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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

GOAT SABER

作者: 青海 原

挿絵(By みてみん)



 世界のすべてが蒸発したと思った。

 それくらい一瞬のことだった。

 視界が白んだと思った一秒後には病室のベッドの上だった。

 上半身すら起こせないほど弱った身体と、知らない天井。生命維持のために繋がれた色々な線と機械。耳障りな音が不快だった。

 わざわざカーテンが開けてあった窓から差し込んだ光が眩しくて、手をかざす。かざそうとした。

 そこで気付いた。自分の腕がないことに。

 腕もなければ、足もなくなっていることに。

 頭が再び真っ白になる。

 ただその絶望から目を逸らしたくて向けた窓の外。黒い影がものすごい速さで空を飛んでいくのが見えた。それは今や誰もが知っているヒーロー。

 ゴートセイバー。山羊のマスクを被った剣士。

 一年前から世界を騒がせるようになった異星人の侵略。人類の近代兵器では歯が立たない相手と単身戦い、人類を守っているらしい。

 漫画のような話だが、ニュースでも取り扱われている現代の現実だった。

 自分の身に何が起こったのかは、空に残るヒーローの航跡雲を眺めていたら遅れて理解できた。


 僕の身体は、家族は、故郷は、彼の正義の余熱で蒸発したのだ。



 僕の生還は世間を賑わせた。

 どうやら僕の街を蒸発させた異星人は、これまでに類を見ない強敵だったらしい。そいつの攻撃を受けたゴートセイバーは、たまたま僕の街に吹き飛ばされ、そこで異星人の爆撃に晒された。

 それでも異星人はゴートセイバーが自身のリミッターを解除したことで跳ね上がった機動力と攻撃力に圧倒され、打ち倒されたらしい。

 その時の生還者は僕だけだった。

 ゴートセイバーは普段の山羊を模したマスクを脱ぎ捨て、僕の元で謝罪を述べた。彼はジョナサン・カーターという白人だった。年齢よりも何十歳も老けて見える疲れた顔をしていて、世界を守るとはそういうことなのかと思った。


「俺も両手両足は義肢なんだ」


 ゴートセイバーは自分の手を閉じたり開いたりして、その僅かにぎこちない動きから生身でないことを証明する。


「君は俺が、未来の世界から来たことは知ってるかな? 少し未来では、異星人の侵略で人類のほとんどが滅ぼされてしまった」


 その時の攻撃でゴートセイバーは四肢を失ったらしい。僕と同じように。


「身体を失った時、俺は異星人への憎しみが止まらなかった。きっと君も、そうだと思う。だからどうか、今はその憎しみを俺に託して欲しい。俺がヤツらを倒すと、信じて欲しい」


 ゴートセイバーは強い瞳で僕を見ていた。彼は僕の姿に自分の過去を見ていた。僕には彼が自分を慰めているようにしか、見えなかった。

 記者に囲まれながら、僕が彼を許したという絵が世界中に出回った。

 その絵は多くの同情を買い、僕は世界中から憐れまれる存在となった。

 銀行口座には多額の補償と寄付金が振り込まれた。四肢を失った僕を不憫に思ったり、世界を守るヒーローの力になりたい偽善者たちが掴まれる気もない手を差し出してくる。

 金には困らなくなった。僕の両手両足は、家族は、故郷は、銀行口座に振り込まれた数字の羅列に置き換わったのだ。

 誰も、何もわかっていない。

 僕にも、わからない。

 わからないけれど、きっと、僕がその時憎悪したのは異星人ではなかった。



 ヒーローの正義による二次災害は世界中で問題になっていた。メディアや政府が取り上げないから表面化していないだけで、被害者の会は無数に存在した。

 僕は様々な被害者の会に顔を出し、ゴートセイバーを憎む人々の人脈を広げた。

 ゴートセイバーが世界を救う度に、憎悪の種は蒔かれる。それを取りこぼさないように、彼らの受け皿になろうと思った。

 やがて僕は僕の姿を隠して財団を立ち上げた。金には困らなかったから、多くの有識者と技術者に出資し、マイノリティの憎悪を拾い上げようとした。


「ゴートセイバーが倒した異星人の巨体が、買ったばかりの家と娘を潰した」


「吹き飛ばされたゴートセイバーが会社のビルを倒し、会社は経営破綻して仕事も妻も失った」


「ゴートセイバーの支援者を騙る組織が詐欺行為を行ったり、国の税金の天下り先になっていたりする」


 ゴートセイバーへの憎悪は、ソーシャルメディアを通して覗いてやればいくらでも拾うことができた。

 彼らの話を聞き、どうなれば世界が良くなるのかを考えた。


「異星人の侵略とは神の裁きであり、人類の環境破壊や戦争などの愚かさが原因。我々は滅びを受け入れるべきなのだ」


「殺される異星人が可哀想。問答無用で命を奪うゴートセイバーは悪。まずは対話するべき」


「明日仕事したくないから世界なんてこのまま滅べば良いのに。ゴートセイバーなんか要らない」


 要らない。

 この世界に、ヒーローは必要ない。

 それが、僕の出した結論だった。

 目的がふわふわしていた財団。その方針がようやくまとまった。

 未来から来た、人類を滅びの運命から救うための存在。それを殺す。

 技術レベルは当然遥か先をいっており、異星人とすら戦えない人類が倒せる相手ではない。それを殺す。

 多くの人類が慕い、その力と功績に熱狂し、世界を照らす太陽。それを殺す。


「僕がゴートセイバーを殺す」


 世界から太陽を奪う。

 それで滅びるなら、滅びてしまえばいい。

 既に終わった未来の人間によるお節介は、僕たちには必要なかった。

 光を覆い隠す触。エクリプス。それが僕たち、ゴートセイバーを殺す者の名前だ。

 ゴートセイバー。Greatest Of All Time SAVER。史上最高の救い手。

 自分の世界は守れなかった存在が、すべての時間における最高のヒーローを名乗るとは、随分と烏滸がましいのではないだろうか。



 南緯48度52分5秒。西経123度23分6秒。その座標が、この世界で最も陸地から離れた場所。

 ラテン語で無人を意味するポイント・ネモと名付けられた海上で、僕はヒーローを迎え撃つことにした。

 これ以上正義の被害者を産まない方法は、僕にはこれしか思いつかなかった。

 異星人をポイント・ネモまで誘導し、それをダシにしてゴートセイバーを誘い出す。

 僕はそこより3キロは離れた海上に母艦を構え、ボルトアクションライフルを構えていた。

 失った身体は義肢とパワーアシストスーツで補う。ゴートセイバーのものとは比べ物にならない程貧弱な装備だが、それが現代で用意できる最高水準だった。

 僅かの躊躇いもなく引き金を引く。

 その弾丸は異星人を倒し、一安心するゴートセイバーの横面をまともに撃ち抜いた。

 間髪を入れない。

 休む隙を与えない。

 弾倉が尽きるまでライフル弾を撃ち込んだ。


「まともに喰らって傷ひとつない。幸先悪いな」


 未来のスーツには傷ひとつない。当然か。これなら、普段相手している異星人の攻撃の方が強い。

 ゴートセイバーは目を白黒させている。どうして守るべき人類が自分に牙を剥いているのか、理解できないのだろう。

 そのタイムラグが、僕たちの勝機だった。

 ライフルは通用しないと切り捨て、母艦に一機のみ格納されている戦闘機に乗り込む。いくら金に困らないといえど、個人利用の範疇では何機も用意できるわけがなかった。

 だからこそ、化け物退治の特攻役は日本人である僕一人だ。

 母艦から飛び立ち、単身ゴートセイバーへと肉薄する。この時点で、船には逃走を命じていた。

 わざわざこんな相手に殺されにいくのは、一人だけで良い。


「世界は、お前が思ってるほど美しくないんだよ」


 ミサイルは命中した。

 だが着弾の直前、完全に僕の目はゴートセイバーと合っていた。ゴートセイバーははっきりと僕を、敵として認識した。

 一発目のミサイルは直撃したが、二発目はかわされた。

 三発目に関しては、撃つよりも速くゴートセイバーに追いつかれた。

 取り出したエネルギーブレイドに機体を半ばで切断される。僕の数億円はこれで海の藻屑になった。


「せっかく戦闘機の操縦、練習したのに」


 大した戦果も挙げられずに海に浮かぶ異星人の巨体の上に不時着し、僕はポイント・ネモの海上に立った。

 ゴートセイバーも遅れて、正面に立つ。


「なぜだ」


 ゴートセイバーは簡潔に問う。

 まだ怒りよりも、疑問なのか。そんなに優しいから、正義を振るうことに疲れるんだ。

 世界の命運は個人が一人で背負えるほど軽くはない。

 僕を憎め。憎んで良いのだ。


「僕が聞きたいよ」


 僕にはずっと、理解できなかったことがある。

 すべてを失う前から。ニュースでゴートセイバーの存在が報じられ、まだその戦いに現実感がなかった頃から。


「君こそどうして、こんな世界のために戦える?」


 年々酷くなる環境汚染。

 飢餓や疫病、貧困に苦しむ人がいれば、賞賛されない手段で積み上げた富で私腹を肥やす人もいる。

 戦争や紛争はなくならず、どんな国にも犯罪は溢れていて。

 何万の人が死ぬ横でジェンダー、ヴィーガン、スピリチュアル、肌の色、宗教とくだらないことで論争している。

 世界が平等になることはなければ、平和になることもない。

 君が守る世界とは、そういう場所だ。

 明日の仕事が嫌だから、今日世界が滅んだって良いと思っている人が何人もいる、そういう場所なのだ。


「それは――」


 ゴートセイバーは答えに詰まる。

 きっと、ゴートセイバーの中にも答えはない。それが使命だったから、そうしてきた。

 意味を考えてしまえば、足が止まるかもしれない。だからきっと、考えないようにしていたはずだ。

 ヒーローだから世界を守る。ああ、なんてシンプルなのだろう。

 だったら僕も、シンプルな理由でいい。


「僕は世界を滅ぼす。滅んで良いと思ってるマイノリティのために、その旗頭を担ぐ」


 僕は腰からグレネードを取り出した。

 ピンを抜き、投げる。


「僕は君の敵だ。戦う理由なんて、それで充分だろ?」


 グレネードが炸裂する。それはEMPグレネードと呼ばれる、特定の範囲内で電子機器を無力化する効果のある兵器だった。

 ゴートセイバーの身体はほとんどすべてが機械式である。そして、生体そのままの姿で向かってくる異星人を相手するのに、その対策など取るはずがない。

 ゆえに、この攻撃は、機械で動く未来人にとって致命的となる。


「がっ」


 声にならない声を上げて、ゴートセイバーが前のめりに倒れ込んだ。

 試作段階の兵器だったが、効果は実証された。

 僕は馬乗りになり、腰から取り出した高周波ブレイドを首筋に当てた。


「言い残すことは?」


「リミッター、解除」


 Greatest Overdrive Attack Transformation。通称GOATモード。

 僕の街が滅んだ際に初披露された、限界を超える力。

 それはEMPにより停止した身体を再び強制起動させる。どんな原理か、突き飛ばされた僕をよそにヒーローは再び立ち上がった。

 だけど僕もただでは負けられない。

 突き飛ばされる際に、ゴートセイバーのエネルギーブレイドを蹴飛ばしていた。

 今はそれが僕の手にある。

 未来の技術には、結局未来の技術をぶつけるしかない。

 ゴートセイバーも腰からサブウェポンである少し刀身の短いエネルギーブレイドを抜いた。

 リミッター解除も、聞いていたほどの動きに見えないのは、おそらくEMPの影響を受けてのことだろう。今のゴートセイバーなら、僕でも相手できるかもしれない。


「やっぱり、きっと、俺が戦うのは、ヤツらへの憎しみなんだと思う」


 ゴートセイバーは重い口を開いた。

 リミッター解除は心身に負担を強いるのだろう。


「俺は決して聖人じゃない。コミックのヒーローをやるために、未来から来たはずじゃなかった」


「現実はどうあれ、ね」


「俺の使命は未来を守ることだけど、俺の目的はきっと、復讐だ」


「人間らしい理由が聞けて良かったよ」


 敵として相対すれば、山羊のマスクが悪魔に見えた。これでは、どちらが敵なのかわかったものではない。

 それでも、刃をぶつけ合えば根底にあるのは同質の感情であることがわかった。

 僕も、ゴートセイバーも、現実を憎悪していた。ただその理不尽を、憎んでいたのだ。

 どうやってぶつければ良いのかわからないこの憎しみをぶつける手段が、ゴートセイバーにとっては世界を守ることで、僕にとっては世界を滅ぼすことだった。

 打ちつけ合う刃にだけは、マスクで見えない感情がこもる。ゴートセイバーも人間だとわかって、僕は安心した。

 世界のすべてが蒸発したと思った。

 そうして病室で目が覚めた時、僕は死に損なったと思ったのだ。

 ゴートセイバーもまだジョナサン・カーターだった頃、四肢を失って最初に天井を見た時、そう思ったはずだ。

 こんな風になってまで生きるなら、死んでおけばよかったと。

 世界の未来は明るくない。ヒーローという太陽がいても問題は山積みで、影に潜む闇は根深い。

 しかし。


「ああ、そっか」


 僕の身体が、腰の部分で両断される。幸いにも、足は義肢だから痛くはない。

 地面に横たわり、ゴートセイバーの姿を見た。

 僕の戦いはここまで。

 同情と偽善に後押しされた財源で、世界に対して恩を仇で返すための戦いはここで終わる。やっと、終われる。


「お互い、使命を背負うのは辛いよな」


 ゴートセイバーは刃を振り翳す。

 僕は、満足していた。

 太陽を隠すように僕を見下ろすゴートセイバー。だけどようやく僕にも、彼が太陽に見えていた。

 刃をぶつけ合うことで、僕は自分と相手が同じだとわかった。

 だったら、安心して、世界を任せられる。

 世界を滅ぼそうとする使命に殉じた僕と同じように、彼は、世界を守るための使命に殉じるまで剣を振るい続ける。


「結局僕は、僕自身は、世界が滅ぼうが救われようがどうでも良かった。僕の周りの人たちが滅んで欲しいと願うから、自然とそれが使命になった」


「わかるよ」


「ただ理不尽に対する怒りをぶつけられれば、なんでも良かった」


「俺も、同じだ」


「同じなら、大丈夫だね」


 僕は目を閉じる。

 世界の未来は、明るくないかもしれない。

 けれど彼が太陽として戦うなら、そんな世界は悪くはないのかもしれないとようやく気付けた。

 僕の世界がここで終わっても。

 僕の未来がここで終わっても。

 彼の世界が、未来が、明るいものになるから。

 僕がそれを、信じられるから。

 そう思えた時点で、僕は救われたのだ。

読んでくださってありがとうございました。

画像はchat GPTによるAI生成です。

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