ハロウィンの日
その日、家に帰った瞬間から面倒なことに巻き込まれるとわかっていた。
母親が、笑顔でレイを手招きしている。
この状況で、良いことなどあった試しがない。
「レイ、今日は何の日か知ってる?」
そう言われて壁にかかっているカレンダーを見た。
今日は10月31日。
レイの体内時計が正確なら、今日はハロウィンだ。
「しらない……」
反射的に知らないふりをしてしまう。
それも仕方がない。
正直に答えたところで、帰ってくる答えは同じだ。
「ハロウィンでした! ということで、これ。店番よろしくね」
ほらみろ。
ケーキ屋なんてやってるレイの家に、世の全てのイベントは儲け時でしかない。
両手に押し込まれた衣装を手に、レイは自分の部屋へと上がる。
階段の途中で漏れてしまった溜息は、もう何度目だろう。
「母さん!」
「あら似合うじゃない。よかった」
一階の店に顔を出すと、平然と言ってのけた母親を恨めしげに睨む。
冷蔵庫から出て来た父親も、上から下まで見下ろすと悪くないなと呟いた。
「魔女って……色々おかしいだろ」
母親に渡された衣装は、何故か魔女。
安物だと一目でわかるビニール素材のマントに、とんがり帽子。
靴も、先が尖っている。
銀髪の長いカツラまで付いているのだからやるせない。
男のレイに、この格好は色々と問題がある。
「だってあなた、女顔なんだもの」
そんな理由で、17歳の息子に魔女コスプレをさせる親がどこにいる。
「カボチャでもいいから、これは嫌だ!」
全部着てしまったレイが言うのも説得力がない。
ただ、駄目もとで言っておきたかっただけだ。
「駄目。カボチャは母さんがしたいの」
母親の希望なんて聞いていないと言いたかった。
正確には、言おうとした。
ただ、口を開いた瞬間、レイの視界は暗転した。
「魔女様だ! 魔女様が復活なさったぞ!!」
「成功だ。召還が成功した!」
石造りの平たい台の上に立っている。
チープな靴の裏からでもその冷たさがよくわかる。
その周りを囲うように老人達が涙を流しながらレイを拝んでいた。
「魔女様、名はなんと?」
レイは、それが自分のことだろうかと疑問に思った。
思ったところで自分の格好を思い出して頭を垂れる。
「……レイ」
レイが名を名乗っただけで、周りの老人達は声をあげて泣いた。
感動しきりの老人達を尻目に、レイの頭は冷えていく。
「聞いたか、みなの者! なんと力強く圧倒的なお声だろうか」
そうだ、そうだ、と続く歓声に、レイは銀のかつらを取るタイミングがわからない。
「祝いだ。祝いをもってこい!!」
一番偉そうな老人が下っ端であろう若い者に言いつける。
「偉大な魔女、レイ様。どうぞお納め下さい」
声も手も震えている。
震えでかたかたと鳴る箱をレイがあけると、思わず顔を引きつらせた。
「ケーキ……」
直径21センチ、俗にいう七号サイズのホールケーキがそこにはあった。
本来なら8〜12名程度で食するそれを、一人で食えという。
生クリームがソフトクリームのように盛られ、様々な果物がくっついている。
形も不揃い、色も決して綺麗ではない。
「バランス悪すぎ」
「え?」
レイは受け取りもせず、生クリームの塔の一番頂きを指ですくってなめた。
「…………」
「お、お味はいかがでしょうか。国一番のケーキ職人が腕をふるったのですが」
レイの表情が一向に晴れないからか、聞いてもいないことをべらべら喋る。
「そいつは誰だ」
鋭く睨むと、献上しにきた若者がびくりと跳ねる。
老人達がそっぽを向く中、若者は素直に洞窟の奥を見てしまった。
そこには、黄ばんだコックコートを着た20代半ばの女が立っている。
「わ、わたくしでございます」
「ちょっと来い。食え」
レイが手招きすると、ケーキ職人は駆け足で寄ってきた。
レイが若者の腕からホールケーキを奪い、ケーキ職人の方へと差し出す。
「食え」
「はいっ!」
緊張でケーキ職人の声が裏返る。
レイと同じように生クリームを指ですくったケーキ職人はそのまま口に運んだ。
「これが何か」
「これをケーキと呼ぶなら、この国のケーキは滅べ。クリーム泡立て過ぎ」
「は?」
「混ぜ過ぎって言えばわかる? 口当たりが悪いだろ。この生クリームはケーキ向きじゃない。脂肪率30〜35%程度だろ」
「おっしゃる通りです」
呆然とレイを見るケーキ職人に、溜め息をひとつこぼす。
「軽いんだよ。45%くらいまで濃さを整えた方がいい」
「はい!」
「うっかりするな、ヘビークリームは固くなりやすい。混ぜすぎるのも駄目だ。こんな風に口当たりが悪くなる。生クリームは直前まで冷やしてるよな?」
「は……はい、たまには」
「たまにってなんだよ、たまにって。本当お前ケーキ屋やめろ。牛にすいませんって頭下げて来い」
レイはこの世界を救うために召還された魔女のはずだった。
しかし、ケーキに対して怒っていることに老人達は目を向く。
何故ケーキ。
そして牛。
「俺に突っ込まれてるようじゃ、店持つなんて早いんだよ」
ふざけんな、そう言ってレイがとんがり帽子を脱ぎ捨てたと同時にかつらが落ちる。
それを見た老人達は、一同に目が点になった。
「……………………誰だ貴様!!」
「お前等が誰だよ!」
額に血管を浮かせて怒る老人達に、レイもすかさず言い返す。
それは至極もっともで、誰も何も言い返せなかった。