第十八話 二人の事情
乳母に連れられて王城を歩いていたマルグリータは、父のいる職場までもう少しというところで急に呼び止められた。
「おい、お前!」
不躾な声に驚きながら振り向く。そこには意志の強いアップルグリーンの瞳でこちらを見ているレオナルド・リヒハイムの姿があった。慌てて礼をしようとするマルグリータを気にもせず、彼は彼女の腕を掴む。
「ちょっと、こっちに来い!」
付き添いの乳母が制止しようとするが彼は止まらず、訳が分からないまま引きずられるようにしてマルグリータは彼の後を追った。
着いた先は、まさかの国王の執務室。部屋の中を見て状況を理解した彼女は顔を青くした。まさか部屋に入るわけにもいかず、乳母は出入り口で右往左往しており助けを求めることも出来ない。
泣き出しそうになる彼女の視界の端には、たまたま国王と仕事の話をしていた父親がいた。目で助けて欲しいと合図をしようとするが、その前に話は進んでしまう。
「レオナルド。その子は?」
突如息子が連れてきた女の子を見て、不思議そうに尋ねる国王に彼は堂々と答えた。
「俺のお姫様です!」
「……それで、その場で父が私のことを説明し、身分は問題ないと分かるとあれよあれよという間に婚約が決まってしまって」
それで、今に至ると。
話し終えた彼女は、今でも状況が呑み込めないのか困った顔をする。そんな彼女の話を聞いて、私は思う。いやいや、マルグリータさん。それってもしかして……
「まさか適当に選んだ相手が、こんなに病弱で使えないだなんて殿下は思わなかったでしょうね。他の方からあれでは妻としての役目を果たせそうにないと、よく言われるんです。それなのに殿下は気を使ってか、ああして毎日来て下さって」
レオナルド殿下の、一目惚れじゃないですか!
分かりますよ?マルグリータ様、滅茶苦茶可愛いですもん。今より幼くて小さく愛らしい彼女を王城で見て一目惚れして、そのまま自分のお姫様にしてしまったんですね? それで大好き過ぎて毎日会いに来るくらいですもんね? 心配で外にも出したくないですよね? そんな彼女から平手打ちされて怒られたら、そりゃショックが大きすぎますよね? 大人しい上に自分がそこまで愛されてるだなんて分かっていないマルグリータ様じゃ、身を引いてしまって簡単に仲直りなんて出来ませんよね? レオナルド殿下はショック過ぎて声もかけられなくなるでしょうね? そのせいで当てつけのように他の女に走るようになってしまうレオナルド・リヒハイムの姿が目に浮かぶようだ。
全てに納得し、うんうんと頷くと私は紅茶を口にした。
「せっかく来て下さったのに、本当にお見苦しいことを……どうかわたくしが婚約者から外されてしまっても、お友達として仲良くして下さいね」
いや、それは無いと思います。数年後のゲーム開始時点でも、二人の婚約は解消されていませんでしたから。レオナルドが大好きな彼女を手放すなんてことするはずがない。
「まだ婚約解消されたわけでもないのに、そんな弱気なこと言わないで下さい」
「そうですね。申し訳ありません。あんなに怒ったのは始めてで」
「普段はそういう話はしないんですか?」
「ええ。殿下の気遣いを無下にするわけにはいかなくて。でも、わたくしはどうせならもっと外に出たかったのです」
外に出れない窮屈さは私にも分かる。あの前夜祭の時のように、大人に止められても、こっそり外に出てしまう気持ち。そんな私の気持ちが分かったのか、シヴァがそっと私に近寄ってくれたのが分かった。背中を押されたように感じ、思い切って私は口を開く。
「それなら、そう殿下に伝えてはいかがでしょう?」
「あんなことをしたわたくしが言うことではないかもしれませんが、余計に怒らせてしまうのでは?」
いや、マルグリータを怒るなんてこときっとない。断言してもいい。
「大丈夫ですわ。心配でしたら私もご一緒して、お二人が話せる機会を作ります」
そう伝えると彼女は目を輝かせた。抱きしめられた時の反応から見ても、マルグリータもレオナルドを嫌ってはいないはずだ。
「どうせなら外でお話ししてみて、マルグリータ様が外でも元気に動ける姿を一度見せてはいかがですか?」
「それは良い考えですわ!」
嬉しそうに嬉しそうに彼女は笑う。
よし、決まり! 絶対に二人を仲直りさせてみせる。そうしたいと思うし、そうすればゲームと違う未来が歩める。それが出来れば未来が変えられる証明になるはずだ。そんな思惑もありつつ、私はそう決意した。
そうしているうちに、マルグリータの頬が徐々に赤みを帯びてきているのが分かった。病み上がりと言うこともあり、先程の騒ぎで熱がぶり返したらしい。慌てて看病のために動く使用人達の邪魔をしないよう、私とシヴァは大人しくテーブルについていた。ベッドに寝かされ額を冷やされ、すっかり弱ってしまった彼女が心配で声をかける。
「わたくし、絶対その日までに元気になってみせますわ」
布団から出した手で私の手を握り、彼女はそう宣言した。私もしっかりと手を握り返すと、力強く頷いて見せたのだった。
***
次の日から早速私は行動に移した。私がレオナルドと会うには王城に行くしかない。そう判断し、その日のうちにお父様に言ってアレクサンドと会う名目で王城に行く手配をしておいたのだ。昨日のマルグリータとレオナルドの出会っていた時間を考えると、昼前には王城を出発している可能性が高い。そのため朝食を済ませてすぐに私は王城へと向かった。理由は説明して、もちろんシヴァにも一緒に来てもらっている。
「おはようございます、アレク様」
「おはよう、リリアンナ嬢。今日は急にどうしたんだい?」
私は王城に着くと、その名目であるアレクサンドに真っ先に会いに行った。婚約者同士なのだからそれでも良いはずではあるが、特に会うような理由もなく約束もしていないのだからアレクサンドは不思議に思うだろう。誤魔化そうかとも考えたが、彼の情報収集能力は高く頭も良い。そうそう誤魔化しきることなど出来ないだろう。
「実は……」
私は全て正直に話してしまうことにした。アレクサンドは私の話を聞くと、うんうんと頷く。
「えっと、それでレオナルド殿下はもしかして……」
せっかくだしマルグリータの婚約の経緯まで尋ねてみることにする。一応は兄弟だし、同じ王城に住んでいるのだ。彼が知らないはずはない。
「うん、レオナルドはマルグリータ嬢にぞっこんなんだよ。一目惚れして父上に懇願し、無理に婚約を結んだのはここだと有名な話さ。その代わりまじめに勉強するよう言われて、父上に婚約解消させられないよう毎日頑張っているよ」
知らぬはマルグリータ嬢ばかりというわけか。それなら話は早い。
「そのお二人の仲を取り持ちたいんです。昨日話した限り、マルグリータ様はレオナルド殿下の溺愛を知りませんし、このままお二人の気持ちが離れ離れになるのは良くありません」
「うん、確かにそうだね。昨日からレオナルドの様子がおかしかったから、何かあったんだとは思っていたんだ」
やはりそうか。中庭で一人立ち尽くしていた姿を思い出す。あんなことがあって、普通の顔で王城に戻って来れたとは思えない。
「レオナルドを呼んで、二人で話せるよう手配しよう」
「ありがとうございます!」
さすがアレクサンドは話が分かる。私の意見はすんなり通り、無事レオナルドと対面できるようになった。
それからすぐに、私が待っていた客間にレオナルドは現れた。
「レオナルド殿下、昨日は失礼いたしました」
まずは立ち上がりきちんと礼をする。ちらりと見てみれば、レオナルドは明らかに具合が悪そうだった。眠れていないのか目の下には隈があるし、顔色は悪いし焦点は定まっていない。ちゃんと私の話が聞こえていたのかも怪しいくらいだ。
「いや、俺も悪かった。発言が失礼だった。許して欲しい。リタが心配で心無いことを言ってしまった」
頭を下げるレオナルドに昨日のような元気はない。これは重症だな、と思いながらため息をつき私は本題を話し出す。
「そのマルグリータ様ですが、外へ出たがっているのはご存じでしたか?」
「それは知ってる……でも」
お互いにソファに座ってから懺悔するように話された内容で、レオナルドの言い分も理解できた。
婚約者になったばかりの頃、体調を見て何度か一緒に出掛けたこともあったのだ。しかし、散歩をすれば転んで怪我をし、ピクニックをすれば熱中症で倒れ、外出先の天候が悪ければ風邪をひく。そんな状況でも彼女は大丈夫だと言ってきかなかった。体調を崩す彼女を見るたびに不安になり、いつしかその言葉は本当なのか、まだまだ部屋から出てはいけないのではないかと思うようになってしまったという。
「確かにそれは……不安になりますね」
出てきたエピソードに私も苦笑いするしかない。そんな状況で大丈夫だからと笑いながら外に出ようとする彼女を、引き止めたくもなるだろう。だが猶更、彼女の体のことはレオナルドも正しく理解し、病気に打ち勝つために意見を一致させなければならない。
「レオナルド殿下はマルグリータ様のご病気について、どれだけ理解されていますか?」
「呼吸器に問題があり、風邪が治りにくいとか……」
様子を見るにそれ以上は知らないようだ。病気のことは担当医にちゃんと聞いて確認するのが一番。
「医師にきちんと聞きましょう。ちゃんと大丈夫なのだと理解さえできればレオナルド殿下も安心してマルグリータ様を外に出せるし、マルグリータ様も希望通り外に出られますから」
レオナルドははっとしたように目を見開くと、私の言葉に頷いた。真剣な表情からどれだけマルグリータのことを案じていたのか理解できる。
最初会った時の態度は不躾だし、ゲームの設定ではナンパ男だし、色々と心配していたが愛する人のために頑張りたいという気概は本物だ。さっそく私達はヴァイゲル公爵邸に連絡を取り、マルグリータの主治医と会うことになった。