第十七話 過保護すぎた婚約者
マルグリータの後に続き屋敷を歩く。しばらくすると明るい日差しに照らされた中庭に辿り着いた。周囲が建物に囲まれていて、余計な風は当たらない。それでいて周囲の窓に反射した光が当たっていて、全体的に明るい印象になっている。マルグリータがよく来る場所なのか、道端には小石一つ置かないよう徹底的に整備がされていた。その中庭の中心には可愛らしいティーセットが揃っている。
シヴァが引いてくれた椅子に座っていると、マルグリータが茶器を手に取った。可愛らしい花柄の茶器に茶葉を入れてお湯を注ぐ姿は様になっている。
「マルグリータ様が入れるんですか?」
「趣味なんです。体に良いお茶を探していたら、自然と出来るようになって……お口に合えば良いのですが」
差し出されたのは少し赤みがかった、林檎のような香りの紅茶だ。一口飲むと、林檎の香りが鼻腔をくすぐる。渋みは全くなく、すっと喉を通り後味も爽やか。
「美味しいです」
それは正直な感想だった。
「良かった」
にこにこと笑い、自分の分の紅茶も入れると彼女は席に着いた。そこからは他愛のない話が続く。お互いにあまり外に出ない者同士、屋敷でどう過ごしているかという話や最近学んだ物のこと。ダンスが苦手でパーティでアレクサンドの足を踏んだ話をしたら笑ってくれた。
実際に会ったマルグリータは病弱で外に出れないものの、本当に思いやりにあふれた可愛い女の子だった。ゲーム内で彼女の婚約者は浮気を繰り返し女の子に声をかけまくっては、最終的にヒロインに夢中になり彼女を捨てる。こんな可愛い女の子を相手に、何故そんなことになってしまうのか本当に不思議だ。話しながら不思議に思っていると、不意に大広間の方向が騒がしくなったのが聞こえた。
「リタ!」
周囲の制止を聞かずに走ってきたのは、マルグリータの婚約者であるレオナルド。突然の登場に驚きつつ、マルグリータは嬉しそうに微笑んで立ち上がった。
「殿下」
レオナルドは彼女の胸に飛び込み、しっかりと彼女を抱きしめる。彼は抱きしめているから見えていないだろうが、彼女の顔は林檎のように真っ赤になっていた。完全にフリーズしていた彼女にはどうしようもないと判断し、慌てて私は椅子から立ち深く礼をする。
「レオナルド・リヒハイム第二王子殿下に拝謁いたします。リリアンナ・モンリーズと申します」
私の声にようやく存在に気付いたのかレオナルドがマルグリータから離れて私を見た。当の彼女は顔を真っ赤にしたまま両手で頬を押さえてアワアワしている。可愛い。
「会場でお会いしましたね。レオナルドです」
一度軽く礼をすると、すぐに彼は彼女に向き直った。
「この前風邪が治ったばかりだって聞いたのに、何故起きてるんだ! ぶり返したらどうする!」
「で、でも殿下。ずっと寝ていたので、たまには起きないと……それに、結婚すれば義理の姉妹になる相手ですからリリアンナ様と仲良くなりたくて」
完全に私を無視して会話を続ける二人に呆れてしまう。同じ気持ちなのか背後のシヴァから怒りのオーラが漏れているが、ここは我慢してもらわなければならない。
「もう話は済んだだろう? 部屋に戻ろう」
「でも、殿下」
断るマルグリータの腕を掴み、レオナルドは無理に連れ出そうと引っ張る。急なことに慌てた表情をする彼女は、困ったようにこちらを見た。さすがに客人を置いて主催が帰るなんてあってはならない。それも、他人の手で無理やりなんて。
「レオナルド殿下!」
思わず私は声を出した。ピタリとレオナルドの動きが止まり、彼は不服そうにしながらこちらを振り向く。
「……なんだ? 一介の令嬢が俺を諌められると思ってるのか?」
明らかに不満げな様子に、こちらもたじろいでしまう。相手は王族だ。変なことは出来ないが、それでもこの状況は良くない。
「殿下、やめて下さい」
「そもそも、病み上がりの人間と茶会をするなんてどうかしている。モンリーズ家には気遣いというものがないのか?」
そんなのただの言いがかりだ。言い返したくても、王家特有なのか強く発せられた威圧感に言葉が出ない。
「兄上と婚約したのだって、どうせ……」
バシンッ
そこでレオナルドの言葉は途切れた。一瞬何があったか理解できなくなるが、マルグリータの動きとレオナルドの頬が赤くなっているのを見て彼が平手打ちされたのだと分かる。呆然と叩かれた頬を押さえているレオナルドに向かって、彼女は叫ぶ。
「何てことおっしゃるのですか!」
その細い体のどこから出ているのか、大きな声が響いた。
「殿下はいつもそうです! 心配だからとわたくしを部屋に閉じ込めるばかり……どうせ、こんな病弱でみっともない婚約者を他人に見せたくないだけなんでしょう⁉」
後半はもはや涙声だった。彼女の青い目からは、ぽろぽろと涙が零れている。大きな瞳から零れる涙は大粒の真珠のようで、それを彼女は手の甲で乱暴に拭った。
「リ、リタ……」
レオナルドが慰めようと手を伸ばすも、一歩下がって避けられてしまう。そんな彼女は踵を返すと私の腕を掴んだ。
「行きましょう」
引きずられるような形で後を追うと、慌ててシヴァも私達に続いた。気になりちらりと振り返ってみてみると、差し出そうとした手を浮かせたまま傷ついた顔をしているレオナルドが中庭の中心で立ち尽くしていた。
***
「……お見苦しい所を、お見せしました」
マルグリータの自室に連れてこられた私達は、ハンカチで涙を拭い紅茶で喉を潤し平静に戻った彼女とテーブルを囲んでいた。その間に中庭のティーセットはこちらに移動され、それをシヴァも手伝っていた。
「大丈夫ですか?」
あんな風に、一国の王子を叩いてしまって。凄く後が怖いような気がするが、どうなのだろう。思わずそう尋ねると、彼女も明らかな動揺を示す。
「……大丈夫では、ないかも知れませんわ。きっとわたくしは、婚約者の地位を外されてしまうわね」
そう話す彼女は少し寂しげだ。
「お嬢様、失礼します」
シヴァは一声かけると、そっと私に耳打ちしてくれる。他の使用人達から聞いてきたのだろう情報をすかさず教えてくれるのだから、彼はメイドとして優秀過ぎる。
「王子は病弱な彼女を心配してか、たびたび彼女を部屋へ押し戻していたそうです。彼女としては体を良くしたいという気持ちが強く、外に出る意欲に溢れていたのをずっと邪魔されていたとか……使用人も、そのうち彼女が爆発するんじゃないかと危惧はしていたそうです」
なるほど、心配ゆえに閉じ込めたいレオナルドと、健康のために外に出たいマルグリータの意見の対立。この喧嘩はもしかしたら、いずれ起こっていたことだったのではないだろうか。そのきっかけになったのがたまたま私だったというだけで。
となるとゲームの二人は、これ以降仲直りも出来ずにすれ違ったままの状態なのだ。誰が見ても天使としか思えない可愛い婚約者に出会い頭に抱き着くほど、レオナルドはマルグリータを愛している。そんな彼女からああも拒絶されたら、早々立ち直れるものではないだろう。
「そんな、婚約者の座を外されるだなんて……」
「いいえ。この婚約は急に結ばれたんですもの。特に理由なく結ばれた物が王家の気まぐれで解消されるなんてこと、あって当然ですわ」
私は二人の関係に詳しくはない。情報も無いし、ゲームでもレオナルドルートは一回やったきり。ゲームでマルグリータを無視して他の女にうつつを抜かし、何も言われず婚約解消もすんなり受け入れられる。そんなレオナルドしか知らないのだ。
「何があったか、お聞きしてもよろしいですか?」
私の言葉に彼女は小さく頷く。
「あれは2年ほど前のこと。珍しく体調の良い日が続き、せっかくだからとお父様と昼食を摂るべく王城へ向かった時のことですわ」