第四話 秘密のお出かけ
シヴァに手を引かれて、夜道を歩く。胸が高鳴るのは、大人に反抗してこんな夜更けに出掛けてしまったせいだろうか。それとも、先を行く彼の手の温かさのせいだろうか。
握られた手を見てついつい表情を緩めながら、私は前夜祭の会場に向かっていた。約束した東屋に着くと、身を隠すための子供用のマントを二人分準備したシヴァが待っていたのだ。マントを着込んで彼の後に続いて生け垣をくぐり木に登り、壁を超えるのはちょっとした冒険をしているようでワクワクする。何よりお嬢様として暮らしてきて、木登りすらしたことが無かった私を優しくエスコートしてくれるシヴァは小さな紳士のようで。二人で逃避行でもしているような状況は、ゲームや漫画で見た光景を思い出してしまう。くすくすと笑う私に、シヴァは少し不思議そうにこちらを見ていた。
歩みを進め広場の中心に近づくと、光が増してくる。円形の広場は中心に噴水が設置され、様々なお店が立ち並んでいた。普段はもう人通りもないはずなのに、そこにはたくさんの人が集まっている。
色とりどりの明かりに楽しい音楽。噴水を中心に踊る人々と、簡易的に設置されたステージの上で音楽を演奏する楽団。そんな大人数の立派な楽団ではないにしろ、町の人と同じような格好で陽気に音を紡ぐ彼らはこの場所にぴったりだ。
踊る人々の周りにはベンチやテーブルが設置され、屋敷の使用人服を着た人々が配った食事を手にした住人が座り談笑している。日本のお祭りとはまた違った様子に、思わず見入ってしまう。完全に足を止めていた私を、シヴァは手を引いて端の方に誘導した。
「あまり遅くなると気付かれるから、一時間だけ。少し見て回って軽く何か摘まんだら帰るぞ」
それはそうだ。バルバラやお父様達を無駄に心配させるわけにはいかない。了承して頷くと、シヴァは私の手を引いて町中を歩いた。
「みち、わかるの?」
「屋敷に来るときに馬車から見えたんだ。なんとなくだけど、まあ行き帰りの道順は確実に分かる」
馬車から見ただけで覚えてるとは、なんという記憶力。驚きつつも見慣れない光景を眺めるのは、すごく楽しい。
本当に夜まで子供が起きていたようで、何度か兄弟や友人同士で固まった子供の集団とすれ違った。広場から伸びた大通りにも小さな露店があり、そこの店主も客と一緒に呑みつつ笑っている。
一通り見て回ると、広場のベンチに腰を下ろした。踊る人々を眺め、音楽に耳を傾けていると周りで曲に合わせて歌っている人がいる。聞きなれないフレーズだったが、町民向けに流通した歌はリズムも歌詞も単調で覚えやすい。一緒に歌ってみると、その空間との一体感が増したようで楽しかった。
「シヴァもうたお!」
「オレはいい」
誘ってみるも断られてしまい、少し落ち込む。そんな私に気付いたのか、少し待っているよう言ってシヴァは真面目な顔で踊っている人々を見つめた。
「見てろよ」
しばらくすると、一人で立ち上がり踊っている人々の輪に加わる。陽気に踊る人々と彼のステップや仕草はちゃんと一致していて、始めてとは思えないほどしっかり踊りこなしていた。マントが翻り、彼の細い手足が舞う。華やかな明かりに照らされた彼のシルバーグレイの髪は、動きに合わせて揺れながらキラキラと光り輝いている。
時折私の存在を確かめるように空色の瞳をこちらに向け、自慢げにしている様子に完全に私は見惚れていた。私の推しは、なんて素敵なんだろう。改めて名前もないキャラでありながら人気が出ていたことを思い出し、そりゃそうだよなと感慨にふける。
一通り踊り終わって戻ってきた彼は、少し息が上がっていて頬が赤く染まっていて艶めかしい。汗をぬぐうように髪を搔き分ける姿すら絵になる。
「シヴァ、すごい! じょうず!」
立ち上がりながら拍手で迎えようとすると、突然大柄な男性が話しかけてきた。
「上手かったなぁ! 坊主。すげぇよ!」
どうやら彼の踊りを見ていた酔っ払いらしい。気軽にシヴァの肩に腕を乗せると、もう片方の手で持っていたジョッキを呷った。流石に酔っ払いに絡まれるとは思っていなかったのだろう。少し不愉快そうにしつつも、シヴァはその腕を振りほどかない。
「ね、シヴァ、すごくじょうずよね!」
私が男性に話しかけると、彼は少し目を見開いて意外そうな顔をした。そんなに変なことを言っただろうか。急に変わってしまった空気に気まずくなる。
「あれ?」
不思議そうに髭を撫でると、男性は首を傾げる。その様子に疑問を抱いたのか、不審そうにシヴァは男性に目を向けた。
「ちょっと、悪い……ああ、悪かったな」
そう言いながらシヴァの肩から手を外すと、男性は私達から隠れるようにして去って行ってしまった。
「どうしたのかな?」
「さあ?」
訳が分からずにいると、私の隣まで歩いてきたシヴァが男性の後ろ姿を見ながら同じように首を傾げる。水を差されてしまったようで空気が白けたが、気にせず私達は再びベンチに腰を下ろした。
***
「なんだって⁉ リリーが⁉」
その頃屋敷では、リリアンナとシルヴィオが二人だけで出掛けてしまったことがすでに知られていた。リリアンナを探しながら、もしかしてとシルヴィオの部屋も捜索したが案の定いなかったのだ。彼の部屋からは外出用のマントとその予備が無くなっている。
全てを報告され、屋敷の主人であるリリアンナの父アードリアン・モンリーズは顔を青くした。こんな夜中に子供が二人、勝手に抜け出した。それだけで大人として、彼らの保護者として心配になるのは当たり前だ。けれど、それだけではない事情があった。
「祭りに行ったのは確かなのか?」
「はい、昼間行きたいと私に伝えてきたので」
横に控えたバルバラが頷き、ため息をつきながらアードリアンは頭を抱えた。シルヴィオの保護者となったルネは、既に祭りの会場に向かっている。
「急ぎ使者を向かわせたので、ルネよりも先に会場に連絡が行くはずです」
連絡はしたし、ルネも向かわせた。ちゃんとやるべき手配は全て済ませてあり、後は沙汰を待つしかない。公爵である自分が祭りに急遽乗り込めば、住人に不審がられ祭りの雰囲気を壊してしまう。
父親である自分と公爵としての立ち振る舞いが求められる自分。今すぐ広場に行きたくとも行けず、彼は頭を抱えるしかない。
「……シルヴィオは、どうなりますか?」
「事情を知らないでやった子供のことだ。叱ることはあっても罰したり追い出すことはしないよ」
不安そうに尋ねたバルバラの言葉にアードリアンは答える。
「ただ、周りがどう思うか……」
それだけが心配だった。
***
祭りに来てからそろそろ50分が経とうとしていた。
「もうすこしでかえらなきゃね」
私の言葉にシヴァは頷く。あの後もう一度輪に加わった彼に連れられて私も踊ろうとしたが、ステップも何もかもがちぐはぐで全く上手くいかなかった。すぐに覚えられたシヴァはどうかしている。
踊り疲れた私はベンチに座りながらふと大通りの屋台に目を止めた。広場の屋台はお父様からの出資で出している店ばかりだが、大通りは一般の住民が出した店が並んでいる。
先程回った時に、アイスに似たような菓子を出している店があったのだ。この世界は冷凍技術が発達していないのか、焼き菓子やフルーツばかりで冷たい菓子は出てこなかった。日本で生活してきた私に、アイスは懐かしく魅力的に見える。どうせなら店主に聞いて、作り方を教わっても良いのかもしれない。
「あれたべたいの」
「あれ?」
指を差して教えようとするが、良く分からないのか首を傾げるシヴァ。アイスと言っても伝わるか分からないし、屋台の特徴を言おうにもどれも似たようなものだ。じれったくなった私は自分で買いに行くことにした。
「わたし、かってくる」
「一人で行くのか?」
「うん、シヴァはおどってつかれてるし、わたしがいく。ここにいてね」
私はお金を持っていなかったが、シヴァがお小遣いをいくらかもらっていたらしい。まだ貨幣の価値も金額の相場も分からないので、彼に二人分の菓子が買えるだけのお金を握らせてもらった。シヴァに手を振ってその場を離れると、急いで屋台に向かう。
もう時間は残り少ない。これを食べ終わったら帰る時間になってしまうだろう。
屋台を見つけると、私は何人か並んでいる列の最後尾に立った。心なしか冷たい空気が漏れていて、アイスが食べられるんだと思うと楽しみになる。
そんな私の隣に誰かが立った。何だろうと顔を上げると、薄汚れた服を纏ったいかにも貧相な男が私を見ている。酒を飲んで酔っているのか、その顔は林檎のように赤い。
「なん、ですか?」
この世界に来て始めて出会うタイプの人に面食らってしまうが、そんな外見で人を判断して態度を変えるなんてことしてはいけないのは分かっている。
「か、可愛い、な、ね?」
必死に取り繕おうとしている私を無視して、男は呂律の回っていない言葉を発する。ニタニタと下卑た笑みを浮かべた男の口からは、所々歯が無いのが見て取れた。その隙間から、ぼたぼたと涎が溢れている。品定めするような、獲物を見つけた猛獣のような視線には、生理的な嫌悪感と恐怖を感じた。
「あの……?」
急なことに身がすくみ、足が動かない。辛うじて声を出すも、精一杯取り繕った言葉だけだ。
「一緒、一緒に、ね? いいよね?」
もはや何を言いたいのか分からない。混乱したまま、男に腕を捕まれる。恐怖で声は出なかった。周囲の喧騒が遠ざかったように感じられる。
ちょうど私が並んでいた場所は、大広間から伸びた細い路地の目の前だったらしい。たった5歳の子供が抵抗出来るわけもなく、ずるずると路地裏へと引きずられて行ってしまう。
「やっ…!」
声を出しても届きはしない。私の出した声に気を良くしたのか、男はさらに腕を握る手に力を込めた。無理に引っ張られたせいで足がもつれ、倒れる。それでも気にせず男は私を引きずっていく。薄暗く、汚く、湿った、暗い路地裏へ。
そこで、ようやく私は思い出した。
何故リリアンナ・モンリーズが悪役令嬢になってしまったのかを。