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第二話 名前のない少年

 そこは、とにかく暗い所だった。湿度が高いのか、いるだけでじっとりと汗をかいてしまう。生臭い匂いに混じって漂うのは、血の匂いだ。そこでオレはうずくまることしか出来ない。

 金属音がしたと思うと、扉が開き光が漏れる。名を呼ばれて顔を上げれば、ニタニタと下卑た笑みを浮かべた男がいた。


「こんな所にお連れして申し訳ありませんねぇ」


 血走った目がオレを見つめる。オレを見ているようで見ていない、どこか焦点の合わない目だ。


「こんな所に潜んでいるのも、貴方様の身を守るため」


 そんなことを、何度も言われた。父上と母上が死に、逃亡生活をすることになったあの日から。保護者代わりだと言うこの男に言われるがまま、生きてきた。そうしないと幼いオレは生きていけない。


「手を血で染めるのは、いつか貴方様の両親を殺した奴等を血祭りに上げるため」


 この部屋にいる時以外は、とにかく特訓の日々だ。何度剣を握る手にマメを作ったか分からない。剣を振るうのに慣れれば、今度は実際に人を刺した。血が出たし、悲鳴や嗚咽の混じった声が響いた。気持ちが悪く、吐き気もする。

 それでも、やらなければならないのだ。

 この男から学んだのは剣だけではない。投擲武器の扱いから弓矢、毒物の扱いまで、この男はあらゆる技術と知識をオレに与えた。


「一緒に復讐を果たすのです」


 両親の復讐。それを果たすためだけに、男はオレを傀儡とした。オレも、この男の下でなければ生きられなかった。両親のいない子供が一人、外に出たところで野垂れ死にするしか無いのは分かっていたから。




 こんな日常に変化が起きたのは突然だった。いつもあの男しか開けないはずの扉を開けて、見知らない男が駆け込んできた。

 身なりの良い男だった。漂う気品は、もう記憶も薄れたはずの父上を思い出させる。その男はオレを見つけると、逞しい腕でしっかりと抱き締めた。


「無事で良かった…!」


 この男は誰だろう?混乱するオレを抱き締めたまま、男は語る。


「私は君のお父さんと友達だったんだ。君の保護を頼まれたが、迎えが間に合わなくてね。ずっとずっと、探していたんだよ」


 父上の友達。そう言われて、微かに記憶にひっかかる物があった。

 そうだ。

 父上にも紹介された。薔薇色の瞳の、厳しくも優しそうな男を。


「また会えて良かった」


 そう言いながら、オレの目を見つめる瞳。それは、昔と同じ綺麗な薔薇色をしていた。

その男に連れられて外に出る前。オレは真剣な眼差しに射抜かれながらこう言われた。


「悪いが、その名前は捨てて欲しい」


 もう同じことが起こらないように。

 誰も傷つけないように。

 争いを生まないために。

 そして、あの男に見つからないように。


「もう二度と、名乗ってはいけないよ」


 その言葉に、オレはしっかりと頷いた。




***




「この子の名前だが、リリーが付けてくれないか?」


「ええっ!?」


 突然のお父様の発言に、私は心底驚いた。そんな猫の子じゃあるまいし、人の名前を付けるなんて、ましてやそれが推しだなんて、畏れ多すぎる!!


「今後は家族だと思って過ごして欲しいからね。リリーが呼びやすい名前で良いんだ。正式な名前はこちらで決めるから負担に思わなくて良い」


 お父様に背を押され、私は彼の目の前に立たされる。彼は静かに黙ったまま、私のことを見つめていた。どうしたら良いか分からず、私は思わず俯いてしまう。私の大したことない頭脳は、目茶苦茶に動いていた。何か名前になりそうな言葉を探すも、なかなか思い付かない。そんな中ひっかかったのは、SNSで見かけた彼の呼称だ。


【シヴァ】


 シルバーグレイの編み込みを見て、誰かがそう名付けて呼んでいた。他にも彼の仮名はたくさんあった。瞳の色から、「ブルー」だったり「スカイ」だったり。二次創作ではオリジナルの名前を付ける人もいて、その良し悪しや是非で論争が起こることもあったはずだ。

 そんな中、世界観を壊さない且つ彼のクールなイメージに合ったその名前が、妙に私の記憶に残っていた。


「……シヴァ」


 小さく呟いた言葉に、お父様がよく聞こえなかったのか再度言うよう促してくる。目の前の彼も、きょとんとした顔で私を見つめた。



「シヴァ。……シヴァがいいわ」



 二人に見つめられて、恥ずかしくなった私は思わずお父様の後ろに隠れた。困ったように笑ったお父様は、優しく私の頭を撫でてくれる。その手は大きくて、温かくて、生前のお父さんのことを思い出させてきて、つい目頭が熱くなってしまう。涙目になって顔を赤くしているのを、照れていると判断したのだろう。お父様は撫でるのを止めると、彼に視線を向けた。


「シヴァが良いらしい。君はどう思う?」


 その言葉に、彼はぎゅっと服を握りしめながら答える。


「それで良い」


「そうか……良かった!」


 急に引き寄せられ、彼と共にお父様にきつく抱き締められた。少し息苦しく感じるも、すぐ傍にあるお父様の嬉しそうな顔に何も言えない。


「君らは、私の大事な子供達だよ」


 その言葉に、頬が熱くなる。そして、ふと思い出した。リリアンナは、決して実家を取り潰すような真似だけはしなかったことを。

 お父様を使ってヒロインの家門を追い込むことはしても、悪事でお父様の手を汚さずにいた。人前では常に清く正しく美しく、品行方正であろうとしていた。表立って素行の悪さを露出させたり、トラブルを起こさなかったのは、きっとお父様のためだ。どれだけ男嫌いでも、父親だけは裏切れなかった。

 こんなに良い父親なんだもん。そりゃそうだよね。


「家族だと思って、仲良くしよう」


 ふと、隣の彼と目が合う。すぐに目を逸らされてしまうが、赤く染まった耳が照れているだけだと伝えているようで。


「シヴァ! わたしたち、かぞくになるのよ!」


 あまりの可愛さに私はぎゅっと彼に抱き付いた。私達が仲良くしているのに気を良くしたのか、お父様が頭を撫でながら額にキスをしてくれる。

 幸せだ。

 本当に、絵に描いたような幸せ。



 新しい家族になった大好きな推し。

 優しく温かなお父様。

 生活に困ることの無い豊かな資産と、揺るぎ無い地位。


 前世ではこんなに幸せが揃ってることなんて無かった。こんなに満たされたまま死ねるだなんて、私はなんて幸せなんだろう。本当に、良い夢だ。

 良い夢の……はずだったのに。




***




「おはようございます。お嬢様」


 カーテンが開けられた窓の外からは、明るい日差しが降り注ぎ、風が木々を揺らしている。小鳥が歌い、飛び交う様子が目に写った。白とピンクを基調とした可愛らしい部屋は、朝日に照らされてキラキラと輝いて見えた。

 適度な温度を保った掛け布団。スプリングの利いたふわふわのベッド。ベッド脇に置かれたサイドテーブルには、まだ湯気の立つ温かな紅茶が置かれている。夢だと思っていたのに、確かに時間は経過し、私はまだこの世界にいた。


「ゆめじゃ……なかったの?」


 ベタだが、頬をつねってみる。痛い。

 死んだはずの私は、確かに痛みを感じていた。


「夢、ですか?」


 不思議そうに隣に控えた乳母のバルバラが首を傾げる。まるで生まれてからずっとここで過ごしてきたような記憶が、私の頭には残っていた。昨日あの後、夕飯を食べに食堂に行ったり自室に戻るのに、道に迷うことなんて無かった。乳母の名前も顔も分かる。他の侍女達も同様だ。私は知らないはずなのに、ここで生きていたリリアンナの記憶が確かに存在していた。


「おとうさまが、おとこの子をつれてきて、シヴァってなまえをつけて……」


「それなら、夢じゃありませんよ。確かに昨日旦那様は子供を連れて来ました。シルヴィオと名付けて、執事長の遠縁の子供ということで届け出もしたそうです」


 彼女の言葉に、もうそこまで話が進んでいたのだと知る。


 死んでいない。

 生きているのだ。

 佐藤穂香だったはずの日本人の私が、リリアンナ・モンリーズとして。


「それじゃ……」


 私はここで生きていくしかない。

 リリアンナの未来を思い出す。男性に襲われたという恐怖体験の話。後に第一王子の婚約者となり、一国の王妃になるという責任と重圧。万が一ゲーム内の主人公が第一王子ルートに進んだ場合、自分に訪れるであろう身の破滅。


「どうしよう……」


 一気に押し寄せてきた不安に、涙が零れる。布団を握りしめ泣き出した私を見てどう解釈したのか、乳母がぎゅっと私を抱きしめてくれた。柔らかい感触は、穂香だった時には得られなかったものだ。違和感はあるが、優しく私の背を擦ってくれる手に安心感を覚える。


「大丈夫、大丈夫ですよ」


 ここにいる皆がリリアンナに優しい。そのリリアンナは、どこに行ってしまったんだろう。私はここにいて良いのかな。不安と疑問が渦巻く中、私は必死に自分自身を奮い立たせた。


 何が起こっているかは分からない。ここで生きるしかないのなら、私は私なりにリリアンナ・モンリーズとして生きてみよう。それは私自身のためでもあるし、周囲の優しい人々のためでもある。なにより、大好きな推しのシヴァをゲームのシナリオみたいに追い詰めないように。彼が幸せになれるようなリリアンナの立ち振る舞いをしてみせよう。

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