その6
今回から和ちゃんが梨花たちとぐいぐい絡んできます。
ここからどうなるかは、梨花たちにしか分からないことなので、暖かく見守ってやってください。
毎週日曜日に投稿していきます。恐れ入りますが、時間帯は作者の都合によります!
私と奏は受付の机を挟んで、小さな女の子と対面して座る。
机の上にはまだ開かれていない弁当箱が三つ。ちょうど人数分ある。
さて、ではこの弁当を今から一緒に食べるために……まずは自己紹介。
向き合ってなお、もじもじと俯くこの子とは目が合わない。まぁ、それは今はいいとしよう。
そもそも、今のこの態勢に落ち着くまでが大変だったのだから……。
この子は一向に机の下から出てこず、こちらからどれだけ声をかけてもうずくまってしまって相当怖がられていた。
だからしばらく私と奏は、こうして座って待っていた。なにも声をかけず、目も合わせず、ただ待っていた。「よかったら一緒に食べない?」とだけ言い残して。
すると、まぁ必然的にお腹が空いたこの子が、ひょこっと顔を出して、おそるおそる近寄ってきてくれた。
そして今に至る。
「とりあえず、名前だね。私はね、星山梨花っていうの」
隣にいる奏に目を配る。
「私は辻本奏だよ」
「あなたの名前は? あぁ、自分のペースでいいよ。今言いたくなかったら言わなくていいから」
せめて名前くらいは知りたいな……とは思ったが、それすら無理強いしてまた引っ込まれたらめんどうなので、あくまでこの子のペースに合わせる。
しかし……ここまで人を煙たがる子は初めてだったから、どうも距離の詰め方がわからない。
別に面倒くさいってことはない。だってそういうのは人それぞれだから。今回、この子に近づいていったのは私たちだし、これで相手のテリトリーに踏み込んでいながら文句をいうのはお門違いもいいところ。
それは奏も承知している様子で、苛立ちなどは一切見せなかった。
むしろ、今までにこの子になにがあったのかのほうが気がかりだった……。それを聞くことを叶わせるにも、まずはこの子がこの子らしくあれる環境を用意してあげなきゃ……多分それには私たち自体が邪魔なんだろうけどね……だからできるだけ。
お昼休みも半分が過ぎた頃、和はついにちょろっと口を開く。
「わ、わたしは……み、みずしま……」
「わっ……あ、えっと……水島さん? っていうんだ?」
和はこくりと頷く。どうやら少し意思疎通ができたらしい。
「あ、あと……なごみ。わたし、和っていうの……」
「そっか。じゃああなたは水島和ちゃんだ」
ふんふんと二度首が振られる。相変わらず視線が絡まることはなかったが、返事は返ってくる。
「私たちはなんて呼べばいいかな? 水島さん?」
奏も優しく問いかける。できるだけ和が答えやすいように提案をして。
しかし和はぴたりと動かず、なにか悩んでいるようだった。なにも、奏は難しいことを聞いていないはずなのに……。
少し黙り込んでいた和は、ちらりと奏を上目遣いで捉える。
「な……和、でいい……」
和が口にしたのは、自分の名前を呼んでほしいという願いだった。
水島ではなく和と呼んでほしいと……そうはっきり私たちに伝えてくれた。
まぁ、名前で呼ぶなんてたったそれだけのことなんだけど。それでも私たちは嬉しさがこみ上げてくる。この気持ちに嘘はない。名前で呼ぶ距離感がどれだけ嬉しいものなのか、それは私たちにしか分からない。
「分かった、和。じゃあ和は私のこと梨花って呼んでね」
「私のことは奏でいいよ和」
「 うん……分かった」
そのとき、和は私のことを名前で呼んではくれなかったけど、私たちはそれでも十分だった。
だって、その和の表情は、ほのかに笑っていたから。
その後、私たちは無事に三人で雑談を交えながらお昼を共にした。
主に私たちが話を進めて、和はふむふむと頷き相槌を打つといった、いわゆる一方通行的な会話の内容だったが、それでも和が私たちから目を逸らすことはなかった。
まぁ、それだけ。
だけど、きっと明日もこうして私たちは三人でこの机を囲んで共にこの時間を過ごす。
だから、それだけで私は十分楽しいのであった。
その日の放課後。
この日は一日通して明るかった気がする。今にしても、雲は薄く広がっている程度で、夕焼けの色は濃く映し出されている。それは多分いつもと変わらない風景なんだろうけど……。
でも、機嫌のいい私にとってはそんな変哲もない空でさえ美しく見えてしまう。こういうときに限って、感情の大切さを知ったりもする。
おそらく表情筋が緩んでいたであろう私は、職員室で鍵を受け取り、そのまま文芸部の部室に向かった。
途中、図書室にも足を運んでみようかと悩んだが、そこまで和に執着するのも悪いと思いやめた。
部室に着き、鍵を開ける。当然中は誰もおらず、まず電気を点ける。
そのあと定位置に設置されている机と椅子まで移動し、そこでカバンを下ろす。
あとは座って物語を考えながら、先生を待つだけ……それが私の日常。
けれど、今日に限ってはそんな些細な時間さえも待ち遠しかった。
なぜか? 答えはいたって簡単。先生に話したことがあるから。
しばらくの間、私はそわそわした気持ちを吐き出せないもどかしさと共に、一人で過ごしていた。
なんなら、この感情そのものを作品に投影しようとしていた。
人と人のつながりや、やりとり、その人とだけの会話や関係……そういった人間関係の素晴らしさを追求した物語を作りたいと顕著に思うようになった。まぁそもそもSFモノとか戦闘モノとかは今まで接点が少ないから書けないし、そうなれば絞られるジャンルがそういった人間性や感情に特化したものになる。それすらまだまだ足りないところばっかりなんだろうけど……。
それでもやらなきゃ始まらないから、私はこうして筆を取り、手を進める。
そうしてしばらくしていると、やっと部室の扉が開いた。
言うまでもない。 その息遣いからして誰かを鮮明に理解した。
「ごめん梨花! 遅れた!」
ガラガラと後ろ手で扉を閉めて、急いで私の元へやってくる。
「ほんと、遅いよ。先生」
そんな彩芽先生を、私は内心ほっとした気持ちで迎える。
少し肩で息をしている先生も、まずいつもの席に座り、呼吸をと整える。
落ち着いたところを見計らって、私は先生に声をかける。
「それで? 今日はなにしてたの?」
「いやぁ、みんなそろそろ部活の見学して自分が入りたいところ決めていくからさ。それで提出書類が立て込んじゃって……」
「そうなんだ。大変だね」
「まぁでも、みんなこれから部活を楽しむぞーってわくわくした顔してるから、それ見てると大変とも思わないかな。むしろ私も頑張らなきゃ! って早く梨花に会いたくなっちゃって……」
「それでわざわざ走ってきたんだ?」
私は頬杖をついて、余裕の笑みで答える。実際は、その行動の真意が嬉しくてにやけるのを誤魔化すため……なんてのは秘密だけど。
先生は、えへへ……後頭部に手を当てて照れ臭そうにはにかむ。
「そのおかげで他の先生に走るなって怒られたんだけどね」
罰が悪そうに舌を出している。ほんとそういう仕草を見ると、つい同級生に見えてしまう。
そして不意に、先生の視線が下に向く。どうやら私が机に広げていたノートに目がいったらしい。
「梨花の方は順調に小説書いてたんだ」
「まだプロットというか設定作りみたいなちょっとしたことだけどね」
「それでもちゃんと進んでるじゃん」
「まぁ、それなりには」
先生は今の私を前進していると喜んでくれる。私はそれだけでまた頑張ろうと思える。
だから、特別なにかをしてくれなくてもいい。ただ先生がそうやって笑ってくれるだけで私はまた前へ一歩踏み出せる。
そして、そんな明るい雰囲気で包まれた部室の中、私もまた話題を振った。
「そういや先生」
「ん? どうしたの?」
「今日さ、昼休みに一人の子と出会ったんだ。まぁ……友達になるまではもう少し時間が必要かもしれないけど」
そう言うと、先生は急にあからさまに不機嫌になる。
椅子の背もたれに腕を置いて、口を尖らせながら私とじとーっと睨んでくる。
「へぇ〜……そうなんだぁ……どんな子なの?」
「すっごくおとなしくて可愛い子」
「ふぅ〜ん……そっかぁ……そうなんだ……」
なにかに焦るような、それとも悲しむような、尻すぼみな声音で顔も下がっていく。
さらには両手の指を絡ませるなりもじもじと落ち着きのない行動を取り出す。
明らかに取り乱しているのがわかった。
また、その理由もすぐに理解する。
それくらい、先生は同級生どころではなく、小学生みたいな仕草をしていて、様子がおかしかった。
「……先生、大丈夫だよ?」
「な、なにが……?」
「別に私、先生から離れたりしないから。毎日ここに来るから。だから大丈夫だよ?」
「……ほんとに?」
不安を抱える先生は、うるうると上目遣いで私を見てくる。この人ほんとに教師なんだよね……?
昨日の春美先生の過保護な心配そうな目といい、この二人は変なところで共通点があるのかもしれない。
大切な人をそばで見守りたいという庇護欲なのかどうなのかは分からないけど、とりあえず人を大切にしたい気持ちが強いのは確かなんだろう。
それは大変美徳ではあるが、急に精神年齢が低くなるのはどうも調子が狂う……。
「ほんとだから。私の夢を叶えるには先生しかいないんだから。だからこれからもよろしく頼むよ? ほんと」
「……それはやだ」
ここは、うんと元気よく頭を縦に振るものかと思ったが、どうやらいやだったらしい。
「だって、それじゃ梨花の夢が叶ったら、梨花はもう私を必要としなくなるってことじゃん!」
「…………」
めんどくさいなぁ……と心内で呆れる。
普通に考えてそんなことないじゃん? それが正夢だったら今の関係ってほんとなんなの?
まぁでも、 そんなことで悩んでしまうくらい先生は私のことを想ってくれているのだろうと、思ってもいいんだろう。それは素直にすっごい嬉しいけど……。
けどいちいちこれくらいで、こんなに落ち込まれると後が思いやられるわけで……。
「先生?」
「なに?」
「私、先生が思ってるより、先生のこと好きだからね?」
「うっ……うん……」
これを言われると、先生は顔をほんのり赤くして言葉を詰まらせる。
さすがにそんなこと言われるとは想定しなかったような驚愕のしようだった。
「だから、明日は先生もお昼一緒に食べようよ」
「え……?」
「私から奏に話しとくしさ。きっと奏もいいって言ってくれるはずだから」
「……だめって言われたら?」
「あぁ、もう……言われないから。だから明日、昼休みになったら図書室きてね」
「う、うん……わかった」
歯切れが悪く、それでも頷いて返事をしてくれる。
……ほんと、困った先生である。
しかしそのおかげで、私の執筆の調子もよかったので、結果オーライなのかな。
翌日。その日は雨だった。
昨日の夜、積もりに積もった暗雲が、ついに決壊したといった感じで、容赦なくアスファルトを濡らしていく。
おかげで朝から制服が湿って、私の気分はすこぶる悪かった。
クラスの教室に入っても、中の空気は随分とどんよりしていた。みんな空の色で気分を左右されているのがわかる室内だった。……なぜか違うクラスなのに、俊介の叫び声が聞こえたのはたぶん気のせいだろう。あいつだってこんな日くらいはおとなしくしているだろうし……。
そこから昼休みになっても光が差し込むことはなく、重苦しい心境が晴れることはなかった。
「梨花」
授業が終わってからずっとぼーっと上の空だった私の前に、奏が現れる。
正しくは、お昼になったから迎えに来てくれた。
「あ、奏……。ごめん今すぐ用意する」
「別に急がなくていいよ」
奏は急かすことなく、その場で待っていてくれた。
私はすぐさま弁当箱を持って席を立つ。
「ごめん。おまたせ」
「ううん、全然。じゃあ和のとこに」
「うん、和のとこに」
私たちはそのまま和のいる図書室へ足を向ける。
廊下を歩いている途中、私は一つ奏に伝える。
「あのさ、奏」
「ん、なに?」
「今日、たぶん先生もくる……」
「先生って新田先生?」
「あ、ううん違くて。ええっと……彩芽先生」
「彩芽先生……」
奏は顎に手をやり、どうやら悩んでいるようだった。
もしかするとまた私が勝手に人を呼んだことに苛立っているのもしれない……。
そりゃそうだ。私だって連日優雅なひと時に人が勝手に増やされては嫌気を覚える。私からすれば和や先生が増えることにデメリットはないが、奏はそうでないかもしれない。少ない人数で穏やかに過ごしたいかもしれない。
そう思うと、謝らずにはいられなかった。
「ごめん奏……また勝手に人呼んじゃって」
「え? あ、別にそれは気にしてないよ。梨花がそうしたかったんでしょ? だったら私はなにも言わないよ。ただ呼んだ人がうざかったら抜けるか無視するけど」
そういう奏は相変わらず堂々としていた。
確か、和と一緒にお昼を過ごすと言った時も同じようなことを言っていた気がする。
その奏の本心の優しさには、お礼を言わずにはいられなかった。
「うん、ありがと。奏」
「いやそんなお礼なんてやめてよ。てか彩芽先生って誰?」
照れ臭そうにはにかむ奏は、その次にびっくりする質問をしてくる。
「え? 彩芽先生だよ? 知らないわけないでしょ」
「いや知らない。てか先生の下の名前まで覚えてないもん」
「あ、そうなんだ……奏の担任の先生だよ」
「え!? あ、そうなんだ……彩芽先生って言うんだ…………」
本気で知らなかった……と困った顔をしていた。
それを見て私は思わず失笑してしまい、奏から軽くチョップを食らった。
そんな些細なやりとりをしているうちに図書室に到着する。
なんてことない所作で、私は扉を開ける。
中にはどうせ和しかいないんだろうと、入った直後に受付に目を向けた。
「あ! 梨花! ちょっと助けて! この子が!!」
すると、先客がいたみたいで、まさかのそれが今日約束をしていた先生だった。
見ると、昨日の私たちが体験したそれだった。
おそらく和は先生がやってきて、知らない人が来たんだと恐れて、隠れてしまったんだろう。
「……なにしてるんですか」
「いや、私はただ梨花たちより先に着いちゃって、この子がいたから話しかけただけなんだよ? 本当だよ? 信じて?」
先生は瞳を潤わせながら、私に助けを求めてくる。
こればかりは仕方ないと、一度肩を揺らし深呼吸をする。
「分かりました。じゃあそこどいてください」
私は先生の元へ歩み寄り、横に並ぶ。先生は私の言うことを聞いて一歩下がる。
「和? 私だよ? 梨花だよ?」
まずはここから。
私は、まずここから和を呼び出して、その次に先生を紹介させなければいけない。
後ろでは生徒にあそこまで避けられてショックで泣いている先生と、それをあやしている奏がいる。
なんだか、そんな変な時間を過ごしていると、自然と笑っていた気がする。
今日の天気を忘れるくらいには。
今日は、ラグビーの日本代表の試合を観ていました! だから投稿もこんな時間になりました……。
大変熾烈な試合で、たくさんの勇気とやる気をいただきました。まさに青春といった感じで興奮と、余韻が凄まじいです。
これからもその雄姿をこの目に焼き付けながら、応援していきたいと思います!