周りはぼんやりとした白いもやに覆われてはっきりしたことはわからないし、体は指の一本に至るまでが金縛りにあったように動かないから情報収集もままならない。しかし曖昧模糊を形にしたようなこの世界の中で、ただ一つ明確にわかっていることがある。
(俺は……死んだんだな)
歩道橋の欄干から離れたところまでは覚えているが、肝心の死の直前の記憶がないために原因がまったくわからない。しかしあの場所にはもう戻れないことだけはわかっていた。そして死んだとわかると俺はまず自室の本棚を心配した。教科書や参考書の裏に隠された本棚に詰め込まれている、即売会で買い込んだ薄い本たち、とりわけ触手陵辱ものなどを両親が見つけた日には失明しかねないほどに目をこすってしまうだろう。そして次にクローゼットの中身を心配した。所狭しと貼られたポスターや使い込まれて柔らかくなった抱き枕を発見してしまったら、彼らは世界の理を疑いだしてしまうだろう。最後にパソコンのデータを心配した。俺が三年かけて集めた珠玉のエロ画像の数々(二次元限定)に、コンプ率百パーセントのエロゲフォルダを見つけてしまったらきっと発狂してしまうだろう。
と、後に残してゆく財産たちに思いを馳せていたそのとき。不意に人影が現れた。横たわる俺の足先より向こうにいるため、もやがかかっていて男か女かもわからない。
「おい、そこにいるのは誰だ」
シルエットがはっきりしないのが不安を煽り、俺はなかば無意識に問い直した。
「お前はいったいなんなんだ?」
するとそいつはこっちに近づいてきて傍らに来たので、俺を見下ろすような位置になる。そしてその姿を目の当たりにして呆然と口を間抜けに開けた俺に対して律儀にこう答えたのだ。
「わたしは魔法少女ですぅ」
「ま、魔法少女ぉ!?」
足先まで届きそうなくらいの金色のツインテールやショートケーキを思わせるふんわりした装束、現れた彼女はまるでテレビから抜け出てきたような魔法少女だった。ここまであからさまだとかえって怪しいような気もするが、死んだはずの俺が意味の分からない世界で現実もへったくれもない。魔法少女が出てきても不思議じゃないと思えてしまう。
「私は魔法の国からレムラブを墓場の国に運んでいる途中、レムラブに逃げ出されてそれを追って地球に来たんです」
「レムラブ?」
「世界の平和を乱す、悪魔のような魔物です。あなたには本当に申し訳ないことをしました」
「申し訳ないことって……」
「私の不注意で、亜光速での移動中にあなたと衝突してしまったんです」
「な、なにぃいいい!?」
ということは……図らずも七夕の願い事が叶ってしまったわけか。死んでしまうのは高すぎた代償ではあるが。
「でも大丈夫です。その代わり、私の命をあなたにあげます」
「お前の命を? お前はどうなるんだ」
「あなたと一心同体になります。そして地球の平和のために働きます」
そうして彼女は曲線の多用された柔らかいデザインの手のひらサイズの機械を俺の胸に置いた。
「これはなんだ?」
「ローベルンです」
「ローベルン?」
「困ったときにこれを使ってください。そうすると……」
「そうするとどうなる?」
「ふふふっ……心配することはありません」
彼女のいたずらっぽい声を聞いているうちに意識が遠のいていくのを感じる。
「ま、まて……ま、だ……ききたい、ことが……」
無理やり言葉を絞り出そうとしたが、睡魔にも似た強引なそれに俺はついに意識を手放した。
デジタル時計の電子音が聞こえて、俺は身を起こした。俺はいつもの通り窓際に置かれたベッドの上に身を起こしていて、周りに広がる風景は見慣れた自分の部屋だ。時計のアラームを止めて少し耳を澄ませば、窓の向こうで雀が鳴いている。これ以上ないくらい平凡な風景の中で、俺は先ほどまでの光景を思い出す。自分が一度死んでまた生き返ったなどとはとても思えない。今までのことはすべて夢だったと言われた方がまだ信じられる。しかし、勉強机の上に置かれているアイスの水滴が沁みたビニール袋が、あれは現実のことだということを証明していた。
あまりぼんやりしていたせいで母親が部屋まで呼びにきたため、とりあえず高校まで登校してきたが、身体にも精神にも特に支障はないようだ。問題がなければ俺はまた優等生を演じなければならない。
「おいっすー、早太! 悪いんだけどさ、宿題見せてくれない?」
「あ、進川くんやっと来たー。ね、昨日のあれさぁ……」
死んで肩の荷を降ろすか、生きて優等生を演じ続けるか。どちらがいいかは言うまでもない。
ふーっと長いため息をついて家路につく。今日は珍しくいつも声をかけてくる連中に軒並み用事があったらしく一人での下校だから、俺の頭はすでに自分の部屋へ飛んでいる。誰か他人と会った日には必ずエロゲをプレイしてエンディングを一つは見ないといけない。三次元の相手は疲れるのだ。
「あれ……おかしいな」
しかし校門を出た途端、思わず思考が言葉としてこぼれおちた。
「地球に怪獣なんていたっけか……?」
校門の前の坂道に、体長二十五メートルはあろうかという怪獣が仁王立ちで俺を迎えていた。わかりやすく例えれば熊を二本足で立たせて耳の代わりに角を生やしたみたいなビジュアルだ。比較的広い道とはいえ、隙間をなくそうと躍起になって建物を建てたようなこの街の道なんぞに収まるようなデカブツではないため、両端の家が踏みつぶされている。
「おいおい……夢にしては美少女が足りてねえぞ」
俺の後ずさりにあわせて怪獣も進んでくる。
「ちっ、どうしろってんだよ」
校門をくぐってしまったら確実に逃げ道がなくなる。俺はカバンを投げ出すと、夕闇迫る街へと命がけの逃避行を試みた。