第九話 不本意な婚約
あれから2年の月日が過ぎた。
私は魔法の訓練を続け、かつてシヴァがやって見せてくれたような爪先に火を灯すくらいは楽々出来るようになった。それ以外にも傷を癒したり物を浮かせたり、基礎と言われることは一通り出来る。さすが魔法に秀でたリリアンナの吸収力は凄まじく、通常では3、4年かけて習う基礎を2年で済ませてしまった。
これだけ上達すれば【魅了】の効果も薄らいでいると確信はしているが、外出時は万が一に備えて常に厳重な警備体制が布かれているので異性に会うことがほとんど無い。実際に異性に会って反応を窺ったわけじゃないから、効果のほどはよく分からない。
「う~ん…」
魔法の訓練を終え、私はシヴァと一緒に離れから戻る道を歩いていた。
「どうしたんだ? 考え込んで」
私の顔を覗き込む彼は、幼さが残りつつも凛々しい美少年に育ってきていた。長い睫毛が瞬きをするたびに揺れて、空色の瞳が私を映しているのが見える。肩にかかるほど長く伸びた髪は濃い紫色の髪紐で結わえられ、その色は彼の髪をより美しく魅せていた。まだ執事服は子供サイズのままだが、以前のような服に着せられているような違和感はない。シヴァと目を合わせるという状況に顔が赤くなるが、そうなる前に私は彼から視線を逸らした。
「ないしょ!」
【魅了】が解けたのか知りたい、なんて言えるわけがない。だって、性質のことはシヴァには言ってないんだから。これは私の問題。自分でなんとかしないと。
「あっそ」
そう言いながら顔を逸らした彼が私に手を伸ばす。これは、手を繋いでいいという合図だ。どうせなら仲良く手を繋いで帰りたいと我儘を言った私に、たまにならと約束してくれた。今日は繋いでも良い日らしい。
ぎゅっと手を握ると、彼もしっかり握り返してくれる。嬉しくて笑顔で見つめると、彼も微かに微笑んでくれた。毎日がこんなに幸せで良いんだろうか。そんな不安さえ感じるほど、毎日が楽しくて平和だった。
***
魔法の訓練を終え離れからシヴァと手を繋いで帰っていると、突然侍女の一人に呼び止められた。何やらお父様から大事な話があるらしい。こんなことは始めてだ。
「シルヴィオ様は執事長の所へ行くように仰せつかっております」
そう侍女に言われて戸惑う。やっぱり、いつもと何か違う。どんな話でも、私がシヴァと一緒にいて咎められることなどなかったのに。わざわざルネの所に行って、別々に行動しろと指示されるなんておかしい。
「なんの話なの?」
「そこまでは伺っておりませんので」
質問するも、侍女も困ったように眉を下げる。彼女は何も聞かされていないのだろう。これ以上無理に聞き出そうとしても無駄だ。
「私はお嬢様に付き添いますので」
「……分かりました」
侍女に促されてシヴァは私と繋いでいた手を放した。そばにいた温かな体温が離れて行ってしまい、急に寂しさを覚える。シヴァの顔を見ると、彼も困ったように眉をひそめていた。
「では、お嬢様。後ほど」
侍女が来てからすっかり執事としての顔になってしまった。ルネに叩きこまれた綺麗な礼をすると、彼は別の方向へ行ってしまう。
「行きましょう」
不安を覚えつつも侍女に促され、私も歩き出した。
「お呼びでしょうか?」
お父様の執務室へ入り、礼をしてからそう尋ねた。デスクに座りこちらを見ているお父様は、いつになく真剣な顔をしている。その表情に、私も緊張し背筋が引き延ばされた。冷や汗の滲む手を、ぎゅっと握りしめる。
「リリー、大事な話がある」
今日はルネがいない。シヴァが彼女に呼び出されたというのも、嘘ではないのだろう。ルネを使ってシヴァを遠ざけ、するような話。もしやと思い、嘘であって欲しいと願う。
「第一王子アレクサンド・リヒハイム殿下との婚約が決まった」
やっぱり、その話か。魔法訓練が進めば外出機会も増やせる。そうなれば後々出てくるであろう婚約話が進んでもしょうがない。覚悟はしていたはずだが、いざお父様の口からそう言われてしまうと眩暈がするほどの衝撃だ。
「……お断りします」
「リリー」
「……私は、シヴァと」
「無理なんだ」
最後まであがこうと言葉を紡ぐが、お父様は語気を強めて私を制止した。お父様も辛いのだろう。その手は微かに震えている。
「お前がシヴァと仲が良いのは分かっている。私が突然連れてきた子供と仲良くなってくれて優しく接してくれたことは、とても有難く感じているよ。お前が彼を好いていることも、ちゃんと分かっている」
ずっとずっと、皆の前で示してきた。私はシヴァが好き。シヴァしか見ていない。
他に異性のいない箱庭にいるからだとか、まだ子供だからだとか言われるかもしれない。それが分かっていても、私ははっきりと態度に出していた。ここまですれば、自然とお父様が諦めて断ってくれるんじゃないかと期待して。
「だがお互いに良い年だ。魔法訓練もする年になれば、何も知らない子供として扱われることはなくなる。成人はまだだが、ある程度分別のつく頃だ。だから、はっきり言おう。リリアンナ・モンリーズ」
お父様から正式にフルネームで呼ばれるのは始めてだ。それだけ真剣なんだと伝わってくる。
「貴族としての務めを果たしなさい。この婚約は、王家からの命だ」
お父様の国内での影響力は大きい。地位も名誉も持っている彼が対抗できないのは、王家のみ。その王家からの直々の命。背くことなどできはしない。
「一週間後、王城に行く。その時に殿下との顔合わせがある。しっかりと身支度をしておきなさい」
その言葉に何も返事が出来ず、私は一段と深くカーテシーをした。唇を嚙み締め、お父様を睨んでいたことは自分でもどうしようもない。これ以上余計なことを言わないように、無言で私は執務室を後にした。部屋を出る際に大きな音を立てて扉を閉める。扉に八つ当たりをしたって、無駄なはずなのに。
「私だって、出来ることなら、好きにさせてあげたかったさ」
扉の向こうから、お父様の声が聞こえた気がした。
***
執務室を出た廊下には、いつの間にかシヴァが立っていた。恐らく彼もルネから同じ話を聞いたのだろう。いつもの無表情な顔を更に硬くしており、緊張感が伝わってくる。
「お嬢様」
その声に泣きそうになる。シヴァが好きだから、お父様には断って欲しかった。それが無理なら、はっきりお父様に嫌だと言って止めてもらうつもりだった。婚約なんかせず、なんとかシヴァと生きる道を探したくて。でも、王家から直接出された命令ならお父様でも断れない。その事実が悔しくてたまらない。
「シヴァ、私っ……」
言葉に詰まる私に、何が言いたいのか彼も察したのだろう。こちらに近寄っていた足が止まり、胸に手を当てて丁寧な礼がされる。それは、執事が公爵令嬢にする仕草だ。
「ご婚約、おめでとうございます」
その言葉ではっきりと、一線を引かれたことが私にも分かった。シヴァも私に第一王子と婚約をしろと言う。彼だけは一緒に反対してくれるって、どこかでそう思っていた。だって、彼は優しかったから。
全力で大好きだと伝えて態度に表しても、拒否なんてしないで温かく受け入れてくれた。その表情はいつもよりも圧倒的に柔らかくて、手を繋ぎたいとかいう私の我儘も許してくれていたから。だから、彼も私を好きでいてくれてるなんて、そう思っていた。思い返せば、彼からはっきりと言われたことなんてないのに。
「……シヴァは、私のこと好き?」
始めて尋ねた。もっと早く訊いておくべきだったと、今更思う私はとんでもない阿呆だ。
私の言葉に、礼をしていた顔を上げて彼は答えた。
「敬愛しております」
あくまで執事としての態度を崩さない。いつもみたいに、軽口で返事なんてしてくれない。これが大人に近づいたということか、そう理解する。それでも、彼のそんな言葉を聞きたくなんか無かった。
「シヴァのバカ!」
そう吐き捨てると、私は自室へと走って行った。