表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

無能と呼ばれた夜

「経験、買い取ります。」


もし帰り道、そんな看板を見つけたら――あなたは、足を止めますか?

誰にも言えない悔しさ。理不尽。孤独。

「なんで自分ばっかり」と呟きたくなる夜。


この物語は、そんな“もう抱えたくない経験”を引き取ってくれる店から始まります。

けれど、経験を手放した先にあるのは、ただの救いではありません。

痛みが消えた世界には、痛みと引き換えに失ってしまうものもある。


苦しみは、奪えば終わるのか。

それとも、抱えながら越えていくことで、初めて“自分の物語”になるのか。


疲れた心にそっと寄り添いながら、少しだけ不思議な扉の向こうへ。

どうぞ、ゆっくり読んでいってください。

カタカタカタカタ――。

パソコンの音が、乾いたオフィスに虚ろに響く。

その上から、鋭い声が降ってきた。


「何度言ったら分かるんだ。君が無能だから、上司の私まで笑われるんだぞ?」


俺の名前は 青山あおやま 柔悟じゅうご

信用証券に勤める、入社2年目の営業マンだ。


営業ノルマは月1000万円。

今月も未達で、今日はその報告を上司――

難波なんば つよし にしなければならない。


今日も怒鳴られるのかと思うと、

行きの電車から胸が重かった。


(今月は未達であります。来月は必ず達成します。)

頭の中で何度もシミュレーションして、

重い足取りで会社へ向かった。


会社に着くと、難波がこちらを一瞥した。


「青山くん。今月は1000万だったよね。なんで達成してないの?」


「……申し訳ありません。」


「無能な奴は給料減額だ。お前は会社のお荷物なんだよ。」


短い沈黙。

その沈黙のほうが、怒鳴り声より胸に刺さった。


「はい。次は必ず達成します。」


視線を落とした俺に、難波は続ける。


「分かればいい。早く人間になれよ、青山。

分かったら、外回り行ってこい。」


俺は返事もそこそこに、会社を飛び出した。


「おはようございます。信用証券です。

自社の商品のお話、聞いていただけないでしょうか?」


何件も、何件も回る。

「結構です」「結構です」

断りの言葉だけが積み重なっていく。


歩きながら、ふと思う。


(もう、壊れそうだ。)


帰りの電車に揺られると、視界が滲んだ。

泣きたいのか、悲しいのか、自分でも分からない。

ただ、心の居場所がどこにもない――そんな感覚だけがあった。


(お前は無能だ。)


難波の声が、胸に刺さったまま抜けない。


ふと顔を上げると、細い路地の奥に

古びた看板が揺れていた。


『経験、買い取ります』


怪しい。

でも、不思議と目が離せなかった。


カランカラン。

扉を開けると、薄暗い店内に大きな扉と一人の男性が立っていた。


彼はゆっくりと微笑む。


「初めまして。経験買取屋の 黒岩くろいわ 遥生はるき と申します。

……もう抱えたくない経験があるのですね?」


半信半疑のまま、俺は話し始めた。

パワハラ上司のこと。

自分が無能だと感じること。

このままでは、心が壊れそうなこと――。


黒岩は目線を落とし、静かに言った。


「それは……大変な経験をされましたね。

よければ、その経験、私に買い取らせていただけませんか?」


「買い取れるものなら、買い取ってほしいよ。

この悲しみと苦しみが消えるなら。」


「承知しました。

では――アフターラインゲートが開かれました。」


最初に見た大きな扉が、光を帯びて輝き始める。


「こちらがアフターラインゲートです。

この扉をくぐり、次の扉を開けば……

苦しみの経験が終わった“あとの世界”が続いています。

青山様、行かれますか?」


「もちろん。行きたい。」


「承知しました。――アフターラインゲート、開かれます。」


扉は青白い光を強めていく。


「こちらへどうぞ。案内人が参ります。」


そのとき、扉の向こうから女性が静かに歩み出た。


「案内人の 月城つきしろ 莉音りおん と申します。

……青山様、ついてきてください。」


息をのみ、俺は光のゲートへ足を踏み入れた。


ここまで読んでくださって、ありがとうございます。


第1章では、青山柔悟という“限界寸前の営業マン”が、

『経験、買い取ります』という看板に導かれて扉の前へ立つところまでを書きました。


――でも、この店を訪れるのは、青山だけではありません。


同じように、努力しているのに報われない。

誰にも弱音を吐けない。

それでも笑って頑張らなきゃいけない。

そんな日々の中で、心の奥からこぼれ落ちる言葉。


「……なんで、私ばっかり。」


次の章では、化粧品メーカーで働く灰原力乃の物語が始まります。

メイクに救われた過去がある彼女が、現実に押し潰されそうになりながらも、

それでも“夢”を手放せない理由とは何なのか。


そして、同じ看板を見つけたとき――

彼女は何を差し出し、何を守ろうとするのか。


どうか、2章も見届けてください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ