第三話「表裏」
幸恵は灰目から聴いたことを頭の中で整理することをしなかった。荒唐無稽なでまかせとしか思えなかった。それよりも人形町に居を構えるピノキオという人物が本当にいるかどうか確かめる方が先と思えた。
〈全てはそこれからでいい〉
人形町の夜は飲食店以外は意外と静かだった。それは嵐の前の静けさなのか……。
幸恵はスマホのGPSに灰目が割り箸の紙に書いた住所を入れて歩いた。すると人気のない路地裏の小汚い雑居ビルに着いた。割り箸の紙にはB1と書いてある。幸恵は雑居ビルに入って行った。奥に階段があった。幸恵は階段を地下に降りていった。地下一階、B1に出ると幅二メートル満たない通路があり、薄緑色の灯りが通路を照らしていた。その通路に赤いボンテージ姿の女とライダースーツを着て首のあたりから顔にかかって刺青が見える男が壁に寄りかかっていちゃついていた。女と男は幸恵に視線を送った。幸恵は一瞬、目を逸らした。二人はどこか人を通さないトラップのように通路に存在していた。幸恵は意を決して女と男の脇を黙って通ろうとすると女が咳ばらいをした。幸恵は気にせず通り過ぎた。すると奥にドアノブが見えた。それ以外入り口らしきものは見当たらなかった。
〈あそこにピノキオがいるの?〉
ふと、ドアノブを回す前に後ろを振り返った。女と男の姿はなかった。幸恵は、思わず息を吐いた。部屋の中から女の子の声が聞こえてきた。幸恵はドアノブを静かに回してドアを開けた。
市松人形の女の子、花が幸恵を見た。
「あ、お客さんだ」
幸恵は黙って静かに部屋に入ってドアを閉めた。
「ピノキオ、お客さん来たよ」
部屋に入ると作業机の前に座っている茶色と青色のチェック柄のシャツに深緑の蝶ネクタイをしている小太りの男がいた。女の子が呼んでいる小太りの男がピノキオである。ピノキオは人形作りの作業の手を止めたまま驚いた顔をし、口を開けたまま幸恵を見た。女の子がピノキオの傍に行き、ピノキオの服を引っ張った。
「どうした?」
ピノキオは無言だった。首元にある蝶ネクタイに指をかけて緩め始めた。ピノキオの表情から幸恵のことを知っているのは察しがついた。
幸恵はその場に立ったままピノキオを見た。その視線に特別な感情はなくただ無言で眺めた。
ピノキオは幸恵を見ることが出来ず、落ち着かない様子だった。
「どうしたピノキオ?」花が声をかけた。
ピノキオは花の両脇に手を入れて抱き上げ、花がいつもいる指定席の市松人形が沢山飾ってある場所に置いた。指定席に置かれた花は微動だにせず、声も発せず、花の肌質が人肌から徐々にプラスチックへと変わり、周りの市松人形たちと同化した。
幸恵は改めて室内を眺めた。まさに人形だらけの部屋。通路であったパンク調の大人の人形もある。ありとあらゆる人形が置かれている。
ピノキオは椅子に腰かけ額の汗をハンカチで拭いた。
「おそらく、ご存じかと思いますが灰目さんに教えてもらって、ここに来ました」
「そうだよね。でなければ君がここに来ることなんてない。今、お茶を用意するから座ってください」
幸恵とピノキオは円卓を挟んで向かい合って座っている。幸恵の前にピノキオが用意したティーカップに紅茶が入っているも幸恵は一切手を付けず、黙ってピノキオを見ていた。
ピノキオは落ち着きなく頭を右へ左へとゆっくり動かし、時折、自分が用意した紅茶に口を付けたり、額から沸き出る汗をハンカチで拭いたりしていた。
「私のこと、知ってますよね?」
ピノキオはティーカップをソーサーに戻す際に、ガシャンと音を立てて置いた。
「いやぁ、そのぉ、なんて言ったらいいか……」額から新しい汗が出てきた。
「知ってるんですね。そうですよね。知らない訳がない。だって裏の人間を作っている人なんですもんね。私を作った人なんですよね」
「そこまで知ってるんだ!?」
「なんで私が裏なんですか」
「それは、表の人が幸せを求めたから」
「その表の人ってなんなんですか?」
「表というのは、世界そのものなんだ。世の中、表もあれば裏もある。光と闇ともいうけど。全ては表裏一体なんです。その表の人は我が子に幸せが訪れるように、災いが降りかからないようにと、裏を求めるのです」
「裏を求める? 要は表の人が幸せになるために身代わりになる裏の人を作るってこと?」
「簡単にいえば。でも、普通は表の人の災いを代わりに背負うのに人形を用いるんです。人形だったら罪悪感や引け目も薄れます。でも、時として人形のような気休めではなく、完璧な裏を求めるたがる人もいます。所謂、裏の生きた人形です。表と全く瓜二つの表裏一体な人形です。私はその裏の人形を作り、魂入れをします。それが裏の人間として生きる人身御供です」
「それが私ってことなの?」
「まぁ、そういうことになるかな」ピノキオは額から吹き出た汗をハンカチで拭いた。
「私は、私に似た表の人が幸せになるために作られた人身御供ってことなのね?」
「ええ、まぁ」
突然、幸恵は円卓に持っていたバッグを思いっきり叩きつけた。
「冗談じゃないわよ! こっちは本気で必死になって生きているのよ! なのに表の人の肥やしにしかならないなんて冗談じゃないわ!」
幸恵は立ち上がり、円卓を蹴り飛ばした。円卓は倒され、円卓に載っていたティーカップとソーサーも音をたてて床に落ちて割れた。
「でも、それがこの裏の世界に生きるモノの掟なんです。君ももう大人なんだから、今言った世の中の仕組み、わかるでしょ。幸せになれる人もいれば、なれない人もいる。そうやってこの世のバランスは保たれているんです。その一つが表と裏。そう考えれば納得がいくでしょう。それに君は今、自分が幸せになれない理由を知ることが出来たんだ。裏で生きる多くのモノはそのことを全く知らず生きているんです。そう考えれば君はある意味、幸運なのかもしれない。そうでしょ?」ピノキオは必死に宥めるように言った。
幸恵は、能面な顔をしている。
ピノキオは幸恵の顔色を伺うように尋ねた。
「納得いただけましたか?」
幸恵は微笑み、
「うん。納得した」と言うや否や、憤りを露にして続け様に言った。「って、納得するわけないでしょ!」
幸恵は、ピノキオに飛びかかり、ピノキオの蝶ネクタイを掴み、思いっきり引っ張り上げた。
「こいつ!」
ピノキオは「苦しい!」と言って幸恵の腕を掴む。
「離してくれ!」
「離すものか! 私の苦労を思い知れ!」
ピノキオは、蝶ネクタイを引っ張られ、首を締め上げられながら、
「しょうがないんだ!」
「何がしょうがないのよ! 金さえもらえば何でもする、この悪魔!」
ピノキオは、声を絞りだし、蚊の鳴くような声で、
「悪いとは思ってるよ」
「悪いと思ってやってりゃ、余計たちが悪いわ!」
幸恵は、容赦なくピノキオの蝶ネクタイを強く引っ張り上げる。
「苦しい! 助けてくれ!」
「裏の私がいるってことは表がいるんでしょ」
ピノキオは、蝶ネクタイで首が絞まり、半ば落ちそうになりながら頷く。
「その表と裏は入れ替えらことは出来ないの?」
ピノキオは、小声で、
「出来る……」
一瞬、幸恵のピノキオの蝶ネクタイを締め上げる手が緩む。ピノキオはそれだけで、少し楽になった。
「出来るの!?」
ピノキオは頷くと更に幸恵の蝶ネクタイを締め上げる手は緩み、やがて手を蝶ネクタイから放した。
ピノキオは安堵しながら首周りを緩めながら、
「出来るよ。簡単だよ」
「簡単?」
「人形に魂入れをして人間にするより、はるかに簡単なことだよ」
「じゃぁ、変えろ! 今すぐ変えろ! こっちは年も年だし、せっぱ詰まってんのよ! 早く! 今すぐ変えろ!」
「それは無理です」
「どうして? 今、簡単って言ったじゃない!」
「表と裏を入れ替えるには、表の人、裏の人、両方が揃わなければ変えることは出来ないんです」
「じゃぁ、表の人をここに連れて来いってことね」
「そうです。そうすれば変えることが出来ます」
ピノキオの表情は少し曇っていた。魂の入れ替えは裏の世界に生きる者にとって人に話していいことではない。しかし、ピノキオは幸恵の勢いに気圧され、命乞いをするかのように話してしまった。
幸恵は、ピノキオの話に希望が持ったのか、どこかスッキリした表情になった。
「よし! じゃ、表の人を連れてくるから入れ替えなさいよ! いいわね」
ピノキオは首の周りを撫でながら、「わかった」と言って頷いた。
ピノキオは、作業机に帳簿を広げてメモ帳にメモを書いている。
幸恵は椅子に座り足を組んでピノキオを眺めた。幸恵の口許が微かに微笑んでいる。幸恵は、これで自分の落選人生に終止符が打てる。私の人生は好転する。そう思うと自然と微笑みが零れた。
ピノキオは、幸恵にメモを渡した。
幸恵は、ピノキオからメモを受け取り、
「ここに行けば私に瓜二つの表の人がいるのね」
ピノキオは頷いた。
「よし!」幸恵は、勢いよく座っていた椅子から立ち上がった。幸恵はメモをバッグにしまい立ち去ろうとした。幸恵は部屋のドアノブに手をかけ出ようとするが、出る前にピノキオの方を振り返って指さした。指さされたピノキオは座ったまま硬直した。
「待ってろ。すぐ連れてくるから。いい、必ず入れ替えなさいよ」
「わかりました」と答えたが、続けて幸恵に向かって言った。
「でも、これだけは言わせてください」
「何?」
「君のご両親は、子供が欲しかった。たとえ君が表の人のための人身御供であっても、ご両親は君を望んだんだ。そのことは知っておいて欲しい」
幸恵は鼻で笑い、
「そんなこと言ったって、あんたのやったことを私は許しはしないわ」
ピノキオは何も言わなかった。
「兎に角、待ってろ。必ず表を連れてくるから。今度は私が表になる番だ!」幸恵は捨て台詞を吐き、ドアを思いっきり閉めた。
ピノキオは部屋を出た幸恵を見送ると疲れがどっと出たのか、深くため息をついて大きく項垂れた。花がピノキオの傍に来て、「大丈夫?」と言いながらピノキオの顔を覗き込んだ。ピノキオは苦笑しながら、「大丈夫だよ」と言うのが精いっぱいだった。
幸恵が古びた雑居ビルを出た。街灯がなく闇の中。しかし、幸恵の表情は目つきが鋭く輝いていた。まるで獲物に狙いを定めた獣のように。幸恵は拳を握り締め一人呟いた。
「変えてやる! そんな不条理な表と裏、全て変えてやる! 今度は私が表だ!」




