第十話 第一王子との対面
「さあさ、お嬢様。もう日付が無いんですからね!」
落ち込んで部屋に引きこもっている私に、バルバラは無遠慮に話しかけてきた。底抜けに明るく振舞う様子は、拗ねている私の暗い気持ちを吹き飛ばすようだ。テキパキと侍女を使い、どんどんと王城へ行く準備を進めて行った。当日着ていくドレスが決まり、靴が決まり、首飾りやイヤリング、髪飾りが決まる。あっと言う間に集められ決められたそれらを試着し寸法を合わせる。有名な髪結いが呼ばれ当日のヘアスタイルを決めていく。
その間中、私は一言も口を利かなかった。子供っぽいと笑われてもしょうがない。それでも少しでも反抗したかったのだ。
「いつかお嫁に行くときは、このバルバラにも晴れ姿を見せて下さいね」
そう言って乳母は明るく笑う。彼女はリリアンナの亡き母と親友同士だった。バルバラの母がリリアンナの母の乳母。乳兄弟とも呼ばれる関係で、彼女とリリアンナの母は仲良く育っていった。産後すぐに亡くなってしまった母から後を任されたバルバラは、リリアンナを本当の娘のように思っている。リリアンナの面倒を見るためにと、わざわざ仕事を優先させてくれることを条件に旦那を選んだほどだ。
リリアンナの記憶から見ても、一途な彼女には報いてあげたいと思っている。でも、それと第一王子との結婚は必ずしもイコールにはならないだろう。私の気持ちと、貴族としての務めと王家の命の重さ、その全てが分かっていての対応は随分と大人びていた。婚約したくないと我儘を言い、断られて拗ねている私とは大違いだ。
「今後どうなるかは分からないんです。せめてお嬢様は綺麗な服を着て笑っていてください」
そう笑顔で言うバルバラ。約一週間、ずっと笑顔でいてくれた彼女に励まされた。
そうだ、お父様がダメなら自分で断ればいいのだ。はっきりと第一王子の目を見て嫌だと言おう。ゲームの設定だと、彼は思慮深く優しい性格をしていた。嫌がることを無理強いするような人じゃなかったはずだ。
きっと大丈夫。そう決めて私は王城に行く日を迎えた。
***
当日の私は、誰が見ても見惚れるほどに美しく着飾られていた。
光の加減で赤色にも見えるピンク色のドレス。ふんだんにレースやリボンで飾られたそれには、瞳の色と同じ薔薇の飾りまでついている。ドレスとお揃いのリボンで淡い紫色の髪は編み込まれ、同じく薔薇の飾りが髪を彩っていた。拗ねていたため下がっていた口角は化粧で適度に口角が上がって見えるようになっている。その加減は正しくプロとしか言いようがない。
「綺麗だよ、リリー」
鏡の前でくるりと回って自分の姿を確認していると、私と同じ様に着飾ったお父様がやって来てそう言ってくれた。
「ありがとうございます」
「まだ拗ねてるのかい?」
声色から察したのか、困ったように尋ねてくる。
「もちろんです。でも、覚悟は決めました」
はっきり断るための、ね。
「リリーも大人になったなぁ」
そう言って笑うお父様に手を引かれて馬車に乗る。屋敷を振り返ると、見送りの使用人達の中にシヴァの姿があった。あれから一週間、ろくに顔を合わせていない。リリアンナとして生きるようになって、そんなこと始めてだった。彼に何か言いたくて、でも言葉が見つからずに口を閉ざす。それは彼も同じようで、私と全く同じ反応をしていた。
結局お互いに何も言えず、彼はあの時のような綺麗な礼をする。そのまま馬車の扉は閉じられてしまった。彼がどんな表情をしているかすら、見ることも出来ず。
***
辿り着いた王城は、あまりに広すぎてどこをどう通ったのか全く分からなかった。白を基調とした城壁は太陽光に当たって光り輝き、深い青色の屋根が空に向かって伸びている。合間にある中庭は陽光で明るく輝き、植えられた花々が風に揺れていた。ずっと歩いている廊下は大理石の床に紺を基調とした絨毯が布かれ、埃一つない。時折すれ違いこちらに礼をしてくるメイドさん達がしっかり手入れをしているのだろう。他にも貴族やお役人、騎士の人達とすれ違うたび、挨拶をするお父様に合わせて私もお辞儀を披露した。
もはや何人に会ったのか、どんな人達に会ったのかすら分からない。ゲーム画面で見たような光景に胸が高まるが、緊張感の方が圧倒的に上で感動する暇などない。そうこうしている内に、ようやく視界が空ける。
「殿下がお待ちです」
横から突然現れた執事が丁寧に礼をし、お父様を案内する。慌てて私も続く。どこから現れたのか、全く姿も気配もなく分からなかった。これが王家お抱え執事の実力かと感心してしまう。
ついていった先は温室。一般家庭の大き目の一軒家くらい大きく、ガラス越しに中の花がよく見える。その扉の前で立ち止まったお父様は、執事と何やら話していた。こんなところで何の立ち話かと聞き耳を立てようとするが、身長差もあり小声で話しているためよく聞こえない。
「リリー」
話し終えたのかお父様は私と目が合うようにかがんでくれる。
「申し訳ないが、急な仕事で陛下と一緒に出掛ける用事が出来てしまってね。殿下とは二人で会ってくれないか?」
元々は王様、王妃様、第一王子の三人と顔合わせをする予定だった。きっと政務のことで何かあったに違いない。
「分かりました」
「殿下に失礼のないようにな」
優しく私の頭を撫でたお父様は一人でどこかへ行ってしまう。その後ろ姿に手を振っていると、執事に促されて温室の中へ入った。
温室は外よりも少し暖かいが、室温が丁度良く保たれているのか暑すぎない温度になっていた。魔力操作の訓練のおかげか、周囲の魔力の流れで温度管理に魔法が使われているのが分かる。努力の成果が出ているようで、心なしか浮かれてしまった。
少し歩くと薔薇で出来たアーチが続く。アーチを三つほどくぐった先の開いた空間に、白磁のテーブルや椅子が置かれた休憩スペースがあった。そこには一人の少年が座っている。
「殿下、リリアンナ・モンリーズ公爵令嬢をお連れしました」
「ありがとう」
執事が立ち止まり礼をすると、彼は柔和な笑みを浮かべて礼を口にした。穏やかそうな印象の瞳は、この国の王族の証でもある黄金色。髪は大人っぽく見えるよう上げており、シミや皺とは無縁そうな白い肌が露出していた。髪は海のように深く青く、光のせいか毛先に行くほど薄くなっているように見える。白を基調とした清潔感のある服がよく似合う。着ている服はリリアンナの目からも上等な品であることがうかがえ、アクセントで付いている小さな飾りすら宝石だ。
背筋は真っすぐ伸び、カップを戻す仕草は指先まで洗練されている。リリアンナよりも2つ年上なだけなのに、なぜこんなにも様になっているのか本当に不思議だ。
「リリアンナ・モンリーズです。今日はお呼びいただきありがとうございます」
執事の横で立ち止まり、何度も練習したカーテシーを披露する。幸いドレスに躓くことはなかった。今日の目的を思い出すと緊張するが、幸い大人はいないので楽な方だ。
「顔を上げて」
命じられるままに顔を上げ、彼と視線を合わせる。柔和な微笑は崩さないまま、その口元がゆっくりと弧を描いた。長い睫毛が揺れ、その表情は満面の笑みへと移る。とろけそうなほど優しい笑み。それが攻略対象その1、第一王子アレクサンド・リヒハイムの特徴だ。
ゲームで見た姿よりは明らかに幼いが、その外見と笑顔には確かな面影がある。
「どうぞ」
彼の正面の席を指示され、執事が椅子を引く。その引いてくれた椅子に座り、私は彼と目線を合わせた。やることが終わった執事は一度礼をすると、二人の邪魔にならぬよう温室の出入り口まで戻っていく。二人きりの空間になったことを把握して、私はすぐに行動を移した。
何度も脳内シミュレーションしたのだ。大丈夫、やれる。
「アレクサンド・リヒハイム殿下」
椅子を引き素早く立ち上がる。頭をぶつけないように一歩横にずれた。一度しっかり彼と目を合わせ、こちらを見ていることを確認する。
「お願いです」
土下座したいところだが、ドレスが汚れてしまうため不可能だ。その代わり、体の前で手を合わせ今までしたことがないくらい深く頭を下げた。
「どうかこの婚約、お断り頂けないでしょうか!」