第三話 転生後の生活
一通り落ち着いてから、私は乳母に断りを入れて起き上がった。着替えを手伝ってくれる彼女は、しきりに話しかけてくる。
「大丈夫ですよ、お嬢様。公爵様にとっての大事な娘はお嬢様だけですから」
どうやら、私がシヴァにお父様を取られて落ち込んでいると思っているらしい。元々リリアンナとして生きていたなら、そういう感情もあったかもしれない。でも、私は元々佐藤穂香だったのだ。そういう意味での嫉妬なんてするはずがない。
「ちがうのよ、バルバラ。ゆめがこわかっただけなの」
そう私が言っても彼女はハンカチの端で涙を拭くばかり。ああ、これは理解していないなと察して放っておくことにした。
着替えが終わると乳母に連れられて食堂へ向かう。広々とした食堂には、絵でしか見たことの無いような長いテーブルが鎮座し、その上座にはお父様が座っていた。
「おはよう、リリー。今日は遅かったね?」
「おはようございます、おとうさま」
朝の挨拶を交わし、綺麗にお辞儀をする。うん、ちゃんと令嬢らしく振舞えている気がする。顔を上げると乳母がお父様に何か耳打ちしていた。乳母の話を聞き、私に向かって慈愛に満ちた笑みを浮かべてくるのを見て話の内容を察する。
違うんですよ、お父様。
否定も出来ず、私は引いてもらった椅子に腰かけた。隣にはシヴァがいる。横目でこちらを見ている彼は、この屋敷の執事服を身に纏っていた。子供用に採寸を合わせたのか、大人びた服に着せられている彼はとても可愛い。
「おはよう、シヴァ」
「……はよ」
相変わらずぶっきらぼうに返事をしてくる。彼の席は私の下座だ。話しやすいように気を使ってか、隣同士にしてくれている。本来ならお母様が座るであろう正面の席には誰もいない。
面倒は見るが、この家の子供ではない。年は上でも、あくまでリリアンナより立場は下なのだと、この席順が彼のモンリーズ家での立場を表している。
シヴァの後ろには執事長のルネが控えていた。確か辺境の男爵家の生まれだったが、女性でありながら優秀な頭脳と教育の行き届いた立ち振る舞いを買われてお父様の右腕になった人だ。長いルビーレッドの髪を高い位置でポニーテールにし、シヴァと同じデザインの執事服を着ている。胸ポケットに入ったモンリーズ家を象徴する薔薇色と家紋の付いたハンカチが、執事長である証だ。
「シルヴィオ、お嬢様への言葉遣い」
どうやら彼の教育係も兼用しているらしく、彼に耳打ちしている。
「おはようございます、お嬢様」
ルネに言われて少し慌てたように挨拶をやり直すシヴァ。うん、可愛い。幼少期の推しってなんでこんなに可愛いんだろう。
「では、神に感謝して……いただきます」
食事前のお父様の挨拶に倣い手を合わせる。この神が何なのか、何の宗教なのかは思い出そうとしてもよく分からない。きっとリリアンナもよく知らないのだ。まだ5歳だという子供には、まだ教えられていないのだろう。
「「いただきます」」
シヴァと一緒に礼を済ませて、私はフォークを手に取った。
さすが公爵家。出された料理は朝から豪華だ。朝からサラダやオードブルにフルーツなんて、今まで食べた記憶がない。過去の生活を思い出しながら料理を嚙み締め、ふとシヴァの様子を見た。行儀が悪いとルネに怒られていないだろうかと心配になるが、食事をする動作は驚くほど綺麗で慣れているのが見て分かる。ルネは一言も口を出さない。
そういえば、元々はお父様の友人の息子。つまりは貴族の出身なのだ。幼少期から教えられたマナー教育が染みついているのだろう。
「シヴァ、すごくじょうずね」
「何が?」
「言葉遣い」
すぐさまルネに文句を言われ、黙ってしまうシヴァ。
「何がですか?」
少しの間をおいて返された返事に苦笑してしまう。
「おしょくじ、すごくきれいにたべてるわ」
まだ5歳だからか、机が遠いしフォークの持ち方も覚束ない。一口を大きくしすぎて口元を汚してしまう私は、何度もナプキンを使っていた。ある程度行儀作法を学んでいても、まだしっかり身につけることは出来なかったようだ。
「お嬢様も、慣れれば出来ますよ」
食事の手を止め、彼はナプキンを手にする。彼の口元は汚れていないのにと不思議に思っていると、その手が私の頬に触れた。頬の端に付いていたであろうソースを、自分のナプキンで拭ってくれる。気を良くしたのか、こちらを見て少しだけ口の端を歪めて笑う彼の姿に、頬が赤くなる。
良い!
これぞ役得!
彼からしたら幼い妹の世話を焼いているつもりなのだろう。それでも、自分から触れて少しでも笑ってくれる姿にきゅんとしてしまった。
「あ、ありがとう」
それしか言葉に出来ず、私は頬の赤みを隠すために懸命に料理に向かった。また頬を汚したらシヴァが拭ってくれるかな、なんて邪な考えを抱きながら。
***
食事を終え、マナー講師の先生が来るまでは自由時間だ。乳母とルネからそれぞれ注意されつつ、シヴァと一緒に庭に出た。天気は良好。温かい日差しに包まれた庭園は手入れが行き届いていて、色とりどりの綺麗な花が咲き乱れている。大人がいない状態で二人きりになるのは始めてのことで、少し緊張してしまう。
リリアンナの記憶を頼りに庭を歩いていると、白い屋根の東屋がある場所に着いた。東屋周辺の花を一つ一つ鑑賞しながら、何を言えば良いか考える。
「このおはな、きれいね!」
結局、すごく適当な話を振ってしまった。しゃがみながら私が見ていたのは、薔薇の花に似ているが一つ一つの花がすごく小さい白い花だ。
「そうですね」
私の隣にしゃがみこんで花を見ながら、彼はそっけなく返事をした。表情を変えずに敬語で話されて、少し違和感を覚える。
私は彼と仲良くなりたい。ゲームみたいなただの主従関係じゃない。お父様が言ったみたいに、二人ともお父様の子供だと思って兄弟みたいに仲良くなりたいのだ。
「いつものでいいのよ」
「え?」
不思議そうにこちらを見る空色の瞳に胸が高鳴る。それでも、目を逸らさずに言わなきゃいけないと思い、彼の頬を両手で包み込んで真っすぐに見つめた。
「わたし、シヴァとなかよくなりたい」
これは本心だ。
今回の生で何がしたいかと問われれば、一番は推しと仲良くなりたい。彼と仲良くなって、ゲーム内でのリリアンナのように彼に無理に女装させたり、傍若無人な振る舞いをしないようにしたい。彼を不幸な目に遭わせたくない。
「シヴァにはしあわせでいてほしいの」
だから、無理はしないで。大人に言われて取り繕って、表面上仲良くしているような関係にはなりたくないから。
「なんだそれ」
少し驚いたように目を見開いていたシヴァは、私の手を取って苦笑した。何も取り繕っていないような、彼の本心が見えた笑顔。つられて私も笑ってしまう。
「ふたりのときはリリーってよんでね」
そう約束を取り付けると、彼も了承してくれた。その日は一度も呼んでもらえなかったけど、それで良い。これからもっともっと仲良くなるんだから。
自由時間が終わって部屋に戻る道すがら、先を歩くシヴァの後を追いかけた。
「そういえば」
ふと窓の外を見ながらシヴァは言葉を紡ぐ。そこでは庭師の女性がせっせと土を運んでいた。
「この屋敷の中、女しかいないんだな」
なんとなしに言われた言葉。リリアンナの記憶を思い返すと、確かに屋敷内でお父様以外の男性を見たことがない。外出する時の護衛に男性がついていたこともあったが、屋敷内の執事や侍女、料理人から庭師、警護にあたる騎士まで全てが女性だ。シヴァに言われて始めてその事実に気付いたが、長く住んでいるはずのリリアンナもその疑問の答えを持ってはいなかった。
***
それから二週間が過ぎた。この広い屋敷はどこを見ても新鮮味があって楽しい。貴族の子女としての教育も、大変ながら優しく教えてもらえて苦労と思うことは無かった。将来社交界の頂点になるはずのリリアンナの頭脳と身体は、驚くほど素直に講師の教えを吸収していった。これだけ素材が良く、お父様や講師陣の教育についていけば、元一般家庭育ちの私でも立派なレディになれるはずだ。
最初は穂香だった頃の記憶によって不安になったり泣き出したりすることがあったが、生活に馴染み安心することでその頻度は減っていた。シヴァもそれは同じようで、ルネに言葉遣いを何度も注意されつつ教えられたことは素直に聞き従っている。これで元暗殺者だなんて誰が気付くだろう。元々の教育も良かったのか、それくらい彼は自然とこの生活に馴染んでいる。
まあ、女性ばかりの職場に幼い男の子が厳しくしつけられつつも順応しようと頑張っているのだ。悪く言う者は誰もいない。むしろ凄くちやほやされて可愛がられている。
私達の関係はどうかと言われれば、まあ普通。相変わらず愛称では呼んでくれないけれど、気を許してくれたのか二人きりの時は飾らない素の言葉で話しかけてくれる。
「なんだよ? こっち見て」
料理長からこっそりお菓子を貰ってきたシヴァが、一緒に食べようと誘ってくれた。お菓子を貰う時の料理長とのやり取りの時も、敬語で丁寧に接している。ずっと敬語で話しかけられるのは悪い気はしないが、元々一般市民でしかなかった私には荷が重い。シヴァの飾らない言葉が、私には有り難かった。
「これ以上はやらねぇからな」
お菓子を欲しがっていると思われたのか、シヴァは慌てて最後の一つを口に入れる。
「ちがうよ。おかしじゃないもん」
その慌てようが子供っぽくて、つい笑ってしまう。無表情で大人びた立ち振る舞いをするくせに、私の前ではこんなに年相応のことをしてくれる。それが嬉しくて堪らなかった。
「おまつり?」
二週間も経てば、いかに広い屋敷とは言え見慣れてきて飽きてしまう。自由時間、少し退屈そうにしている私を気遣ってかシヴァはそんなことを教えてくれた。
「明日からやるんだってさ。向こうの大通りの広場で」
今の季節は日本で言えば春にあたる。柔らかい日差しと暖かい気候。多くの花々が咲き乱れるのが特徴的なこの季節は、作物の収穫を願うお祭りや行事が盛んに行われているらしい。
今回のお祭りもその一つで、二日間かけて広場を中心に多くの出し物や出店で賑わう。
今日はその前夜祭で、当日に出し物や出店をする側の人達が中心となって楽しめるよう用意されたお祭りだ。
主催は地域を統括する貴族であるお父様。モンリーズ家の出資で飾り付けられた広場には様々な飲食物が用意され、音楽が奏でられて皆で踊り明かすのだそう。
「一応モンリーズ家の出資だし、出てっても悪くないんじゃねぇの?」
そうシヴァに言われて、さっそく私は乳母にお伺いを立てることにした。
「ダメです」
仕事中の乳母に声をかけて聞いてみれば、すぐに断られてしまう。
「でも、バルバラ!」
「ダメったらダメです! 前夜祭は暗くなってから。そんな遅い時間に子供が出歩くものではありません」
必死に訴えるも却下されてしまう。確かに暗い時間に子供が起きているのは感心しない。でも、前夜祭くらいは子供も夜中まで起きて楽しんでるという。
「あしたのおまつりは?」
「欲しい物があったら私が代わりに買ってきますから」
要するにお祭りには行かせてくれないわけだ。何故だか分からないが、その理不尽さについ頬を膨らませてしまう。貴族の令嬢だから仕方ないと分かっていても、そんな外出も許されないだなんて思ってもいなかった。
「ほんの一時間行くのも駄目なんですか?」
隣で聞いていたシヴァが助け舟を出してくれるが、バルバラの意見は変わらない。
結局これ以上仕事の邪魔はしてくれるなと、追い返されてしまった。
「バルバラのばか!」
「そんな言葉どこで覚えたんだよ」
閉められてしまった扉を前に叫ぶと、シヴァの冷静な突込みが入る。確かに令嬢として褒められた言葉ではないかもしれないが、今くらいは言わせて欲しい。
「だって、おまつり……」
文句を言いながら振り返ると、ふいに視界が暗くなる。ぽんぽんと優しく頭を撫でられ、驚いて動きが固まってしまった。私と目線を合わせるために少ししゃがんだシヴァが、こっそりと耳打ちをしてくる。
「夕食後に西の東屋な?」
耳元で囁かれたその声がくすぐったくも嬉しくて顔が真っ赤になってしまったのは言うまでもない。
「……つれてってくれるの?」
囁かれた方の耳を押さえつつ伺うと、いつかの様に唇の端を歪めてシヴァは笑った。
***
夕食後の片付けも明日の準備も終わり、さて寝る前に本でも読んであげようかとバルバラはリリアンナの寝室に向かっていた。照明があるものの、廊下は薄暗く窓から差し込む月光の方がよほど明るく感じられる。窓の外を見れば、遠くの広場が明るくなっているのが見えた。
そこでバルバラは、今日は前夜祭だったことを思い出した。そして日中、お祭りに行ってみたいと騒ぐお嬢様達の様子を思い返す。
「そろそろ旦那様に聞いて、外出許可を貰っても良い頃かしら」
以前のように一人ではなく、幼いながらもお嬢様より年上で大人びたシルヴィオが付いている。大人の制止を聞かずに走り回るほど幼くもなく、大きくなったことは感じていた。美しく成長しているお嬢様が祭り会場を走り回る姿を思い浮かべながら、バルバラは嬉しそうにリリアンナの部屋の扉をノックした。
返事はない。
「お嬢様?」
声をかけても無言なので、もう眠ってしまったのかと首を傾げた。だが、いつも寝るのはもう少し後の時間だ。今日はそんなに疲れることをしたのだろうかと思い返すも、思い当たるものはない。
「入りますよ」
扉を開けて中に入ると、明かりはなく真っ暗だ。扉と窓から差し込む明かりを頼りに寝台に近付き中を覗くと、リリアンナはそこにはいなかった。掛け布団もシーツも侍女が準備した時のように皺ひとつなく、全くの未使用であることがうかがえる。
「え?」
自分の予想に反した結果に驚き、つい声が出てしまう。状況を理解したと同時に、彼女はすぐに走り出していた。
「お嬢様! どこですか⁉」
大声で叫びながら走っていると、廊下を歩く侍女の一人と出くわした。
「サバレッタ様?」
「お嬢様を知らない⁉」
サバレッタはバルバラの姓だ。慌ててお辞儀をする侍女に、バルバラは気にせず話しかけた。
「お嬢様なら、少し散歩をしたいと西の東屋へ行かれました」
「分かったわ……とりあえず、ついてきなさい」
状況を整理し、侍女を伴い急ぎ足で東屋へ向かう。西の東屋は、最近模様替えをしたばかりの区画だ。その一部はまだ修繕が終わってはいないし、生け垣が育ちきれていない場所もある。昼間のお嬢様とシルヴィオの話と、修繕が未完了な庭。
最悪な想定もしつつ、お嬢様が無事であることを祈りながら歩く。そんなバルバラの祈りは、届くことはなかった。
「そんな……」
案の定、いくら探しても東屋にお嬢様の姿はない。明かりを手に探しても、庭には誰もいなかった。見つけたのは、明らかに子供の足跡が残った少し空間の空いた生け垣だけだ。
「貴女、すぐに旦那様に連絡して人を寄越して頂戴! 祭り会場への連絡も!」
「え?」
バルバラの連れてきた彼女は、まだ新人の侍女だった。状況をつかめずオロオロするばかりの彼女にバルバラは続ける。
「お嬢様は、人前に出てはいけないのよ! 取り返しがつかなくなる前に、早くなさい!」