第二十話 思わぬ再会
「ご迷惑をおかけしました」
「ありがとう」
予約していたカフェに着くと、マルグリータとレオナルドは二人並んで席に座り深くお辞儀をした。部屋は個室を貸し切っており、関係者しかここにはいない。さすがに会員制の貴族向けのカフェだからか、他の部屋から音は漏れず、静かで落ち着いた雰囲気になっている。
用意された紅茶を一口飲んでいると、2人の真剣な視線が私を射抜いた。確かに大変だったけど、2人が仲直りできたことは素直に嬉しい。気にしなくていいのにと、私は首を横に振る。
「気にしないで下さい」
「姉上……!」
「お姉様……!」
笑顔で返事をすると、2人は目を輝かせてこちらを見てくる。マルグリータに関しては年下だから文句はないけど、レオナルドに関しては同い年のはずでしょうが! すっかり意気投合しているし、私を姉として崇めて絆が深まるならこれでもいい……のか?
呆れたようにため息をつくと、背後に控えたシヴァが笑ったような気がした。絶対揶揄われてる!
「……一応、アレクサンド殿下にも一言お礼を言っておいて下さいね。お二人のこと、気にしていらっしゃいましたわ」
「もちろんだ! 兄上にもしっかり礼をするよ」
「アレクサンド殿下まで巻き込んでしまって……わたくしも、何かお礼をしないといけませんね」
「いや、そんな! 無理は……」
いつものように止めようとしたところで、レオナルドははっと気づいて言葉を止めた。少し視線を彷徨わせて考えると、頬を染めながら気まずそうに口を開く。
「ごめん。えっと……お礼の品を、一緒に買いに行かないか? 兄上にも、一緒に渡しに行こう」
その言葉に、マルグリータは目を見開いた。きょとんとした表情は幼く愛らしい。ようやく言葉が呑み込めたのか、彼女は手をぎゅっと握り締めると花のように笑った。
「はい!」
その笑顔に私とレオナルドは圧倒される。顔を真っ赤にしながら、この後の予定を話し合う二人を見て、私はもうお邪魔だなと判断した。
用意された紅茶とパイを食べ終えると席を立つ。椅子を引いたところで、2人はようやく私に視線を向けた。
「この後、買い物に行くんでしょう? 私はこの辺で失礼しますわ。邪魔ものがいなくなれば、後はお二人でごゆっくり」
そう私が笑顔で伝えると、驚いた様子でレオナルドとマルグリータは互いを見つめた。すぐに顔を赤くし視線を逸らして俯いてしまう。
うわ~……なんて初々しいカップル! 可愛い! これは早く邪魔にならないように退散しなくては。
部屋を出ようとすると、シヴァが先んじてドアを開けてくれる。背後から、マルグリータの嬉しそうな声が響いた。
「リリアンナ様! ありがとうございました!」
ちらりと視線を向けると、可愛らしい笑顔で私を見送ってくれるマルグリータの姿が見える。軽く手を振って、私は部屋を出た。
***
カフェを出ると、シヴァを連れて外を歩く。本当はまっすぐ帰宅すべきなんだろうけど、天気は良く空は快晴。道には程よく街路樹が植えられていて、散歩にはちょうど良いのだ。一歩も歩かずに帰るなんてもったいない。
うんと伸びをして気ままに歩くと、シヴァがその後に続いた。ちらりと彼が向けた視線の先にはお父様が付けた護衛が控えている。さすが、仕事ができて抜け目がない。
「せっかくだし、このまま少し歩きましょうよ」
「別にいいが……人混みと長居は避けるからな」
「噴水広場の先の、馬車がある所までだから」
私が道の先にある噴水を指さすと、シヴァはこくりと頷いた。噴水広場周辺の街並みは、買い物や仕事で行き来する人が多い。キョロキョロと辺りを見渡すと、ショーケースに可愛らしい小物が並んでいた。髪に留められる小さなピンや指輪は明らかに安物だが、手作り感があって可愛らしい。
店主に勧められ、銀糸で刺繍された水色のリボンを手に取る。手縫いで入れられた刺繍は、シンプルな花模様だ。
「どう? シヴァ。似合う?」
帽子を外して髪に留めて見せると、シヴァは眉をひそめた。
え? 何か違う? 似合わない? そう不安がっていると、彼の手がヘアピンに伸びる。ヘアピンを外すと、何やら私の髪を弄り始めた。
「え? どうしたの?」
戸惑いつつもされるがままになっていると、ヘアピンを留め直したシヴァが満足そうに口角を上げる。
「できた。この方が似合う」
鏡を見てみると、先程までの適当に前髪にヘアピンを付けただけだった髪型が大胆にアレンジされていた。右の前髪をアップにしてヘアピンで留めている。左の前髪は軽く流し、左右の髪の一部が丁寧に編み込まれている。ヘアゴムとか、いつの間に用意したんだろう。
「わあ! すごい! かわいい!」
「本当に! よくお似合いですよ」
店主の言葉に照れてしまう。せっかくシヴァが付けてくれたのだ。外さないで、このまま付けて帰りたい。そんな私の思考を読んだのか、店主は笑顔で付けたまま帰宅しても大丈夫だと言ってくれた。
シヴァに声を掛けて財布を取り出してもらうが、それは私の物ではなかった。昔から使っているシヴァの財布だ。目を見開き驚いている内にシヴァは会計を済ませてしまう。
「シヴァ、それ……!」
「二人の仲直り成功したから。オレからの祝い」
ようやく声を出した私に、彼は不敵に笑ってみせた。ああ、もう! 傍から見ればただのメイドにしか見えないはずなのに、言動からイケメンが漏れ出ている。
顔を赤くして硬直している私に対し、シヴァは淡々と帽子を被り直してくる。私の手を握ると目的地へとまっすぐ歩き始めた。慌てて振り返ると店主が微笑ましそうに見送ってくれている。それに私は軽く手を振り返し、シヴァの後を追った。
噴水広場まで戻ってきたところで、シヴァの足が止まる。後を追っていた私は、急に止まった彼の背中にぶつかってしまう。
「シヴァ? どうしたの?」
彼の顔を覗き込むと、その顔は青ざめていた。目を見開き、驚いた様子で、冷や汗も出ている。視線の先を追って見ても、私にはただの人混みしか見えない。
「シヴァ! ねえ、シヴァ!」
「……あ、ああ」
激しく体を揺すられて、ようやくシヴァは我に返った。私へ視線を向けてくれるが、青ざめた顔色は変わらない。
「どうしたの? 具合でも悪い?」
「……なんでも、ない」
「でも……!」
シヴァは私の手をきつく握り直す。あまりに力が強くて痛みがあるが、そんなことよりも彼が心配だ。今度は私が先導して、馬車へ向かって歩みを進めた。シヴァは抵抗なく付いて来てくれる。可能な限り早く、馬車に着かないと。こんな人混みじゃ、ゆっくり休めることもできやしない。
ようやく馬車に辿り着くと、御者は私達の様子を見て慌てて扉を開けた。中に入り、シヴァを正面の椅子に座らせる。御者が心配そうに覗き込んできたので、急いで帰りたい旨を伝えた。
「シヴァ、大丈夫? もうすぐ家に着くわ。もう大丈夫よ」
何が大丈夫なのかは、私にもよく分からない。それでも元気づけたくて、精一杯言葉をかけた。
「……ありがとう」
ぐったりと壁に寄りかかった彼は、目を閉じながらそう言った。顔色は戻ってきているが、まだ冷や汗は止まらない。
ハンカチを取り出すと、額の汗を拭う。邪魔だろうとウィッグも外すと、シルバーグレイの髪が露になった。ウィッグを被るために、最近は髪を伸ばしているのだ。いつもは髪紐で纏めているが、今はそれが無いので肩くらいまである長い髪が揺れていた。
「シヴァ……シヴァ」
どうしたら良いのか分からず、涙が溢れてくる。さっきまで幸せだったのに。楽しかったのに。何が彼をこうしてしまったのか分からない。
私がこうしてグズグズしていたら、いつもは頭を撫でてくれるのに。心配するなと言うように、笑いかけてくれるのに。今はそれが無くて、ただただ苦しい。
そうしていると、馬車が屋敷に到着した。護衛の1人が早馬で先に伝令してくれていたのか、ドアを開けてすぐにルネが中に入ってきた。
「お嬢様、シルヴィオの容態は?」
「分からないの……顔色は良くなったけど、冷や汗が止まらなくて」
ルネは後ろに目配せして、執事の1人にシヴァを抱えさせて馬車から出ていく。慌てて追おうと馬車を出ると、控えていたバルバラが私に抱き着いた。
「お嬢様! 驚いたでしょう……こんなに泣いて。もう、大丈夫ですからね!」
バルバラに頬を撫でられて、ようやく私は涙が止まらなくなっていることに気が付いた。体から力が抜けると、持っていたハンカチが手から離れる。何度もシヴァの汗を拭いていたそれは、重たく地面に落ちた。
バルバラに抱きしめられて、ようやく私も安心して泣くことができた。
***
シヴァは医務室で目を覚ました。隣にはルネが椅子に座って控えている。医師は席を外しており、部屋には二人以外誰もいない。
「医師からは、心労で倒れただけだと聞いた」
ルネは端的に説明してくれる。シヴァは体を起こすと彼女と目を合わせた。顔色は戻っており、冷や汗も出てはいない。
「シルヴィオ……何があった?」
「……あの、男が」
シヴァはあの時、噴水広場で見た姿を思い出していた。人混みの中、ローブを羽織った男。彼は昔、保護者代わりだと言ってシヴァを閉じ込めていたあの男によく似ていた。べたつく長い髪の間から覗く、下卑た笑みと落ち窪んだ眼を、忘れられるはずがない。
「噴水広場に、あの男がいたんです……すぐに人混みに紛れてしまったので、行方は分かりませんが」
「よく似た人違いだろう。浮浪者なら見た目はよく似ている」
「ですが!」
あまりに淡々と否定してくるルネに、シヴァは声を上げた。それでも、彼女の表情は変わらない。
「公爵様も馬鹿ではない。定期的に、あの男を見張るよう人を派遣している。あの男がこの付近に移動したという報告は、受けていない」
その言葉に、シヴァは握っていた拳を緩めた。そこまでしているならば、人違いということだったのだろう。呆然としながら、ゆっくりと彼は俯いた。ルネは立ち上がると、その頭を優しく撫でてくれる。
「気持ちは分かるよ。心の傷も。だから、私達は……大人は、シルヴィオを守るためにちゃんと動いている」
頭を撫でられながら、シヴァは膝を抱えた。その隣にルネは腰を下ろす。そのままシヴァの背中を、ぽんぽんと軽く叩いた。
「だから……大丈夫だ」
「……はい」
シヴァの目からは涙が零れていたが、抱えた膝で顔を隠して必死に見えないようにした。




