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表裏  作者: 東京卑弥呼
8/8

最終話(第八話)「胡蝶の夢」

「もう終わりにしないか」

マンションのリビングでソファに腰掛け、テレビのバラエティ番組を一緒に見ながら唐突にそう切り出したのは優だった。

「どうしたの、急に」幸恵は態勢を変えることなくテレビを見続けたまま応えた。

「いや、これからお互い、将来のことを考えるとそろそろ別れた方がいいのかなぁと思って。女優、続けるんだろ?」優もまた幸恵を見ずに、テレビを見ながら話した。

「辞めるという選択肢は私にはないわ」

「なら、潮時かもな」

「そうね。そうかもしれない」

優は初めて幸恵の方を向いた。

「案外、冷静に別れ話を受け止めてくれるんだね」

「そうね。自分でもなんかそうなる節を感じていたのかな」

「そうか」

幸恵は優の方を向いて、

「そうそう。終わりついでに、今度又オーディションを受けるの」

「へぇ、どんなオーディション?」

「今度の映画はね、ちょっと面白いの。善人面した悪党と戦うヒロインよ」

「へぇ」

「私の受けるオーディションは、無実の罪で投獄された兄を救う妹の役。主役よ」

「良い役だね」

「でしょう。私もそう思う。でも、結局オーディションに受からないとダメなんだけどね……。あ、そうだ。こないだうちの事務所の子が飲料会社のCMに採用されて、その会社からワイン頂いたの。私、下戸だけどあなたが飲むと思って貰ってきたの。どう、飲まない? あなたの為に貰ってきたのよ」

「じゃぁ、折角だから頂こうかな」

「準備するから待ってて」幸恵はキッチンへ向かった。幸恵のオーディションの幕は上がった。


夕暮れ時の静かな部屋。

幸恵はテーブルに赤ワインとチーズを用意した。

「飲めないけど、私もちょっと気分だけ」幸恵はワインの入ったグラスをスワリングして匂いを嗅いだ。

幸恵は小首をかしげ、

「良いワインとは言っていたけど、匂いはどれも同じのような気がする」

「匂いだけでもいいワインなら違うよ」優はスワリングして、匂いを嗅いでから飲んだ。

「ん、旨いよ」

「そう。それは良かった。なんてったってこのワインは特別にあつらえたワインだからね」幸恵はワインボトルを持ち、優のグラスに赤ワインを注いだ。

「ほんと、別れの盃になっちゃったね」

「……」

「別れの盃に乾杯」

二人のグラスが鳴り、優はワインを飲んだ。幸恵は優のワインを飲む姿を見た。

「いいわね。もっと飲んで。湿っぽいのは嫌だから、景気よく飲み干しちゃって」

優は幸恵に勧められるまま赤ワインを飲んだ。

暫くして優は程よい加減に酔ってきたせいか、頭がぼんやりしてきた。

幸恵はチーズ片手に優をずっと観察するような目で見ていた。

「でも、どうして別れ話を言い出したの? 新しく好きな子でも出来た?」

「いや、違うよ」

「なら、もしかして、この髪のせい?」そういって幸恵はショートヘアの後ろ髪を手で撫で上げた。

優は酔った目で幸恵を見た。

「そんなんじゃないよ」

優はだいぶ酔いが回ってる。いや、何かが血液を通って脳内を回っている。その何かが何であるか、幸恵にはわかっていた。

「嘘。あなたはこの髪に怯えてるんだわ。この髪を見ていると誰かを思い出すから」

「思い出す?」

「この髪を見てると、その髪のお兄さんを思い出すのよ。あなたがその兄の恋人を殺害して、その兄を捕らえてピノキオのところへ連れて行き、入れ替わった挙句、その兄を無実の罪で投獄したのよ」

「何を言っているんだ」

「よくも兄を陥れてくれたわね。善人面してのうのうと生きて、この悪党が」幸恵は眼光鋭く優を睨んだ。

優は意識が朦朧とする中、幸恵がぼやけて見える。そして亜紀の姿を見た。

「お前、幸じゃないな」

「私は幸恵よ。あなたの偽りの顔に騙され続けたバカな女よ」

「いや、違う、お前は幸じゃない」

「幸じゃなかったら一体誰だって言うの?」

「……」優は赤い顔をして、だらしなく開く口から涎を垂らしている。

幸恵はワインのボトルを手に取り、

「おかしいわね。このワイン、睡眠薬は入っているけど、幻覚剤は入ってないのよ」

「貴様、やっぱりお前、篠宮亜紀だな。俺に復讐しにやって来たのか!」

優は幸恵を掴もうと手を伸ばすも、突然、意識が落ちてテーブルの上にうつ伏せに倒れた。

幸恵はゆっくりと立ち上がり、うつ伏せに倒れた優を見た。

「恋人もわからなくなるぐらい、悪事を働いてきたの?」

するとそこへ、亜紀が現れた。ワインの準備をする際、亜紀を呼んでいたのだ。

「もう、終わったの?」

「終わったわ」

「随分際どい口論するのね。なんか隠れて聴いていても、ハラハラしちゃった! でも、もし眠らなかったらどうするの?」

「戦うまでよ」

「強いのね」と言い続けざまに、「それもそうね。でなければ二度も私の部屋に来ないよね」

幸恵は亜紀の部屋に二度行っている。その二度目は自分の計画が失敗した後、ネットで調べ、全容を知った後のこと。全てを知った幸恵は優を欺いて、再び篠宮家に潜入し、亜紀の部屋で亜紀と再会し、篠宮将貴のこと。表裏の世界のこと。亜紀に事実を話していたのだ。

「この人があなたのお兄さんを陥れた張本人よ」

亜紀は意識を失った優の横顔を覗き見た。

「ほんと。兄そっくりだわ。あなたに画像で見せられたときは確かに似てると思ったけど、まさかこんなに。ほんと、まるで兄がここにいるみたい」

幸恵は再び、亜紀の部屋で亜紀と会ったとき、亜紀を信じさせるために自分と優が一緒に写っているスマホの画像を見せていた。

「私の言ったこと、信じる気になった?」

「うん。よくわからないことだらけだけど」

「それでいいわ」

「……」

「でも、彼、私にあなたを見ていた。心のどこかで怯えていたのかもしれない」

「で、これからどうするの?」

「元に戻すのよ。十年前のあの時に戻って」

「戻る?」

「そう。そして本当に罰を受ける者が罰せられるように」

幸恵は険しい表情をしていた。


深夜、亜紀の運転する車が誰もいない岸壁に到着した。

その岸壁は、十年前に亜紀の兄、篠宮将貴が発見された場所だ。

亜紀は幸恵の指示で車を岸壁に係留されている釣り船の近く止めた。

後部座席から幸恵が下りて、幸恵は亜紀と一緒に眠っている優を引きづり下ろした。

優の体は後ろ手と両足を結束バンドで固定されている。

幸恵と亜紀は二人で優を抱え、係留されている釣り船に優を乗せた。そして優の上に毛布を被せた。優は一向に起きる気配はない。

幸恵は紙袋からナイフと小瓶を取り出した。

「どうするの?」

幸恵はナイフに小瓶に入っている液体を垂らした。

「それは?」

「血のりよ。よくドラマで使う小道具よ」

「そんなことしてどうするの?」

「十年前と同じよ。犯人と凶器を釣り船に乗せておくのよ。ただ違うところがあるとすれば、これね」

そういって、封筒を見せた。

「それは?」

「十年前の事件のあらまし。これでこの人とあなたのお兄さんが結びつくでしょ」

幸恵は毛布の上に封筒を乗せ、その上に血のりの付いたナイフを乗せて重石にした。

「これで兄は助かるの?」

「それはわからないけど、お兄さんの言っていることに耳を貸す人が出てくるんじゃないかな」

「じゃぁ、兄は刑務所から出られるの?」

「わからない。でも、とりあえずピノキオのところに報告に行こう」

「ピノキオって?」

「この表と裏の世界を繋げている人よ。私とあなたを繋げているようにね」

「そこのところが、私にはまだよくわからないんだけど」

「詳しく知りたかったら両親に聞きなさい。そうすれば全てがわかる」

「そうなの……」亜紀にはまだ意味が分からなかった。

「ピノキオに表裏を頼んだのは他ならぬあなたのご両親なんだから」

「……」亜紀は困惑顔。

幸恵は微笑んだ。

「とりあえず行こう。お兄さんを救い出す何か名案が聞けるかもしれない」

二人は車に戻り、岸壁を後にした。


「それならもう大丈夫です!」

ピノキオは満面の笑みで幸恵と亜紀に答えた。

「支配階級ほど私たち裏の世界と繋がっているものです。彼のことは上手いこと片付けてくれると思います」

「片付けるって、どうやって?」

「簡単なことです。収監されている篠宮亜紀さんのお兄さん、将貴さんと今泉優をただ入れ替えるだけのことです」

「裁判は?」

「そんなことしません。そんなことをしたら私たちのことが世間に晒されてしまいます。何事も穏便にことを済ませます。こんなことはほとんどありませんがトラブルがあると裏の世界のモノは代々そうやって隠し通してきましたから。みすみす公になるようなことは致しません」

「じゃ、兄は」

「ええ、戻ってきますよ」

「ほんと!」

「但し、ご自宅で一緒に住むというわけにはいきません。あくまでもお兄さんは収監されている身ですから。でも、もう自由です。いつでも会えるようになります」

亜紀の顔がパッと綻んだ。

幸恵は怪訝そうな顔をして、

「じゃぁ、優も刑期が終れば出所してくるってこと。そしたら私たちタダでは済まないんじゃない?」

ピノキオは微笑みながら、

「御心配には及びません。彼はもう出所できません。二度と私たちの前に現れることはありませんよ」

「そうなの」

「ええ、それも上の方々が処分いたします」

「なんか、裏の世界って怖いのね。私はその裏の世界に生きる住人なのね」幸恵は、どこか諦めのような気持ちになった。

「大丈夫! 幸恵さんに運がない分、私の運を幸恵さんにあげる。幸恵さんは私たちの家族を救ってくれたんですもの。今度は私たちが幸恵さんを救う番だわ。幸恵さんの望みは女優として活躍したいんでしょ。私のパパに言えば芸能界に知り合いがいるからチャンスぐらいすぐ手に入るわ。それに度胸は折り紙付きってことは私が一番よく知ってる。それに、何より私はもう幸恵さんのファンだから」亜紀は幸恵の底知れぬ強さと生命力に惹かれていた。自分と同じ顔なのに亜紀には全く違って見えていた。

「ありがとう」

それを聞いていたピノキオが笑った。

「どうして笑うの?」幸恵が尋ねた。

「幸恵さんには、もう表裏の世界は通用しません。今回のことであなたは表裏の呪詛から自らを解き放った。あなたはそれをやってのけてしまったのです。なにせ表の人が裏のあなたのファンになってしまうのですから。もう表裏は成立しません。あなたは全てを超えてしまったのです。もう表裏の呪詛がもたらす不運もあなたには遠く及びません」

「ほんと?」

「本当です。だから、運がなくても僕のせいにしないでくださいよ」ピノキオは笑った。

「ピノキオさんって、笑うんですね」

「笑いますよ。これでも一応人間の端くれですから」そういって又、笑った。それにつられて幸恵も亜紀も笑った。花も笑った。


その後、亜紀と両親は、ホテルのVIPルームで将貴と再会した。家族水入らずの再会に家族は皆、涙した。


幸恵はマンションを引っ越し、安アパートで新生活を始めた。とても運が向いているとは思えなかった。しかし、どこか分相応っていう感じで、心はサッパリしていた。

「やり直すにはもってこいだ」幸恵に悲壮感は全くなかった。

幸恵が仕事を貰いに事務所に行くと、啓太が幸恵を見るなり、仕事をぽっぽらかして、「幸ちゃん、幸ちゃん」と言いながら駆け寄ってきて幸恵の腕を掴んでパーテーションで仕切られている場所に引っ張って行った。

「ビッグニュースだよ!」啓太は一人高揚していた。

「何が?」

「何がって、幸ちゃんのことをゴールデンタイムの連ドラで使いたいってオファがたった今、来たんだよ! しかも主演だよ主演!」

「え!?」

「なんでもこないだのオーディションを見に来ていた脚本家がイメージにピッタリだって」と啓太は幸恵を見るも、「あ!」と声を上げた。

「髪、切った!?」

「ええ、まぁ、気分転換に」

「大丈夫かな。イメージが変わってくるとなると」

「……」

「まぁ、大丈夫か」

「啓ちゃん、随分テンション高いね」幸恵は吹き出しながら言った。

「そりゃそうさ! 幸ちゃんは俺が初めてスカウトした人なんだから。いやぁ、俺の目に狂いはなかった! スカウトした時からこの日が来ると思っていたんだ。来ないわけがない! 逆に遅いよ、遅すぎるよ!」

幸恵は笑った。

「兎に角、このチャンス、掴んでよね。実力はあるんだから。期待してるよ!」

すると、年配の男性社員がパーテーションから顔を出して啓太を見た。

「おい、森田! いい加減にしろよ。出かけるぞ!」

「あ、すみません」

年配の男性社員は幸恵を見て、

「西村さん、やったね。うちの看板になってよ」

「がんばります」

「おい、行くぞ」

「はい」

幸恵は、椅子に腰かけた。

「そうか、ドラマが来たのか。しかも主演か……」幸恵の顔が徐々ににやけだした。

突然、「やった!」と言う大声が事務所中に響き渡った。


優は、看守に腕を掴まれて独房に入れられた。

「今日はやけに絡むな。今夜はここで頭を冷やせ」と看守が言った。

「俺は無実だ! 俺は篠宮将貴じゃない!」

「今日はいつもと違ったこと言うな。じゃぁ、お前は誰だ?」と看守は面白半分で言った。優は口ごもった。

「兎に角、俺は篠宮将貴じゃないんだ!」

「はいはい。もうわかったから、その辺で勘弁してくれよ」看守は優を見捨てて去って行った。

優は一人、独房の中で泣きながら喚いた。

「俺は篠宮将貴じゃないんだ!」そういって拳で床を叩いた。

優は貧しい家庭に生まれ、父親が病気になり生きていくだのに必死だった。世間の風も冷たく、親戚にもぞんざいに扱われて育った。人脈もなければ金脈もない。頼れる身内もいない。そんな中、人脈も金脈もなく人生を逆転出来るのは国家資格しかないと考えた。国家資格の中でも最高レベルの司法試験なら不遇の人生全てを好転出来る。しかも司法試験は受験資格を必要としない。優は全てを変えるために必死だった。必死だっただけに司法試験の最後で落ち続けることで人生に疑いを感じ、やがて表裏の世界を知り、幸恵以上に激しく信じた。そして、全てを変えることが出来るのならと非道を働くことも厭わなくなってしまった。

「俺はただ、不遇な人生を変えたかっただけなんだ!」

冷たい床に大粒の涙が落ちた。


その夜の東京拘置所の前に幸恵は居た。

「裏の人間として生きていた優には同情する。私もそうだった。けど、人殺しは良くないよ。自分の夢を叶えるために罪もない人を殺害し、自分の欲望を叶えることは決して許されることじゃない。あんまりだよ。でも、私も偉そうなことは言えないんだけどね。わかるよ、優の気持ち。でも、やっぱり良くない。度を超えてるよ」

幸恵は拘置所の建物を見た。どこに優がいるかはわからない。わからない場所に向かって幸恵は言った。「運とか不運とか、そんな曖昧なものを真に受けちゃいけないのかもしれない。真に受けたせいで自ら運に翻弄される羽目になった……。結局、私たちは弱かったのかな。運なんか信じず、もっと強く自分を信じ、努力を信じていれば、きっともっと違う形で人生を変えることが出来たんじゃないかな。そうじゃない、優?」

その問いかけは優には届かない。

幸恵はもの悲しげな表情のまま、拘置所を後にした。



        〈おわり〉




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