第十四話 二人きりのダンスパーティ
ダンスが終わり、最後にお辞儀をし合って私とアレクサンドは分かれた。これからは二人ではなく各々で貴族の子息令嬢と交流をしていく。さすがもう話す相手の目星は付いていたのか、気付けば彼は別の方々と話を始めていた。
人前に出て話をして、苦手なダンスまでしたのだ。すっかり疲れてしまった私にそんな余力などない。一度下がろうと軽食が用意されたコーナーへと歩き出そうとすると、すぐに声がかけられた。
「モンリーズ嬢、どうか一曲踊って下さい」
相手は同い年くらいの男の子だが、一度にたくさん挨拶されたせいで誰だったか思い出せない。
「私、疲れてしまったので少し休憩を……」
「モンリーズ嬢、その次は僕と」
さすが社交場。私と交流することを狙っていたのか、あちこちから少年達がわらわらと集まって来る。悪い気はしないけど、もう疲れちゃってるんだよね。それに、他の人と踊って足を踏んだら赤っ恥だ。
断るために色々と言い訳するも、喉が渇いたと言えば水やジュースが差し出され、小腹がすいているのでと言えば軽食が運ばれる。断る隙も無く人に揉まれてしまい、完全に立ち往生していた時だった。
人混みの中から小さな手が伸びて、私の腕を掴む。勢いよく引っ張られると後ろに転びそうになるが、それを相手はしっかり支えてくれた。振り返れば蜂蜜色の髪が視界に入る。
「何をしておいでですの?」
その声はゲーム内ボイスの物よりも高く幼い。
「休憩したいというレディを引っ張り回すのが紳士の嗜みだなんて、始めて知りましたわ」
その高飛車で強気な態度は、イザベラ・ナンニーニ!
遠目で見ていた彼女がすぐ横にいることに驚きつつ、思わず感動してしまう。もしかして、助けれくれたの? 感動で緩む表情を慌てて扇で隠していると、彼女は杜若色の瞳をキッと釣り上げて少年達を見た。明らかに年上の人もいるし、皆が彼女よりも背が高い。それでも彼女は怯むことなく私と彼らの間に立ちふさがる。正論を叩きつけられた少年達は、口々に謝罪をしながら走り去っていった。
「ありがとうございます」
「ナンニーニ侯爵家が次女。イザベラ・ナンニーニと申します。急なご無礼をお許しください」
そう言って彼女は深く腰を折る。その姿は正しくレディで、教育が良いのか幼いながらにその仕草は板についていた。
「いいえ、助かりました。リリアンナ・モンリーズです。礼を言わせて下さい」
「礼を言われるようなことは致しておりません。ただ、一言言わせて頂くと」
先程までの粛々とした姿はどこへやら。彼女は先程の少年達に向けたのと似たような視線を私へ向けた。
「ダンス中に殿下の足を二度も踏むなどあってはならないことです。もっとダンスレッスンを重ねた方がよろしいかと」
うわ、さすが辛辣。図星をつかれているが、身分は上のはずの私によくぞここまで言えたものだ。流石イザベラ、最早感心するしかない。
「お見かけするに、令嬢は体幹の鍛え方が足りないかと。そのせいで仕草の洗練さを欠いているので訓練することをお勧めします」
それだけを言うと、深くお辞儀をして去っていく。まさに嵐のようなご令嬢だった。ほっと一息つき、私は再び人に囲まれないよう慌てて休憩室へと移動した。すれ違う際にちょっとした噂話が耳に入る。
「ナンニーニ家の……」
「やはり気が強くて……男性を立てるということを知らないのね」
そうクスクス笑う子女達に不愉快になるも、相手をしたくなくて私はその場を離れた。
***
屋敷に着いたのは深夜だった。いつもは寝るような時間なので帰りの馬車ではうたた寝してしまったが、馬車が止まったことに気付き目を覚ます。別の馬車から降りたシヴァはすぐに私の下へ駆け寄ってくれた。
「お疲れ様です、お嬢様」
「報告は私がしておきますので、シルヴィオはお嬢様を部屋まで送って下さい」
ルネはお父様に付き、シヴァへと指示を飛ばす。その言葉に返事をして彼は私を部屋へ送ってくれた。二人きりで部屋までの道を歩いていると、シヴァは口を開く。
「楽しかったか?」
「それより疲れちゃったかな。ダンスの時なんてアレク様の足を二回も踏んじゃって、他のご令嬢に怒られちゃったよ」
ずっと縛られていたせいで頭皮が痛くなり、ヘアリボンを外しながら話しているとシヴァは足を止めた。先を行っていた彼が立ち止まったので、私も同様に立ち止まる。
「それなら、試しに踊ってみるか? 見てやるよ」
振り返った彼が私に手を差し出す。月光に照らされた彼は後光を差したように輝いていて、神様が月から私を迎えに来てくれたようにも見える美しい姿だった。周りを見渡せば、ちょうど中庭に下りられる場所でありダンスが出来るような空間がある。そっと手を伸ばして掴んだ手は、その白さから想像していたものとは違い温かい。
「シヴァ、踊れるの?」
「少しはな」
ぐいっと引っ張られてダンスの時の正式な形で手を組みなおす。腰に手が回されると、さっそくステップが開始された。昔、前夜祭に出掛けた時も思ったが、シヴァは踊りが上手い。リズムが正確で振り付けも完璧なのは、きっと鍛えられた肉体のせいだろう。
「お前はいつもここで足を出すのが遅れる」
そう言いながら、軽いターン。思い返せば確かにこの場面でよく相手の足を踏んでいる気がする。言われた通りにシヴァの足を踏みそうになるが、彼は華麗にそれを避けてくれた。
「もう一度」
ダンスは基本動作の繰り返しだ。同じリズムと動作を繰り返し、再びターンするタイミングに入る。
「右足」
いつも踊っていた時よりも少し早いタイミングで声がかけられ、急いで足を動かす。私の体は綺麗にターンすることが出来、シヴァの足を踏むことはない。
「出来た!」
「教え方がいいからな」
私が喜んでいると、シヴァは不敵に笑う。そのまま再び同じ動きを繰り返すと徐々にタイミングが合ってきて、自然と足を踏まずに踊れるようになってきた。慣れてくるとなんだか楽しい。
気を良くしてパーティで流れていた曲を小さく口ずさんでいると、シヴァが動きを合わせてくれる。夜の中庭で踊っていると、この世界に二人しかいないかのように感じる。シルバーグレイの髪が揺れ、私の長く淡い紫色の髪がターンするたびに彼に触れそうになった。あのパーティにもシヴァがいて、今みたいに踊ってくれたらどれだけ楽しかっただろうか。そう考えていると曲が終盤に差し掛かる。
ふと彼の顔を見ると、彼も私を見ていたのか視線が合った。それと同時に今触れているのが彼だと実感し、恥ずかしさで頬が赤くなる。お化粧、落ちてないかな。髪下ろしちゃったけど、変じゃない? そんなことを思っていると曲が終わった。お互いに踊り切った疲れから息を切らしているが、満足感は今までの比じゃない。
「ありがとう。私、ちゃんと踊れた!」
「ああ……綺麗だったよ」
突然の誉め言葉に、一気に顔が赤くなり何も言えなくなってしまう。そんな私を見て楽しそうにシヴァは笑った。婚約発表のパーティは大変だったし疲れたが、良い日だったと心から思う。脇に置いたままだったヘアリボンを拾いなおし、手を繋いだまま私達はその場を後にした。
***
小さな咳が部屋に響く。咳が収まると一息つき、少女はペンを走らせた。ベッドの上で上半身を起こしたまま、少女は手紙を書いている。
彼女の乳白色のストレートヘアはベッド上を這い、濃い青色の瞳は真剣に文面をなぞっていた。その体は同年代と比べても明らかに細く弱弱しいが、頬は年相応に丸みを帯び病床においてもその美しさが陰ることはない。書き終わり、ライムグリーンの封筒に手紙を入れて蜜蝋を垂らし終わったところで扉がノックされた。
「どうぞ」
小さいが澄んだ声は良く通る。扉の向こうの人間に無事届いたのか、扉が開かれて老年の執事が顔を出した。
「お嬢様、終わりましたか?」
「ええ。ちゃんとここに」
差し出された手紙を執事は恭しく受け取る。
「宛先はモンリーズ公爵邸で間違いありませんか?」
「ええ、そうよ」
少女がテーブルの上の道具を片付けていると、執事もそれに手を貸して二人で片づけを済ませる。空になったベッドテーブルは端に避けられると、彼女は口を開いた。
「リリアンナ様はわたくしと一つ違いらしいの。……わたくし、ちゃんと仲良くなれるかしら?」
「もちろんですとも」
笑顔で答えてくれた執事に安心したのか、彼女はモソモソとベッドに横になり布団にくるまる。
「その日までに、ちゃんと治さないといけないわね」
「ええ。ですから、しっかりお休み下さい。後で薬湯と、ご褒美のデザートをお持ちしますので」
「爺は甘やかし過ぎよ……でも、嬉しいわ」
クスクスと楽しそうに笑って、少女は目を閉じた。