第2章 第零幕
泣きっ面に蜂、ふんだり蹴ったり、弱り目に祟り目、なんてことわざや慣用句があるようにどうやら昔から不幸というものは続けて降り掛かってくるものらしい。もっとも今回俺が骨を折ることになる出来事は大港中文化祭襲撃事件という最初の不幸に比べれば、これを不幸と呼ぶことがおこがましいぐらいの日常の中の一件ではある。しかし、一週間の間で起きるこの出来事は『日常』という枠組みにおいて考えるのならば大きな転換期となる一件であり、俺の中のとある認識を改める結果となったのも事実だ。
俺はこの一件に己の無力さに打ちひしがれるわけでも、恐怖に怯えていたわけでもない。ただ愚痴をこぼしながら労力を費やしただけだ。そして俺が得たものといえば、今更と言える人間関係の変化と幾ばくかの不快感、あとは友人からの感謝の言葉ぐらいだ。それでも俺の世界観を大きく変えたあの二日間が終わった直後、つまり病院を出て野中さんと食事した日の翌朝から始まることでもなければ後々の思い出話として片付けられるような話。
結局のところ、要はこの話は『日常』の話。俺があの三人に与えるべき日常の一幕。
話は変わるが、俺は以前いわゆるオタクの友人から「ギャルゲーの主人公」と呼ばれたことがある。どういうことかと聞いたところ、自分に世話を焼く幼馴染の女の子がいて、自分のことを「お兄ちゃん」と呼ぶ後輩の少女がいて、地味に女子からモテる、それに加え親は滅多に帰ってこない、とかなりテンプレに当てはまるらしい。
そんな訳がない、と言いたいがほとんど事実なのだから言い返せない。しかし、俺に近づく女性の半分以上は「医者の息子だからお金持っていそう」かつ「父子家庭だから女の子に慣れていなくてあっさり落ちそう」という打算的な理由である。正直、酷い時は女性不信に成りかけた。
自分で言うのも何だが、佳奈と美沙希は純粋な好意を俺に向けていることは気付いている。しかし、俺がそのことでリアクションせず気づいていないふりをしているのは俺自身の性格とそういう過去があるからだ。普通、そういうゲームの主人公は自分に向けられる好意には鈍感である、と聞いた。そう考えると友人からの評価は根本から否定できるな。
しかし、本当に無自覚にモテる男いうものはいるもので。俺が親友と呼ぶその男はわりと顔立ちもよく誰に対しても分け隔てなく優しく接し、そして女の子から向けられる好意には非常に鈍感。むしろこいつの方がそういったゲームの主人公に近いだろう。
しかし、俺は知っている、この男が何をされても揺るがないことを。なぜならばこの男にはただひたすらに一途に想う女の子がいるからだ。幸か不幸か、そんな男の親友である俺はこいつに好意を向ける様々な女の子からこいつの好みを伺うように頼まれたり、外堀を埋める為のアピールを受けたりしたことが何度もある。もし、その経験をもとに客観的に好感度を集計したら、こいつの想いを寄せる女の子はブッチ切りでトップを走っているだろうな。つまり十中八九両想いなのだ、この二人。正直ここまで来るとこっちとしてはヤキモキする、なぜ直接的な行動に移さないのだろうか。もっとも「お前に言えた義理か?」と尋ねられたら、佳奈と美沙希のことがある限り俺は言い返せないだろう。
さて、ここまで来れば俺がいったい何に労力を費やしたのかなんとなく解るだろう。俺はいい加減、目の前で繰り広げられる恋愛喜劇に飽き飽きしたのだ。
とはいえ俺の「最初の一歩までが遠いが、踏み出しさえすれば全力で突っ走る」という性格上、俺自身は動くつもりは毛頭なかった。では、なぜ動くことになったのか。簡単だ、女って生物はどうして他人の恋愛模様に首を突っ込もうとするのか。そして何故俺が頑張らなければいけないことになるのだろうか。
今回の俺は主役の背中を押す親友キャラ、というところか。地味に責任重大な気がするのはなんでなんだろうね。
各章始まりのこの語り、古畑任三郎シリーズ冒頭のアレみたいなものだと思ってください。