キリンの首を伸ばす仕事
キリンの首を伸ばす仕事をしていた。
キリンの首は長ければ長いほど喧嘩に強くなれるらしく、それで強いオスをアピールしたいキリンはわたしのところにやってきて首を伸ばしてくれとお願いしにくるのだった。
「もう十センチは伸ばしてほしいんです」
キリンが言うのでツボを突いて伸ばしてやる。指圧の学校に通って得た秘孔の知識をまさかキリンの首を伸ばすことに使うことになるとは。
「でもあんまり長くなっちゃうと血を送りこめなくなっちゃうから大変じゃないか?」
キリンは首が長いので脳に血液を送りこむために血圧がものすごく高いのだ。
「実際、結構ふらふらです」
「じゃあ止めとけばいいじゃないの」
ボキボキ音を立てて秘孔を突いてやると、キリンの首はみるみる伸びていった。これだけ伸びると指圧しがいもあるというものだ。
キリンたちの中でも彼は熱心なリピーターだった。一週間と間を空けずにやってきては、「一番首を伸ばすことのできる秘孔をガンガン突いてください」というのだ。わたしも学校で培った首を伸ばす技術を存分に発揮できるのはうれしいし楽しいが、あんまり首を伸ばしても健康に悪いのでほどほどにしておくと良いよというアドバイスをしてしまう。
「それにしても君はほかのキリンたちと比べるとずいぶん熱心だよ。そんなに首を伸ばして、目当ての異性でもいるのかな」
「いえ、ぼくはいつかこの目で宇宙を見てみたいんですよ」
「うん?」
キリンは滔々と話しはじめた。
「宇宙飛行士の撮った写真を見たことがあるんです。青い星、目の覚めるような地球の日の出、はっと息を呑む天の川……そんなものを、ぼくは自分の目で見てみたいんですよ」
なんてことだ。わたしは自分の考えの浅さを恥じた。
「それじゃあ、首をどこまでも伸ばしていけば、いつか宇宙に達するだろうと考えているのかい?」
「ええ。いますぐには無理かもしれませんが、いつかは」
十センチ首の伸びたキリンは心なしかいつもよりもふらふらしながら帰っていった。わたしはキリンを見送りながら口を一文字に結んだ。
またキリンが来た。
「今日もバリバリ首を伸ばしてくださいね」
キリンは嬉しそうに首を振って施術台に上った。だがわたしは立ち尽くしたまま、キリンに近づくことができなかった。
「どうしたんです。先生。早くぼくの首を伸ばしてください」
キリンがわたしの腕に首を擦り寄せる。わたしは黙りこむ。思っていることを伝えたものかどうか、大いに迷っていたのだった。
「先生、お腹でも痛いのですか」
「宇宙を見たいと言っていたね」
「ええ」
「宇宙というのはFAI(国際航空連盟)の定義では高度100キロメートル以上、FAA(アメリカ航空連邦局)の定義でも80キロメートル以上だ。そこまできみの首を伸ばした場合、きみの体が保つかどうか、わたしには保証できない」
キリンははっとしたような表情になりながら、
「かまいません。宇宙が見られるんでしたら、ぼくの体の一つや二つ……つまり、できるんですね? 先生」
「夢を語るきみに嘘はつきたくない。認めよう。わたしにはできる。きみの首の秘孔を突いて、きみの首を宇宙まで伸ばすことができる」
「やってください」
キリンは即答した。わたしは自分の決意を試されているような気がした。
「もう二度と地球には戻ってこれないかもしれんのだぞ」
「空を見上げたまま地べたで一生を過ごすよりも、ましです」
キリンはわたしを催促するように首を振り回した。わたしは深く息を吸いこみ、決心する。
キリンの体にまたがり、秘孔を突くべく指に気を集中させた。
「これから突く秘孔は百労という秘孔だ。ここを突くときみの首はぐんぐん伸びていく。一秒間に百メートル。十秒で千メートル。じきに音速を超える。わたしもきみと一緒に宇宙までいこう」
「なにも先生まで一緒に来ていただかなくても」
「ダメだ。きみ一人が元気よく宇宙空間に飛び出しては“宇宙物体登録条約”に引っかかってしまう。最悪の場合、ISSに撃墜される。これは指圧治療の一環なのだという言い訳のためには、指圧師の国家資格を持ったわたしが同乗する必要があるのだ。ではいくぞ」
ブスッと秘孔を突いた。瞬間、キリンの経絡を流れる気が暴走し、キリンの首が伸びはじめた。
十メートル。百メートル。もともと素質があったのだろう。キリンの首はわたしの予想以上のスピードで伸びていった。
建物があっという間に眼下に小さく、遠くなっていく。
「すごいすごい! 先生! 最高です!」
「まだまだだ。こんなものじゃないぞ。今からさらに秘孔を突きまくる」
ブスブスッと秘孔を重ね突きした。キリンの首はますます伸びていく。
空の色がだんだんと暗くなる。空気が薄く、成層圏を抜ける衝撃が全身を包む。
そしてとうとう――。
「すごい、先生、宇宙です! 宇宙に来ました!」
地上80キロメートル。わたしたちは宇宙にたどり着いた。
「どうだねキリンくん」
「はい、もう、夢のようで……いま泣いてます」
「そうか、きみの夢の一助になってよかったよ」
だがその時だ。キリンの首の伸長が急激に止まり、どんなに秘孔を突いても伸びなくなってしまった。
「あれっ?」
「しまった!」
伸長限界だ。首にはどんなに秘孔を突いてももうそれ以上伸びなくなってしまう限界点というものがあって、彼の首はそこに達してしまったのだ。
わたしたちの首は伸びる力を失い、みるみる高度を落としていった。
いったん縮み始めた首は、自由落下よりも早い速度で縮んでいく。おそらくこのまま行けばわたしたちは大気圏への再突入で燃え尽きるだろう。
「先生、ごめんなさい、ぼくの首が弱いせいで」
キリンは申し訳無さそうにうつむいた。わたしはキリンにそんな顔をさせてはいけないと思った。夢を達成したばかりだというのに、そんな哀しそうに下を向いていてはいけないのだ。
「次はどうしたい?」
「え?」
キリンがふしぎそうな顔をした。わたしは秘孔を突きすぎてボロボロになってしまった指を突きつけながら微笑みかける。
「おそらくわたしの指が弱かったのだろう。わたしに力があればもっときみの首を伸ばせたはずなんだ。そうだ。次こそは、大気圏の外まで。月まで。太陽系の外まで――」
「先生」
「きみの見たいところまで、きみの行きたいところまで。わたしはきみの首を伸ばしてやる。そこまで指を鍛えてやるとも。だからきみは、そうだな、ウン、首を伸ばして待っていたまえ」
炎がわたしとキリンを包んでいく。なにもかも燃え尽きて、わたしたちがもろとも流れ星になってしまう前に、キリンはもう一度上を向いた。わたしたちが行くことができる、次のわたしたちが行くことのできる、そのすべての空間に向かって。
轟音。世界がみんな燃え尽きてしまう前に、キリンは口を開いて、そして、
「そうだね、先生、じゃあ次は、次は――」