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第六十五話 決壊する涙

 入学式の後、ロミーナはリリアンナを探していた。長期休暇の際に何かと手助けをしてくれた彼女に、何かお礼がしたくてカフェにでも誘うつもりだったのだ。公爵令嬢と辺境伯令嬢。身分的には下である自分が気軽に声を掛けるのは憚られる。しかし、今日のような学園にいる時ならば気軽に声が掛けられた。

 入学式の会場を出る際にリリアンナを見失ってしまったロミーナは、まずは馬車置き場へ向かった。まだ合流していないのか、モンリーズ家の紋章がついた馬車が止まっているのを遠目から確認する。


(まだ来ていないということは、学園内にいるはずね)


 しばらくリリアンナを探しながら歩いていると、アレクサンドを見かける。


「アレクサンド殿下、お疲れ様でしタ」


「やあ、ロミーナ嬢。まだいたんだね? マルグリータ嬢と二人になりたいからって、顔合わせは後日にするってレオナルドから聞いたはずだけど」


「リリアンナ嬢を探していたんでス」


「ああ、それなら……」


 アレクサンドからリリアンナとすれ違った場所を教わる。丁寧に礼をして、ロミーナはその場所へ向かった。

 ロミーナが向かったのは、校舎中央にある吹き抜けの廊下だった。高い天井から春の暖かな光が降り注ぐその場所には、窓の外から流れてきた桜に似た淡いピンク色の花びらが、風に乗ってひらひらと舞い続けていた。床の石畳には薄っすらと花びらの絨毯ができており、季節の移ろいを感じさせる静かで美しい空間だった。

 そこには肩を寄せ合って仲睦まじく花見をしているレオナルドとマルグリータの姿があった。マルグリータは、舞い落ちる花びらを嬉しそうに捕まえようとしていた。


「レオナルド様、ヴァイゲル嬢」


「ロミーナ嬢? どうかした?」


 こちらを振り返り、レオナルドがにこやかに笑う。丁寧に礼をしたロミーナは、少し離れた位置から二人に話しかけた。


「邪魔をしてしまい申し訳ありませン。リリアンナ嬢を探していましテ」


「姉上? それなら、あっちの二階の廊下に向かってたよ。ヤコブとイザベラ嬢も一緒だったけど」


「ありがとうございまス」


 ヤコブとイザベラが一緒? 同級生同士で何かしているのだろうか。それならば、様子を見るだけに留めておこうと決めてロミーナは廊下を歩く。しかし、もうそこにはリリアンナの姿はなかった。

 渡り廊下と反対の出口を出れば、訓練広場と厩があるはずだ。遠目から見てみると、薄い紫色の髪と、緑色の髪が厩を覗き込んでいるのが見えた。


(あんなところに……何をしているんでしょう?)


 そっと近づいていくと、二人は厩の中まで入ってしまった。今度はロミーナが出入り口でそっと中を覗き込む。そこには、随分と奇妙な光景が広がっていた。

 厩の内部は、外の明るさとは打って変わり、藁の埃と馬の体温による湿気で少し蒸し暑かった。馬房の柵越しに、リリアンナとヤコブが身を寄せ合い、さらにその奥を覗き見ている。何を見ているのかと視線を向ければ、そこには自分の婚約者であるステファン・サンスリードが立っていた。

 彼は女子生徒が撫でている馬を静かに見つめており、二人の会話は聞こえないが、どこか親密な雰囲気が漂っている。女子生徒は綺麗なストロベリーブロンドの手足が細く長い、可愛らしい子だった。

 ステファンに気付くと彼女は慌ててお辞儀をする。淑女にあるまじき、平民がするような礼だ。その様子を見て、ロミーナは自分の胸に暗いもやが広がるのが分かった。

 ライハラ連合国に長くいたため、リヒハイム王国の文化に疎かった自分は、実家である辺境伯領に戻ってからそれはそれは厳しく躾け直されたのだ。「こんなんじゃ使い物にならない」というのが母の口癖だった。礼儀作法も言葉遣いも、訛りこそ直らなかったものの、それ以外は徹底的に仕込まれた。その後で、ステファンを婚約者としてあてがわれたのだ。

 そんな苦労をしてきたのに、彼に見合う人間であれと躾けられてきたし、どんな暴言暴力にも耐えてきて今があるのに。その婚約者であるステファンは、目の前の女子生徒の不出来に眉一つ顰めない。


(私がしてきた苦労って、一体何だったのかしら……)


 ステファンは女子生徒に手を差し出し、握手をする。基本は無表情な彼だが、付き合いが長い方であるロミーナにはその表情が緩んでいるのが分かった。


(その子には、そんな表情をするのね……)


 ステファンとの不仲は、両親が元凶だった。否、それを止めきれなかった自分にも原因はある。それでも、両親を制止できた今ならば、彼との仲をやり直せると思っていたのだ。リリアンナとは、その相談もするつもりでいた。そうやって頑張ろうと思っていた気持ちが、ぽっきり折れてしまったのをロミーナは感じていた。

 これ以上見ていられなくなり、彼女はその場を走り去った。どこに行けば良いのか分からない。とりあえず、先程までいた校舎付近にはレオナルドやマルグリータがいるのは分かっている。


 がむしゃらに走りながらも、ロミーナは別の校舎である書庫へと足を運んでいた。胸の動悸が治まらないまま、彼女は書庫の重い扉を押して中に入る。

 書庫は、建物の構造上、採光が計算されており、天窓から差し込む光が空間を満たしていた。そこには、床から天井まで届くほどの巨大な書架が、規則正しく並んでいる。書架には古い革表紙の文献から最新の学術書までがぎっしりと詰まっており、紙と古びたインクの匂いが静かに漂っていた。

 これほど広い空間であるにもかかわらず、中は驚くほど静寂に包まれていた。ロミーナ以外に誰もいないことは明らかで、彼女はようやく息をつくことができた。彼女は背表紙の並びをぼんやりと見つめながら、一番奥の書架の陰へと身を寄せた。

 完全に一人になったところで、ロミーナは大きく息を吸った。


『なんで、こうも上手くいかないのよ。私だって、出来るだけのことはしてきたつもりなのに……!』


 口から零れたのは馴染みのあるライ語だった。普段は自分の心の支えになっていたその言語も、今となっては何の意味もない。


『すべて無駄だって言うの? もっと早く身を引いておけって? でも、ステファン様との婚約まで解消されたら、私に行くあてなんて……』


 ロミーナの大きな瞳からは、ポロポロと涙が零れていた。一通り泣いて発散して、なんとか気持ちを立て直して、淑女として笑みを浮かべて人前に立たなければならない。それは分かっていたが、今回ばかりは気持ちを立て直すのに時間がかかりそうだ。だから彼女には、背後で誰かが近づいていたことに気付かなかった。


『大丈夫? 泣いてるの?』


 自分とは違う、流暢なライ語が響く。そのことに驚き、ロミーナは声のする方へ振り返った。

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