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第136話 二人の距離

「なんで、私なんですか? 私なんかを、好きになったのですか?」


 イザベラからのその質問に、僕は口を閉ざした。

 いざ真正面から言われると、何故なのか説明するのも難しい。上手い言葉が見つからない。


「……誰かの笑顔が見たいと、そう思ったのは生まれてはじめてなんだ」


 なんとかひねり出したのは、その言葉だけだった。こうして言葉にしてみると、なんと幼稚な話なのか。

 恥ずかしくなり、僕は顔を赤らめた。人前でそんな顔をしたことはない。動機も激しく、手が震える。


 緊張、しているのか……?

 この僕が?


 思わず口元を押さえた。余計なことを口走ってしまいそうで。

 王子として生まれてきて、人前に出ようと、他国の王族と会おうと、こんなに緊張することは無かった。それが、目の前の彼女に本音を吐露するだけで、こんなに緊張してしまうとは。


「殿下は、私の笑顔が見たいのですか?」


 イザベラは不思議そうにこちらを見ている。小さく首を傾げる仕草も、きゅっと胸元で握り締めた手も、どうしようもなく愛らしく見えてしまうのだからしょうがない。

 一度イザベラから視線を逸らせると、僕は息を吐いた。目線を逸らすなど、負けた気分だ。しかし、その相手がイザベラなら嫌な気持ちにならないのだから不思議だ。


「そうだ。それは、そう……なんだ、が。くそっ! こういう時、何て言えばいい?」


 完全に混乱してしまい、思わず暴言を吐いてしまう。髪をぐしゃぐしゃとかき上げると、ぼさぼさの髪の隙間からイザベラが見えた。恥ずかしくなり、再び目を逸らしてしまう。

 まさかこの僕が、一人の女性相手に取り乱すことがあるなんて。以前は想像もしていなかった。


「すまない。その……なんて言えばいいか」


「ふふっ」


 小さな笑い声に、思わず視線を向ける。どうしたのかと思っていると、イザベラは面白そうに笑っていた。


「申し訳ありません。そんなに取り乱している様子は、はじめて見たもので。アレクサンド殿下も、そんな風になるんですね」


 楽しそうな、明るい笑み。それは、ちょうど昨年見ていた、彼女が周囲に向ける笑顔そのものだった。


 以前までは、その笑顔は周囲に向けられ自分には向けられていなかったのに。それが今、こうして自分の方に向けられている。

 ずっと欲していたそれに、思わず席を立つ。急なことにイザベラは驚いていた。席と立とうとする彼女が逃げられないように、彼女の手を掴み押さえてしまう。


「で、んか……?」


 イザベラは顔を赤くする。この表情は恋愛感情によるものなのか、それとも今までのような尊敬によるものなのか、僕には判別がつかない。

 それを考えてもしょうがないだろう。気にせず僕は手に力を込めた。


「好きなんだ。どうしようもなく」


 小さく耳元で呟いた言葉に、イザベラは小さく体を震わせる。相変わらず逃げようともがいているようだが、僕はその手を掴んで離さなかった。


「こんなに心乱されたのは始めてなんだ。普段は無為に注目されるのは面倒だし嫌なのに、君にだけは僕を見ていて欲しいと思う。去年の学園祭で、僕自身にも楽しんで欲しいと言った君の言葉が忘れられなかった。だから今年は、僕が主催する最後の学園祭である今回は、もっともっと楽しいものであるよう気を配った。今までなら却下するような馬鹿馬鹿しい企画だって、通してしまった」


 一息に喋ってしまう。それが本心だ。

 今まで自分の感情を、気持ちを吐露したことなんてない。どうすればいいか分からないから、こうして全てストレートに伝えるしか、僕には方法が無いのだ。


「……その方が、君が楽しいかと思って。楽しんでくれるかと、そう思って」


 イザベラの耳は赤く染まっている。視線が合わない。


「これ以上、どう伝えたらいい? どうしたら伝わる?」


 縋るような視線を向けながら、イザベラの頬に触れる。頬にかかった髪の一房を徐に掴むと、僕は自分の口元に寄せた。ただの髪のはずなのに、蜂蜜色に輝くそれは艶やかで手触りが良い。

 このままずっと、触れていたいほどに。




「イザベラ・ナンニー二……君が好きなんだ」




 これが僕の精一杯だ。

 これ以上、どう伝えればいいのか分からない。


 僕の言葉を受けて、ようやくイザベラがこちらを見た。頬を真っ赤に染めて、目を見開いている。杜若色の目が僕を捉えると同時に、体の力が抜けたのか姿勢が崩れた。咄嗟に彼女を抱きしめ、体を支える。

 小さく震えているイザベラの姿は小動物みたいで可愛らしい。


「私も、です」


 突然言われた言葉に、最初は理解ができなかった。反応できずにいると、イザベラが顔を上げてこちらを見る。




「私もアレクサンド殿下が好きですわ」




 頬を真っ赤に染めながら、微笑むイザベラ。その顔を見ると胸が痛くて、どうにかなってしまいそうで、手に力が入る。さらに強く抱きしめると、イザベラは僕の服の裾を握り締め返してくれた。


「……同意と捉えて良いんだよな?」


 返事を確認する前に、イザベラの顎に手を添える。


「んっ⁉」


 耐え切れなくなり、僕は彼女の唇に自分の唇を重ねた。他に人のいない場所で本当に良かったと思う。

 念願だったそれは、熱く甘い。薄目を開けて彼女を見ると、驚いているのか眉間に皺が寄っている。体の力を抜いて欲しくて背中に指を這わせると、後ろにのけぞってしまい唇が離れた。

 今までになくイザベラの顔が赤い。唇に手を当て、こちらを見ないその表情は、今は確かに僕への好意によるものなんだろう。それが確認できただけでも満足だった。


「この後の予定は? 学園祭を一緒に見て回ろうか」


 今までの焦りとか、混乱とか、そう言った気持ちはすっかり霧散してしまった。今はなんだか気分がいい。


「担当は、午後なので……一時間くらいなら」


 顔を背けたまま呟くイザベラの言葉に、僕は満足げに笑いながら頷く。再び彼女の反応が見てみたくて、返事代わりに軽く頬へキスをした。


「じゃあ、その一時間は僕がもらうよ」


 その言葉にイザベラは恥ずかしそうに目を逸らし、小さく頷いた。






***






 それから一時間程が経ち、リリアンナとヤコブが会議室前で合流した。ドアを開けて室内に入ると、嬉しそうに笑うアレクサンドが二人を出迎える。


「交代の時間か。それじゃあ、行こうか。イザベラ」


「……は、はい」


 促されて立ち上がったイザベラの目の前に、アレクサンドは手を差し出す。スマートなエスコートに、イザベラは何も言えず彼の手を取った。顔を真っ赤にしながら俯き、リリアンナ達の方に視線を向けることもない。

 そのまま横を通り過ぎて部屋を出ていった二人を、リリアンナとヤコブは呆然と見送ることしかできなかった。


「……なんか、上手くいったようね?」


「そのようですね」


 もう逃げなくなったイザベラの様子を見て、二人はそう判断するしかなかった。

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