道化死
(もう・・・・死んじゃおうか・・・・・)
初春の風が僕の頬を優しくなでていく。
休日には子供連れで賑わう河川敷の公園は平日の午後過ぎということもあり人影はなく、ただ鷺が川面と戯れているだけ。
僕は虚な気持ちで公園のベンチに座り、これからのことを考えていた。
大学受験の2年目の挑戦は終わり、志望校はおろか滑り止めまで不合格という結果。
親は落胆した表情を隠せないながらも、もう1年頑張りなさいと励ましてくれた。
でも・・・・・・
(僕、もう疲れた・・・・・・。)
(これからどうなるんだろう。来年もだめだったら・・・・)
そんなことばかりを考えて前向きになれない。
僕は社会から弾き出された。
何者でもないし、どこにも所属していない。
(いいさ、僕がいなくなっても、弟がいるし。)
(なるべく苦痛のない死に方がいいな・・・。)
「なんなら、手伝いましょうか?」
突然背後から男性の声がした。
僕は驚いて振り返る。
そこには中年風の男がいた。
中年風・・・、なんともおかしな表現だけど、そうとしか言いようがない。
なんだったら、人間風と言い換えてもいいだろう。
少し小太りのその男は、グレーのスーツに濃紺のネクタイをつけていた。
オールバックにした髪は白髪の比率が多く、若くないことは想像できる。
でも、その顔は・・・・、真っ白なその顔の鼻や唇は赤く染められていた。
カラーコンタクトなのだろうか、黒く縁取られたその瞳は金色。
「これは、失礼。おどろかせてしまいましたね。私は&$%&$と申します。」
確かに男は自分の名前を名乗っているんだけど、なぜか頭に入らない。
男はポケットから黒い液体のはいった小瓶を取り出した。
僕は反射的に受け取ってしまった。
「これをあなたに差し上げます。苦しむことなく、楽に死ねますよ。」
僕はその小瓶を見つめる。見つめていると闇に取り込まれていく感覚が襲ってくる。
それは決して恐ろしいものではなく、永遠の停滞を予知させる不思議な安心感。
(嘘じゃないんだろうな。)
顔をあげると、あたりには何もいなかった。
その邂逅が夢でなかったことを示すのは黒い液体の入った小瓶だけ。
僕は小瓶の蓋をあけて少し匂いを嗅いだ。甘酸っぱい花の匂いがした。
結局、僕はその液体を飲むことはなかった。
翌年の試験で第一志望ではないが大学に合格し、平凡な成績で卒業し、平凡な会社に就職した。
そして平凡な出会いを経て結婚をした。
子供には恵まれなかったが平凡な幸せを手に入れた。
定年まであと数ヶ月という冬の日に妻に突然先立たれた。
日々忙しく、贅沢もできない生活だったので、退職したらふたりで旅行にでも行こうねと言っていたのに。
両親も数年前に他界している。もう弟夫婦とは疎遠になっている。
僕はまたひとりになった・・・・・。
会社生活、最後の日。
鏡に映る僕の顔には深く皺が刻まれている。
いつも通りの時間に会社に向い、事務手続きをしてそれで終わり。
(そうだ。印鑑がいるな)
僕はチェストの中にある貴重品入れから印鑑を取り出そうとした。
そこには、あの小瓶が、まだ捨てられずに置かれていた。
僕は印鑑とその小瓶をポケットに突っ込んだ。
暖かい日差しが照りつける春の日、僕は河川敷の遊歩道を歩いていた。
皆の心のこもらない拍手とねぎらいの言葉に送り出され、僕は今、本当に社会からひとり。
何もすることがない・・・・。
あとは、もうすこし先にやってくる死を迎えるだけの生活。
まっすぐ家に帰っても誰も待っているわけでもない。
僕はいつもは通り過ぎていた公園のベンチに座って、ぼんやりと空を眺めた。
座った瞬間、コトリと音がした。
ポケットに入った小瓶が、ベンチに当たった音だ。
(今日で終わらせてもいいかな)
僕はこの液体への好奇心を今日で終わらせることにした。
いずれにしても、これ以上悪くなることはないだろう。
”お飲みなさいな”
小瓶は僕を誘惑し、僕は小瓶に口づけをする。
顔から血の気が引いていき、心臓の鼓動がゆるやかに停止していく。
苦痛も恐怖もない、ただひたすら安らかな気持ち
今までの人生がフラッシュバックする。
(ああ・・・・、僕はシヌノダ・・・・・・)
気がつくと、僕は立ち上がっていた。騙された?いや・・・・。
自分が生きていないことはわかる。ただ、死んだとも言い切れない、不思議な感覚。
”人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ”
ふと、そんな言葉が浮かんだ。
有名な人の言葉だったと思うが、いつどこで聞いたのだろう。
(僕はピエロを上手く演じられたのかな?)
この劇の主人公は僕だけど、観客も僕だけ。
この劇を届けないといけない。
ベンチに青年が座っている。僕は彼のもとにゆっくりと近づいていく。
幕は・・・・あがった。




