第十五話 不安な社交活動
婚約パーティを終えてからの毎日は、更に忙しくなった。継続される魔法訓練や基礎勉強に加えて、マナーレッスンやダンスレッスンも本格化。次期王妃となるべく王宮での講義や外国語の勉強も増えた。ゆっくり遊ぶ暇もなく、シヴァと会えるのは食事の時や魔法訓練の時だけ。一緒に魔法訓練できるだけ、まだ救いがある。さすがに婚約者がいる状態で、人前で手を繋いだりなんて出来ないから帰り道は別々になってしまったけれど、それでも一緒にいられる時間の有難みを深く感じられた。
そんな中、目下の悩みの種がパーティやお茶会の招待状だ。何も知らずモンリーズ家との繋がりを作りたいだけの貴族達から、毎日のように招待状が届くのだ。仕分けるのも楽ではない。日本人だった頃の名残で流石に断りの返事は返さないとと思っていたが、山のように積み重なった手紙に初日で諦めることを覚えた。仕分けは乳母や侍女達に任せてしまっている。それでも断りの返事くらいはしないといけない高位貴族の手紙が私に寄せられていた。パーティやお茶会には【魅了】があるため気軽には行けない。そこを分かっているため、私が全ての誘いを断っても何も言われなかった。
そんなある日のこと、爽やかなライムグリーンの手紙が私の机に置かれていた。触れればオレンジのような柑橘系の香りがするし、封筒に使われた紙は高級で手触りが明らかに違う。
「これは?」
バルバラにそう尋ねると、彼女は笑いながら答えてくれた。
「ヴァイゲル公爵家のマルグリータ様からです」
その名前には聞き覚えがある。マルグリータ・ヴァイゲル。攻略対象の一人である第二王子レオナルド・リヒハイムの婚約者だ。
女好きな王子に控えめで気の弱い婚約者の組み合わせはゲームを攻略する側にとってはあまりにも簡単で、その難易度の低さから初心者は第二王子ルートから始めるよう言われるほどだ。本来ならば攻略対象との仲を邪魔し、敵になるはずの彼女は少しの会話で第二王子を諦めて身を引く。それも攻略難易度の低さを後押ししていた。
「マルグリータ様は病弱ですし、大勢は呼ばずに王家と婚約を結んだ者同士交流がしたいだけのようです。これなら参加しても宜しいかと」
なるほど、婚約パーティに彼女が現れなかったのはそれが原因か。病弱で寝込んでいて第二王子との仲が深められず、彼女自身も未練が無いのならあの素早い身の引き方も理解できる。だが、今は王家と婚約を結んだ者同士、手を取り合うのは良いことだ。
「分かりました。お父様にも許可を貰ってきますわ」
そう言って手紙を持ち、私はお父様の執務室へ向かった。
執務室にいたお父様は一度仕事の手を止めて話を聞いてくれた。もちろん、ヴァイゲル公爵家へ出かけることは素直に了承してくれる。これでもう話は終わりかと思った時だ。
「そうだ、リリー。そろそろ話しておきたいことがあるんだ」
思い出したかのように、お父様が話し出す。彼が目くばせをすると一緒にいたルネが一礼して部屋を出て行った。一体何を話されるのだろう。
「前々から不思議に思っていたことがあるだろう。リリーももう大きくなった。それの説明をきちんとしておきたい」
デスクから離れ、私の座っているソファの隣にお父様は腰を下ろす。一瞬緊張が走ったが、何の話なのか想像はついた。
「リリーにはね、【魅了】っていう特別な力があるんだよ」
ようやく、お父様は私にその話をしてくれた。一通り説明されるが、既に知っていることの復習のようなものだ。丁寧な説明に、私は彼の目を見てしっかりと頷く。
「それで、今は【魅了】は収まってきてはいるんだが、油断してはいけない」
これを説明したのは、きっとこれから茶会などで外出することが増える私を心配してだ。自立すれば自分の身は自分で守るしかなくなる。お父様の庇護を離れるタイミングが来ているのだ。いつも見守ってくれていたし、常に私のことを考えてくれた、包容力があって温かいお父様。そこから離れてしまうのは少し寂しい。
「人によって好みのタイプがあるように、【魅了】にも効きやすさがあるんだ。リリーが好みだったり、判断力や認知力が低下したりしている相手には、今でもその効果が出てしまうだろう」
だから、これからも周りに人がいない状況は作ってはいけない。だれか信用できる人を常に側に置くこと。
「また、何かあればお父様に相談しなさい。約束だよ?」
「はい!」
何年経っても、この人は娘に甘い。彼の優しさに安堵しつつ、私は今度こそ胸を張って茶会に出られるよう歩き出した。
***
お父様に背を押されて自信が出た、とはいうものの。完全に一人で外に出るのは、抵抗があるし怖い。知らないうちに一人になったらどうしよう。迷子になったり、誰かとはぐれてしまったら? 特に茶会の会場は行ったことも無い、知っている人もいないヴァイゲル家だ。
「どうしたら良いと思う?」
その日の夜、シヴァの私室にこっそりやって来た私は彼のベッドに寝転びながらそう尋ねた。私服に着替えて髪も下ろしたシヴァは以前の私のようにベッドの横に座っている。
「オレが付いて行っても良いが、今回は女同士なのもあって付き添えない場所も出てくるしな」
「そうだよね」
今回付いて行っても、執事が出来るのはせいぜい道案内程度。例えばマルグリータの私室に入るとかは出来ず、特に相手がご令嬢ならどこにでも男性が付いてくることに良い顔はしないだろう。
「うん……大丈夫。ちょっと不安だなって話したかっただけだから。きっと何事もなくやれるよね?」
悩んだところで解決しないなら、考えるだけ無駄だ。無理に笑顔を作ると、私はすぐ隣にあるシヴァの腰にぎゅっと抱き着いた。
「おい、もう婚約者がいるのにこんなことしてたら!」
「今は誰もいないもん」
いつも通り、白い肌とシルバーグレイの髪から涼し気に見える印象に反し、彼の体温は高い。その熱を感じ、私は額を背中にぐりぐりと押し付けた。うん、チャージ完了!
「元気出たし、お茶会は頑張って出席してくるね! マルグリータ様とも仲良くなれるように頑張る!」
手を放して体を起こし、元気に発言した私に呆れてシヴァはため息をつく。片手て頭を抱えつつ、ポツリと彼は言った。
「ルネさんに頼んでみるか……」
ルネに何を頼むというのだろうか。その日だけ、女性である彼女についてきてもらうとか? 疑問に思いつつもそれ以上尋ねることはせず、私はそのままシヴァの部屋を後にした。