第四話「盲目」
幸恵は、マンションに帰ると同棲している恋人の今泉優に今日、体験したことを話した。
「ほんと、狐につままれるたような一日だったわ」
「つままれたんだよ。第一、そんなの、ありえないよ」と優は幸恵の話を話半分で聴いた。
「でも、今日あったことは事実なのよ! 灰目という人の言葉は当たっていたし、人形町に行けば、ほんとにピノキオという人はいたし」幸恵は真剣な面持ちで優を見た。優は幸恵の真顔を見て、思わず吹き出した。
「じゃ、僕はそのピノキオという人に作られた人形と一緒に暮らしてるわけ? 幸は人形なの? その話を聞いて自分は人形なんだと思ったわけ?」
幸恵は何も言えなかった。灰目やピノキオに言われると自分の運のなさに思い当たる節があり、それがおかしいとは思えない時があったが、こうやって人に面と向かって言われると、確かにおかしなことを言っていると、ふと思ってしまい言葉が出なかった。
優はそれを察して、「だろう? ほんと、狐につままれたんだよ。大体詐欺にひっかかる人は詐欺師の言葉を勝手に思い込んで自分を見失って思慮深く考えることを放棄してしまった人が詐欺にひっかかるんだ。それが騙される人の共通点なんだよ。弁護士をやっているとよくわかる」
「でも、灰目という人は、ほんとに当てたのよ! 私のこと何もかも」
「ほら、自分を見失ってる」と言って優は笑った。
幸恵は優との噛み合わない会話にジレンマを感じ頭をふった。
優は幸恵に構わず、冷静な口調で話しかけた。
「幸が自分の運の無さに辻褄を合わせて納得したかっただけなんだよ」
「違う。よく当たる人と私を作った人が言ったのよ。ほんと優には信じられないかも知れないけど」
優は思わず笑った。
「別にいいわよ。笑えばいいわ」
「幸は信じるんだ?」
「信じる。だって、そう考えるとほんと、全て納得出来る」
「僕は信じたくないね。そんな考え」
「どうして?」
「そういう考えって、人の努力を信じないってことじゃないかな。なんか努力というものを否定されたみたいでイヤだな。はじめから全て、人生は出来レース。そんな考えは持ちたくない。僕は努力もしないで司法試験に受かったってことかい? 弁護士になれたってことかい? 僕は司法試験に受かるために滅茶滅茶勉強したよ。全てを勉強に捧げてやっと受かったんだ」
「いや、全てじゃないの。努力が報われるごく普通の人もいるの。ほとんどの人がそうだと思う。でも、私はそうじゃないの。違うのよ」
「幸は、その裏の世界の作られた人形ってこと?」
幸恵は弱々しく頷いた。
「僕は人形と付き合っている覚えは無いんだけどなぁ」
幸恵は黙りこくった。返す言葉が出てこなかった。
「何を言っても、今の幸には入っていかないし、水掛け論になるからもう終わりにするけど、そういう努力を否定するような考え、僕は信じないし、信じたくもない。僕に言わせれば、単なる逃げ口上にしか聞こえない。逃げる口実が欲しかっただけにしか聞こえないよ」
二人の間に沈黙が過る。そして、沈黙を破るかのように幸恵は静かに話し始めた。
「優の考えは分かった。おそらく殆どの人が優と同じ考えだと思う。正論だと思う。でも、私は確かめたい。どうしても確かめてみたい」
幸恵は、目にうっすら涙を浮かべていた。
「わかった。でも、もし、幸がいうように幸がその表の人を幸せにするために存在するのなら、たとえ彼女に何かあっても、結局、災いが降りかかるのは幸であって彼女は守られるんじゃないかなぁ?」
「……」幸恵は優の言葉を聞き思案した。
「あまり、無茶するなよ」
幸恵は優の言う通り、表の人を幸せにするために存在するのなら当然リスクはつきもの。幸恵は考え込んだ……。
翌日、幸恵はピノキオに貰ったメモを頼りに表の人が住む高級住宅街に向かった。幸恵は、まず自分の表である人が一体、どんな人か、知りたかった。事を起こすにしてのまず相手がどういう人か知っておく必要がある。それにピノキオのところに連れて行くにしてもどうやって連れて行くか、なんの考えもない。そういう算段をするためにもまずは表の人を見ることが必要だった。幸恵は帽子やメガネで軽く変装した。何せ相手は自分と瓜二つ。もし出くわして相手に気付かれては困る。
幸恵は表の人が住む高級住宅街に着くと表札を見ながらゆっくり歩いた。どの豪邸もまさに人生の成功者と言わんばかり。幸恵は一つの豪邸の前で歩みを止めた。幸恵が立ち止まった表札には篠宮と書いてある。
〈篠宮。篠宮亜紀。ここに私の表がいる。こんな豪邸に住んでいるなんて。やっぱり私は裏なのだろうか〉
幸恵は優の言葉を思い出した。
〈優のいう通り、慎重にことを進めないと、結局、自分が酷い目に合うかもしれない〉
すると幸恵が立ち止まっている豪邸の中から人の気配がした。幸恵は何げなく踵を返し、その場から距離を置くと、豪邸から一人の女性が白いシャツにパンツといういで立ちで出てきた。幸恵はその女性を見て素直に驚いた。
〈私だ! 私がいる。ほんと生き写しだわ〉
豪邸から出てきた女性は、幸恵の表の人、篠宮亜紀。ただ唯一違う点は髪の長さ。亜紀はショートヘアで幸恵はロングヘア。
亜紀は、傍にいた幸恵に気付くこともなく颯爽と豪邸を出て歩いて行った。幸恵は、自然と亜紀の後に着いて行った。
その日、亜紀は銀座の高級ブランドでショッピングを楽しんでいた。とても私が入って買えるようなものは一つもない。幸恵は率直に亜紀とは生まれながら住んでる世界が違うと思った。全面ガラス張りの外から丸見えのブランドショップ。亜紀の店員とのやり取りも自然と笑顔が見え、全ての立ち振る舞いに品があり馴染んでいた。生まれながらにしてお金持ち。幸恵は亜紀との差をまざまざと痛感したが俄然やる気が出た。
〈そうやって、あなたがお金の心配もなく好きなものを好きなように買えるのは、裏で私が苦労してるから買えるのよ。私に感謝しなさい〉
亜紀は店員と親しく談笑しながら店から出てきた。
〈必ず、あなたをピノキオのところに連れて行って表と裏を替えてやる。そして、私に憑りついている不運も何もかも、全て終わらせてやる〉
幸恵は亜紀の後に着いて行き、二人は人混みに消えていった。
幸恵はその後も、朝夜問わず、時間があれば篠宮家に足を運び、篠宮家には両親と亜紀の他に運転手やお手伝いさんが数人いることを確認した。
幸恵は篠宮家と高級住宅街周辺を観察し思案した。どうすれば何事もなく自然に亜紀を連れ出すことが出来るのか、事を穏便に済ますことが出来るのか。幸恵は篠宮家に行かなくても四六時中考えていた。勿論、不意を突いて強引に誘拐するという手も考えた。しかし、慣れないことをやれば必ずへまが出て失敗にする。そうこう考えているうちに、ふと天啓のように妙案が閃いた。
優は幸恵にはあまり干渉しないスタンスをとっていた。休日でも一人朝早く出かけたり、夜遅く帰ってきたりする姿をみれば、幸恵が忙しく動いていることは明白である。
しかし、今夜、マンションに帰ってきた幸恵の姿を見て、優は思わずドキッとした。
「え、髪切ったの!」
幸恵は亜紀と同じショートヘアに切ったのだ。
「ちょっと気分転換しようと思って」
「随分、思いきったね」
「でも、似合ってるでしょ」
「ん、まぁ」
「あれ、なんか不評。結構、気に入ってるんだけどな。こっちの方が前より快活に見えるでしょ。それにどこか表情も違うような気がする」幸恵はショートヘアをかきあげ、ご機嫌で部屋着に着替えるため自室にいった。
優はそんな幸恵の後姿を見て、
「……あのショートヘア。あまり関わりたくないものだな」と独り言ちた。




