第二話「真実」
その夜、幸恵は魔貝から電話を受けた。
「先方が、占っても良いそうです。但し、その方が明日の昼食の時ならと言ってます。どうです?」
「明日の昼食のときですか……」
「急で、ついで感はありますが、何分忙しい方なので。ダメですか?」
「いえ、急でもついででも何でも構いません。私もどうせ暇ですから」
「そうですか。なら、先方の昼食場所と時刻をメールで送ります」
「あの、その方の名前は何て言うのでしょうか?」
「ああ、名前。そうでしたね。その方は灰目と呼ばれています」
「はいめ?」
「そう。目が灰色なんです」
「灰色の目ですか……。日本人?」
魔貝は笑いながら、
「バリバリ、日本人ですよ。会えばすぐ分かります。それも含めて楽しんでください」
別に楽しむために会うのではないんだけど、と幸恵は思ったが、それは言わなかった。ただ一言、「分かりました」と言って電話を切った。
次の日、幸恵は、灰目との待ち合わせ場所に行った。時刻は午後四時、神田にある老舗の蕎麦屋。昼食をとるには遅すぎる時間。これも忙しさからなのだろうか? そして、待ち合わせ場所に指定された蕎麦屋は、準備中の立て札が置いてある。もう、ランチは終わってる。これでは中に入れない。しかし、指定された場所と時間に間違いはない。幸恵は一瞬躊躇するも蕎麦屋の扉を開けた。
「すいません」
すると、厨房で夜の仕込みをしている店員が、幸恵を見て言った。
「ああ、夜の営業はまだなんですよ!」
「いえ、そうではなくて。ここで人と待ち合わせをするために来たのですが……」
「待ち合わせ?」
店員は首を捻る。すると、店員は幸恵の背後の人影に目をやり、
「あ、灰目さん。いらっしゃい」
幸恵は後ろを振り向いた。すると腰を曲げて幸恵の背後から店内をのぞき込んでいる男の顔がまじかにあった。灰色の瞳が幸恵を見ていた。幸恵は驚き、のけぞり、倒れかけるとその灰色の目をした男に腕を掴まれ倒れずにすんだ。蕎麦屋の店員に灰目と呼ばれた男は長髪で見るからに巨漢。身長は二メートルはゆうにあり、横幅もある。
灰目は、幸恵を店内に入れると、大きな体を小さくして蕎麦屋の扉から店内に入った。灰目は幸恵を見て、
「あなたが私に見てほしい人ね」
「あ、はい、お願いします」
「ジロちゃん。ちょっと借りるよ」と灰目は厨房にいる店員に声をかけた。
「蕎麦どうします? その人の分も出した方がいいですか?」
灰目は幸恵を見て言った。
「あんたは食べないよね」
「私は結構です」
灰目は厨房にいる店員に言った。
「私だけでいいわよ」
「わかりました」と店員が答えた。
灰目は座敷に上がった。
「あなたも来なさい」
幸恵は灰目に言われるまま座敷に上がり、灰目の前に座った。灰目は黙って幸恵を見た。観察するような目で幸恵を見、鼻を吸った。
すると、店員がお盆にざるそばをのせてやってきて、「はい、灰目さん」といって渡した。灰目は「ありがとね」といって片手でお盆を受け取り、テーブルに置いて割り箸を取り、食べ始めた。幸恵は、ざるそばを見て、その巨体には量が少ないのでは、と思った。案の定、灰目は三口で食べてしまった。灰目はそばつゆに蕎麦湯を入れて一気に全部飲み干した。灰目は厨房で働いている店員に向かって礼を言った。
「ジロちゃん、旨かったよ」
「ありがとうございます」
灰目は幸恵の方を向いて、
「さて、あんたの番だね」
幸恵は、背筋を伸ばした。
「あなたのような人に会うのは、ほんと何年振りかしら。久しく嗅いでなかったは、この匂い」
「匂い?」そういって幸恵は自分の手の甲を嗅ぐ。
灰目はその姿を見て笑った。
「嗅いでもわからないわよ。特に自分では。普通の人だって決してわからない」
「じゃぁ、匂いって何の匂いですか?」
「そうね、一言で言えば、人間の匂い。その人間の匂いがあなたにはないのよ」
「それは体臭がないってことですか? 体臭ならあります。汗かいて自分で臭いと思ったことはあります」
「体臭ではないのよ。もっと根本的なこと。人間の匂いがしないってこと」
「それはどういうことですか?」
「端的に言えば、あなたは人間じゃないのよ。あなたは作られた人間なのよ」
幸恵は、一瞬「何言ってんだろ、この人」と思った。
灰目は幸恵が疑心暗鬼になっているのを察して、微笑みながら言った。
「どうやらついていけないようね」そういって灰目が立ち上がろうとテーブルに手を付く。すると幸恵が立ち上がるのを制するように、灰目の手を掴んだ。
「いえ、全部言ってください! 灰目さんから見た私のことを全部言ってください! 私はそれが聞きたくて会いに来たんです!」
灰目は立ち上がるのを辞めた。
「そう。全部聞きたいのね。いいわ。私から見たあなたのことを話すわ。あとはそれを聴いてから自分でどうするか、決めて頂戴」
「お願いします」
灰目は座りなおしてから、幸恵の目を見て話し始めた。
「世の中には表と裏があるのよ。裏と言っても世間が言っている裏社会のことじゃないわよ。もっとまやかしのような普通では考えられない表と裏の世界があるの。それは世界に限ってのことじゃない。人間にも表と裏がある。あなた、ご両親いる?」
「両親はいます」
「そう。でも、あなたはその両親から生まれ、この世に生を受けたのではないわよ」
「今の両親が実の両親でないなら、私には他に実の両親がいるってことですか?」
「いないわ」
「両親がいないって。じゃぁ、誰が両親なんですか?」
「誰が両親というよりあなたには血縁がいないの。なぜなら、あなたは人形遣いによって作られた裏の人間だから」
「……」
幸恵は、灰目が言っている意味がわからなかった。
灰目は幸恵の心中を察して一言言った。
「意味がわからないみたいね」
「はい。正直、よくわかりません」
「あなたは自分の今までの報われない人生の理由が知りたくて、私に会いたかったのよね」
「はい」
「その答えがそれなの。あなたは人から生まれた人間じゃない。あなたは人形遣いによって作られた人間なのよ」
「その人形遣いって、一体何なんですか!?」
「人形遣いは、富裕層や支配階級の人間の依頼で、我が子が幸せな人生を送れるように、災いが起こらず幸運がもたらされるようにと、依頼されて身代わりの人間を作る人のことよ。いわば、表の人間が幸せになるための人身御供。裏の人間のこと。あなたはまさにそれなのよ」
幸恵は絶句した。あまりにも荒唐無稽すぎて、どこか作り話を聴かされている感覚に囚われた。しかし、次の灰目の一言が琴線に触れた。
「あなたはどんな頑張ってもその頑張りが報われない理由が知りたいのよね。その理由がこれよ。あなたは決して報われない。なぜなら全部、あたなを人身御供にしている表の人間に吸い取られてしまうから。あなたの幸運も全て持っていかれてしまうから。だから、あなたの努力は決して報われることはないのよ」
幸恵は唖然とした。どんなに頑張っても報われないという事実は現実と重なっているように思えた。
「わかる? 私の言ってること?」
幸恵は唖然としたまま。
灰目はその姿を見て、
「どうやら少しは理解したようね。心当たりがあるから余計、理解しやすかった?」灰目は微笑んだ。
幸恵はどこか覇気を失った。失ったまま灰目に尋ねた。
「じゃ、私が女優になって、有名になって、お母さんを喜ばせたいという夢は全てムダなんですか? 無駄骨ということなんですか? 私の努力は全て表の人に吸い取られるだけなんですか!?」
「お、わかってるわね」
「わかろうと努力してます」
「そう。ならそういうことよ。それが裏の人の運命だから」
「そんな、そんなの酷すぎます!」
「確かに酷いよね。でも、この世にはそういう不条理なことは沢山あるの。それがあまり表だって扱われないだけ。扱われるとしても報道ではなくバラエティのネタとして使われるだけ」
「……」
「大体、世界に八十億も人がいるのよ。全ての人が本当に人間と言い切れる? 中には人に成りすましているモノが紛れ込んでいても不思議じゃないでしょう。そもそも人間だって一体どこから来て、何をしにこの世に存在するのか、そんなの誰もわからない。私に言わせればこの世はわからないもので成り立っているものよ」
「……」
「安い都市伝説に聞こえた? それでいいのよ。そう受け止めてくれて一向に構わない」
「……」
「でも、ほんと、あなたのような人に会うのは久しぶりだわ。十年以上は経つかしらね」
「灰目さん、私は人形遣いに作られたと言いましたよね」
「言ったわ」
「なら、私を作った人に私を会わせてくれませんか?」
「それは私の言ってることが本当かどうか確かめたいわけ?」
「いえ、純粋に私を作った人に会ってみたいんです」
「なんか穏やかじゃなさそうね」
灰目は幸恵の目にただならぬ想いを感じ、少し黙った。
「いいわ。本当はこういう裏の世界は、たとえ都市伝説的な扱いでも、あまり口外しちゃいけないのが暗黙の掟なんだけど、作られた子が言うなら仕方ないわね」
灰目は、割り箸が入っていた紙の裏の無地にピノキオのいる住所を書いて、幸恵に渡した。
「あなたを作ったのは人形町に居を構えるピノキオという人形遣いよ」
「ピノキオですか?」
「間違いないわ」
幸恵は受け取った割り箸の紙に書いてある住所を見た。
「電話番号は?」
「電話なんかないわよ。私だって電話なんかもってない。ありえない世界で生きているような輩は電話なんか持たない。何事もないように世界に溶け込んでいるのよ」
幸恵は、割り箸の紙を見ながら「ピノキオ」と呟く。
「行くのはいいけど、親孝行もほどほどにね」灰目はニヤリと微笑み、立ち上がった。それを見て幸恵も慌てて立ち上がった。灰目は一万円札をカウンターに置いて、「ジロちゃん、邪魔したね」と仕込みの準備をしている店員に声をかけた。
「いつもどうも」と店員は愛想よく返事をした。幸恵は店員に会釈した。
灰目は、巨体を小さくして店の扉から出た。幸恵も店の外に出た。すると車道に黒塗りのワンボックスカーが停まっていた。ワンボックスカーのドアが開いて、灰目が乗ろうとする前に幸恵の方を振り返った。
「私も色々言ったけど、私の言ったことが全てではないのよ。私が見たものが絶対とは限らない。なぜなら人生そのものが生き物だからね。変わることはいくらでもあるし、変えられることも出来る。あなたの人生も良い方向に変わるといいわね」
「今日はありがとうございました」幸恵は頭をたれた。
ワンボックスカーのドアが閉まり、幸恵を置いて走り去っていった。
幸恵は、去っていくワンボックスカーを見送ってから呟いた。
「私が作られた? ちょっと荒唐無稽すぎない? やっぱり信じられないわ。兎に角、このピノキオという人に会わない限り」
夕焼けが幸恵を橙色に照らす。幸恵は割り箸の紙を見た。
「会いに行くか。本当にいるのかどうか怪しいものだけど」
幸恵は駅に向かった。




