始まりの日
時代は違えど源氏は勝者なり──この教えを幼い頃に教わった。
出会った時には既に他人の気がしなかった。否、他人である。ただ、関係が少なからずあるということ。
代々受け継いできた血が騒ぐ感覚は、僕と君にしか共感できないだろう。
安心してくれ──僕と君が交わるはずがないのだから
太陽の日差しが窓から差し出す頃に源頼棰は起きるように体ができている。広々とした自室で起きたと同時に頼棰は朝欠かさず行うことがある、それは軽いストレッチである。寝ている間に固まった筋肉をほぐすことから頼棰の朝は始まる。
「んっ···はああ。体を動かすのは気持ちがいいな···ご飯は、シャワーの後だな」
頼棰は適度にストレッチを終えると、お風呂へと向かう。ストレッチを終えたあとは朝のシャワーも欠かさない。少しでも汗が残ることが嫌いな頼棰にとってシャワーは一番気にしている。例えストレッチをしなかった時でも、人間は寝ている間にも汗は出ている、自称繊細な性格をしているため気になるのだ。
「今日はパン食べればいいか···」
頼棰の両親はとても忙しく、あまり家に帰ってくることは無い。寂しいと思ったこともあるが時間が解決してくれる、簡単にまとめると人間、慣れてしまう。これは人間が恐怖を抱くひとつの議題だろう。慣れというものはとても怖いのである。それが崩れるとなかなか立ち直れないのが人間であり脆い心である。頼棰はこの生活に慣れないという事を一つ視点に置いている為、その心配はない。
ただ食事にその傾向がではじめてきたのが最近の悩みなのだが。
「···そろそろ学校へ行くか···ん?ラインが来てる」
スマホの画面に1件のメールが来ているのを確認すると、内容はいつものことだった。特に返信することはなく、登校の準備を素早く済ませると玄関まで向かう。靴に履き替え玄関を開けると、深い紫色の髪が特徴的な女生徒が立っていた。
「妾を待たせるなんて···これは仕置が必要かなぁ〜?」
「そんな待たせてないし、一緒に登校誘ってるの僕じゃない···」
彼女は詩蘭妲己、幼なじみであり数少ない友人の一人である。学校では男子から絶大な人気を誇る美魔女である。独特な話し方と珍しい紫がかった髪が特徴な女の子。それでいて勿論僕から見ても顔立ちが整いすぎていると言っていいほどだと見て思う。
「妾が待っておいたの、急ぐのは道理であろう?」
「·····前も指摘したけど、妾って今時言う人いないでしょ。個人の自由だけどさ」
「であるなら、そんな野暮なこと聞くでないっ!妾は妾で、棰は僕····ふふ。棰も僕とは···可愛いなあ」
「五月蝿いな、もー学校いくぞ」
妲己は「そう拗ねるな」と頼棰に言いつつ、隣で笑みをこぼす。頼棰の隣を歩く妲己に朝の通勤途中であろうサラリーマンや学生からの視線が感じるのだがこれはいつもの事、妲己はもちろんのこと、頼棰もこの視線に慣れてしまった。
「さっきの主婦、振り返ってこっち見てたぞ?」
「ん?棰を見てたんでしょ···妾の隣にいるのだから当然だ」
「そうですねー。君の隣だから目立ったんだねー。感謝するよありがとう···」
「そうではない。棰は己を過小評価しすぎだ、世の男子に呪われるぞ?妾に見合うというのに···」
妲己は時々、変なことを言う。頼棰という人間を過大評価する時があるのだ。本人はちっとも思ってないのだから意見が合うはずもなく。一言言っておくと、僕は興味のないものには一切の関心を開かない。だからそれに伴い友人と呼べる人も少ないのだが···。頼棰は別に困ることも滅多にないのだから気にはしていなかった。
「あーもう、妲己と話すとほんと変な感じだ。最近、体調も良くないし···」
「妾が看病してあげようか?ふふっ···なんて、棰は望みではないか」
「ふんっ」
短いようで長い登校は終わりを迎え、校門には既に登校してきた生徒でいっぱいだった。
私立煌凛高等学校、京都宇治に建つそこそこの進学校である。学校でも妲己は有名であり、新入生であるのにもかかわらず学年問わず人気である。人と関わることが苦手な頼棰にとっては感心することしか出来ない。
校門まで来るとすれ違う生徒、友人から挨拶されると妲己は「おはよぉ」としっかりと返している。そんな姿を隣で感心していると、3人の女生徒から頼棰に向かって挨拶をされた。自分に言われるとは思っていなかったが、驚きながらも「お···うん。」と変な挨拶を返してしまった。それでもなぜだか3人は分かりやすく頬を緩め下駄箱まで行ってしまった。
「···そういえば、誰。あの3人」
「ほー珍しい。挨拶を返すところなんて久しぶりに見たぞ?いい事だと思うが」
「咄嗟に返しちゃったけど、誰だったんだろあの3人組」
妲己は「知らなかったのか?」と問うような目を頼棰に向ける。
「はあ。さっきの3人は2年の先輩であろう?バレー部のエースだと聞いたが···。だから言ったであろう?過小評価せず自信を持てと」
(そろそろ自信を持って色男だと自覚してもらいたいものだ、去年のバレンタインで思い知ったかと思っていたのにこれでは·····鈍感にぶちんであるな)
去年のバレンタイン、妲己はしっかりと見たのだ。同じ中学生男子が妬むほどのチョコレートが頼棰の机に山積みに積まれていた光景を。元々甘いものが苦手な頼棰にとって朝、自分の机に知らぬ間に積まれていた糖分の山に恐怖を抱いていたことも知っている妲己にとって、今の高校生源頼棰は中学の頃とあまりにも変わっていないという事を。
人との関わりをあまり持たないとするその思考には、幼なじみの妲己でも分からない。
「例え大勢からモテても、最後に残るのは1人。だから99パーセントには興味をなくしてるんだよ」
「妾はモテモテならそれで十分だがな」
「さすがの傲慢な言い分なことで···」
頼棰と妲己は、教室に入ると各々の席へと着席した。廊下側後ろの席へと着席するなり、隣に座る親友である藤原良壱が振り向いた。その顔はからかいの準備は出来ていると言わんばかりの笑みだった。
「おっ、また夫婦で登校とは羨ましいなあ、おい」
「はいはい。その発言は既に400を超える数を耳にしたから僕には効かないよっ。残念だったな!」
「俺は諦めが悪いのが取り柄だからな──そうそう、今日転校してくる奴がいるってよ。しかもこのクラスに、変なタイミングだよなあ」
「転校生か──紗世はまだ来てないのか?」
「珍しいな」
橘紗世、平安時代から源家と親交があり幼い頃からの仲である頼棰にとって数少ない友人である。朝のホームルームまで五分を切った時、急ぎ足で教室に入ってくるなり良壱の前の席へと着席すると大きなため息をこぼした。
「ギリギリに来るなんて珍しい、寝坊したか?」
「良壱そんなこと聞かなくてもいいでしょ、こんな日も紗世にだってあるしさ」
「そうですー、寝坊しただけです──棰の言う通り!そんなこといちいち聞くな」
そんな会話をしていると、担任の先生が見知らぬ女生徒を連れて教室へと入ってきた。噂の転校生だろうか、クラスの男子が分かりやすく反応しているのを他所に、クラスに転校生の紹介を淡々と行う。
「···平将雪と言います。よろしくどうぞ···ぺこり」
男子生徒は歓喜の声を上げ、それを女子は尖った眼差しで見つめるというなんとも言えない雰囲気の中、先生は淡々と話を進め、空いている席へと誘導する。その席とは、頼棰の前の席である。正直に言うと最悪である。あまり関わりたくないのが本音ではあるが、今日は初日、分からないことが多いこともあり助け舟ぐらいは出そうと心の中で思っていると、早速声をかけられた。
「貴方が源···?よろしくね」
「···あ、ん」
その会話以降、放課後まで話すことは無かった。
そして迎えた放課後、部活も今日はなく、窓際の席の妲己がやって来て帰る支度をしているところだった。将雪はカバンを持ち立ち上がり、不意に頼棰の耳元に「またね」とだけ告げて教室を出ていった。その光景に妲己はなんとも言えない表情を浮かべ、特に何も言葉を発さずに帰路へと着いた。