その3
梨花と彩芽が出会いを果たし、これから青春の始まる予感です。
毎週日曜日に投稿していきます。恐れ入りますが、時間帯は作者の都合によります!
この日、私は星山梨花という生徒に巡り会う。
夕暮れの教室の一室で、彼女はひっそりと潜んでいた。
「先生……だよね? どうしたんですかそんなところで突っ立って」
突然やってきた私が誰かとも分かっていない彼女は、確認するように覗き込んでくる。
「あ、いや……ごめん。邪魔だったかな?」
「いえ、全然そんなことはないですけど。ただここにいてもなにもないですよ?」
言われて周りを見回すと、確かになにもなかった。
あるのは積み重ねられた机と椅子の山。そして真ん中に彼女の存在。
これが……文芸部? 1年間この学校に通っていた私も知らなかったまさに秘境みたいな空間がここにあった。
「って言っても私もついさっきここに来たばかりなんですけどね」
彼女は遠慮がちに小さく笑みを浮かべる。私にはそれが随分と大人な表情に見えた。……少なからず、俊介とは大違いだった。
「あなた、文芸部なの?」
「そうですね。まぁ正確にはここに希望しようかなと思ってるとこです」
「え!? もしかして1年生!?」
「そうですけど……そんなに驚くことですか? どこにでもいる女子高生なんですけど」
「いや、全然そんなことないよ!?」
まさかあの俊介と同い年だとは……余裕の差が圧倒的に彼女には感じられた。
この学校ではスリッパでの色で学年分けをしている。今の状況では彼女の足元は視線に入っていなくて、制服のブレザーだけが目につく。
「いやいやそんなことありますから……というより、先生は私になにか用があったんですか? まぁそんなことないか」
「うん……ごめん。ほんとたまたまこの教室見つけただけで……」
「なるほど、そっか。じゃあどうしますか? 私はこのままここでなんとなく過ごしますけど。先生はもう出て行かれます?」
別にここに長居する必要はないし、彼女も私がどうしようとどうでもいいという振る舞いで、むしろ出て行った方がお互いいいのかなとも思った。
「……じ、じゃあ私もここでなんとなく過ごそうかな」
それでも、私はなぜか彼女を選んでいた。
理由を言葉で説明するのは難しくて、きっと直感的に彼女から離れたくなかったのかもしれない。
「お好きにどうぞ。さっき言った通り、ここほんとになにもないですからね。あと私もそんなに面白い人間じゃないので、退屈ならすぐ出てもらっても構いませんよ」
彼女も相変わらず、来るもの拒まず去るもの追わずといった様子で、私が一緒にいることを煙たがったりしなかった。
ただ、自嘲していた。私は彼女のそんな表情にすら目を奪われる。
「そんなことしないよぅ……せっかくだし自己紹介して、いっぱいあなたのこと聞かせてよ」
「……聞いてもつまらないですよ?」
「もしそうならこれから楽しくなるような話をすればいいじゃん」
「変わった先生ですね……珍しいですよ先生」
「それ、褒めてる?」
「もちろんです。きっとどの先生よりもバカなんだなって思いますけど……でも私はそっちの方が好きなので」
「私も素直で正直なあなたは素敵だと思う」
「そりゃどうもです。じゃあまぁとりあえず、初めまして、ということで」
「うん、初めまして、ということで」
私は、初めて彼女を一目見たときから、なぜか興味を惹かれて。
それくらい、彼女は眩しかった。
結果、私はこの日、当初の目的から外れて一つの教室に居座ることにした。
艶のある黒髪は肩くらいまでの長さで下ろされていて、頭頂部のカチューシャが特徴的な、落ち着いた瞳をしている彼女と対面する。
「私、夢前彩芽っていうの。1年の先生だよ」
「夢前先生ね……うん、覚えた」
「あなたは?」
「私は星山梨花っていいます。新田先生が担任のクラスですよ」
梨花の名前はなんの抵抗もなくすっと頭に浸透していく。
「梨花か。可愛い名前だね」
「そうですね。名前は」
「ううん、梨花が可愛い」
「……そりゃどうも」
梨花は照れ臭くなったのか耳を赤くしてそっぽ向いてしまう。
初めて見たその子供っぽい仕草に、つい頬が緩んでしまう。
「でもそうなんだ。新田先生の生徒さんなんだ。優しくていい先生だよね。私もよくお世話になっててすごく頼りになる先生だよ」
「そうですね。授業中に居眠りしていた夢前先生に比べれば」
「ほぁ!? え、し、知ってたの……?」
「はい、そりゃもう目立ってましたから」
「は、恥ずかしい……」
「いいんじゃないですか。私はあれくらい自由な方が好きです」
「…………」
「あ、冗談じゃないですよ? ある意味褒めてます」
「いやそれ褒めてないでしょ……てか褒められることじゃないしぃ……」
「確かにちょっと不謹慎かなとも思いますけどね」
「だ、だよね……。ごめんね?」
「いいですよ別に。私たち生徒にとっても教師の長話って嫌いなものですから。だから夢前先生がそれを代弁してくれたみたいでスカッとしてます」
「おかげさまでこっぴどく叱られたけどね」
「おつかれさまです」
「うん、ありがとう……」
果たしてどっちが大人なのやら……。
私は気恥ずかしくなって雑に頭をくしゃくしゃとする。
「それで、夢前先生は今までなにしてたんですか? まさか散歩してて迷子になったとかですか?」
「ち、違うよっ!? 私だってもうここに1年も通ってるんだから校内の地図くらいばっちりだよ!」
こんなところに教室があったことを知らなかったとは決して言わない。絶対言わない。
「ふぅ〜ん……」
「ほ、ほんとだってば……! 今年から部活の顧問することになったから、ちょっと歩き回ってただけで」
「その結果、この文芸部にやってきたと?」
「そ、そういうことなんだよぅ……!」
「なるほど。そういうことなんですね。って言っても、ここの部活どうなるんですかね……」
「え? どういうこと?」
「いや、私も今日ここに来て知ったんですけど、ただ部屋があるだけっていうか……」
梨花はぐるりと視線を一周させる。釣られて私も教室内を拝見してみる。
「……私以外なにもないんですよね」
「もしかして……廃部?」
「してるかもしれませんね。はぁ……残念」
梨花は大きくため息をついて、不満を長く吐き出す。
「星山さんはここで本読んだりしたかったわけだ?」
聞くと首を横に振られた。
「まぁ……それも間違いではないですけど。ちょっと違います」
「ありゃ、違うの? じゃあ書く方?」
今度は頷きが返される。顔を上げた梨花は、真っ直ぐな瞳で私を捉える。まるで、別次元別世界のなにかを射止めるような鋭さがあった。
それは、ほかの生徒にはなかった信念や矜持みたいな心の強さの表れだった。
私は、そのどこまでも追い去って行ってしまいそうな視線をしっかりと受け止める。
「創るんです。一から。自分の手で物語を描いていくんです。そして、今はまだまだですけど……私、小説家になるんですよ」
目指しているんだとか、これが私の夢なんだとかじゃなくて、なる。
梨花は一切目を離さず、そう言い切った。
「…………」
私が高校生の時、周りにこんな眩しい子はいたっけな? いやたぶんいなかったな……。みんなのうのうと生きていて、それなりに楽しんで笑って過ごしてた。それが私たちにとっての当たり前で、幸せな日常だった。
だから、その分現実からも逃げてばかりだった。勉強は嫌いだとかばっか言って、面倒な授業はすぐに居眠りをしたり。部活だってそれなりに努力するだけで、時間を費やすリスクを避けていた。結局誰かと遊んで馴染んだり、駄弁って溶け込むことに必死で、自分一人だけの人生なんて考えもしてこなかった。
だからこそ、梨花の眼は美しく輝いて見えた。
「だったら……」
「ん?」
それから私は自分がどう動いて、どう喋って、どこを見ていたかなんて覚えていない。自然とそうしていたに過ぎない。
だって、その方が、私は青春に恋ができる気がしたから。
「だったら私があなたの顧問になる! そんで私はあなたを全力で応援するよ!」
「……あ、ありがとうございます?」
高ぶる気持ちを抑えられない私はバッと勢いよく手を差し出す。もちろんこれから喜怒哀楽を共にするのだから、握手の要求である。
対して梨花はなぜこうなってしまったのか、うまく状況を把握していない模様で、私の手をおそるおそる握ろうとする。じれったいので、最後は私から掴みにいく。
「よろしくね。梨花!」
「は、はぁ……よ、よろしくです」
相変わらず温度差は激しかったが。
そんなこと私は微塵も気に留まらなかった。
これから、全力で全力で全力で頑張っても、どうなるか分からない梨花との時間が始まると思うと、やっぱりそんなことどうでもいいに決まっているじゃないか。
翌日の朝。私は学校に着くと一番にある場所に足を運んだ。
「新田先生」
「あら、夢前先生じゃないですか。こんな朝早くからどうしたんですか?」
今はまだ朝の6時半で、先生方ですらちょろちょろっとしかいない中、やってきた私を、春美は珍しいものを見るような目で驚いていた。普段私はあと2時間くらいは後に出勤してくるから、まぁ当然っちゃ当然の反応ではあった。
しかし口ぶりから察するに、春美にとってこの時間に学校にいることはすでに日常的なんだろう……。
そしてなにより、現状は私にとって都合が良かった。
「新田先生。私、どの部活の顧問になるのか決めました」
「あ、そうなんですか。どこにしたんですか?」
「文芸部です!」
私の気分は昨日に続きまだまだ高くて、早朝だろうと元気な声をあげる。
「…………夢前先生、本気で言ってます?」
しかし、対する春美は、疑うというよりもむしろ幻滅したような……失望を感じられる眼の色をしていた。私にはその色の意味が全く分かるはずもなかったが。
「え、はい。本気ですよ」
「あそこ、幽霊部員しかいない幻の部ですよ。なんでまだ残ってるのかも謎ですし、顧問の必要性だって皆無なはずなのに……あ、もしかして早く帰りたいからわざと?」
その説明を聞いて、ようやく春美の真意を察した。
どうやら私たちは、文芸部に対しての受け取り方が全く違っていたのである。
私の知っている文芸部より、ずっと前からの文芸部を知っている春美からすれば、きっと文芸部という部活はあってないような存在に等しいんだろう。
「いやいや違います! ぜんっぜん違います! 私昨日あそこの部室で出会ったんですよ。1年生の入部希望の子に! 私、その子の夢を応援したいんです!」
「夢、ですか?」
「はい。その子、星山梨花って子なんですけど、小説家を目指してる……いや小説家になる子なんです!」
だから私は、今私が見た文芸部……梨花との出逢いを主張する。
「……私のクラスの生徒ね」
そういえば梨花も昨日、春美の生徒だとかなんとか言っていた気がする。
「確かそんなことも言ってました!」
「あの子……そうなんだ。いやだからか……」
そして、梨花と文芸部……その点と点を繋げるように、春美は疑問と納得を繰り返しているように、私には見えた。
「どうかしたんですか?」
「いえ、その……星山さんなんですけど。私が見る限り、クラスではいつも一人ぼっちなんですよ……」
「そうなんですか……」
「意志の強そうな子だなとは思ってたんですけど……私も個人でちゃんと話したことがなかったので、今やっと理解した気がします」
春美の口ぶりは、別に梨花の在り方を否定するような厳しさではなく、どこか諦観しているようだった。
「あの子は本当に本気でした。だから、私もあの子に本気になります」
そんな心配そうな声をする春美に私は真正面から気持ちをぶつける。
その声を聞いた春美も、また表情を和らげた。
「それでその許可を得るために私のところに? ってそれはないですね」
それはなんとなく、梨花を任された、信頼みたいなものだと受け取る。それは素直に嬉しい、だけど、だからこそ私も誰かに支えてもらわなければないらない。それくらいまだ私も弱いから。
「はい、新田先生にはそのために一つ頼みたいことがあって……」
「頼みたいこと?」
「先生、国語の教師じゃないですか……?」
「……あぁ、そういうこと」
「はい、そういうことです……」
その私を支えてくれる誰か……そんなの一人しか思い浮かばない。
こうして、私はその日から毎朝、春美から国語について、教師について、そして人としてのなりふりを教わることになった。
「と言っても、教えることってほとんどないですけどね……」
「えぇ……なんですかそれ。それだと私のやる気はどこ行くんですか?」
「勝手にどこかへやらないでください。でも小説も、音楽とかもそうだと思うんですけど、結局自分の感性がどこまで多くの人の心に響くかが重要なんだと思います」
「……もうちょっと分かりやすくお願いします」
「えぇっと……簡単に言うと、小説に関しては分かりやすい文を書くと言うのは前提で、自分の伝えたい部分や一番こだわりのある部分をどれだけ密度を込められるかが大切なんです。きっと。私だって小説なんか書いたことないですから分からないですけど」
「ふむふむ……分かるような分からないような感じですね」
「まぁ、そんな感じなんです。句読点であったり起承転結なんてのはきっと物語をつくるにおいて勝手にできあがってるものなんだと思いますよ。あとはどれだけ登場人物を動かすかとか、どれだけ理論や言葉を並べるかとかがその人らしさに繋がるんだと思います。というより、一回星山さんにどんな作品が書きたいのとか聞いてはいかがですか?」
「確かにそうですね! 言われてみれば私まだあの子のことちゃんと知らないな……ありがとうございます! 早速今日色々聞いてみます」
私はすぐさまノートにメモをする。
その様子を見ていた春美がそっと声を投げかけてくる。
「あの……夢前先生?」
「はい夢前ですけど?」
私はノートにペンを走らせながら、春美と目を合わせることなく返事をする。
「私と同い年なんですよね?」
「そうですね。私何年か留年してるので新田先生の方が先輩ですけど」
「もう、そのスタイルのまま星山さんのそばにいてあげた方がいい気がします」
「……なに言ってるんですか。そんなわけにはいかないでしょ」
「いや、あくまで私の見解と独断に過ぎないんですけれど、周りの教師であなたみたいな人ってそうそういないんですよ。部活動で指導したり、授業内容の補強を個人に施したりなんかは仕事の範疇な方は多いですけれど……そんな一人に対して、ましてや夢にまで浸透していく人を見るのは、私初めてです」
「……贔屓してるって思いますか?」
「いいえなんとも。むしろそんなに本気になれる生徒と出会えるっていうのがなんか羨ましいです。だってここって別に甲子園目指して野球やってる子だってたぶんいないんだろうなって感じですし、どこの部活も仲良しこよしみたいなところが多いですから……だから、そんなに真っ直ぐな子もいたんだなって。そしてなにより、あなたもそれくらい真っ直ぐだから巡り会えたんだと思いますよ。ほんと感心……いえ、尊敬します」
「いえいえそんな滅相もない! 私なんてほんと新田先生に比べればまだまだへのかっぱみたいなちょろちょろですよ……」
私は手をぶんぶんと振り回して否定する。
「ふふふ、なんですかそれ。てか、もう春美でいいですよ」
「……え?」
「たぶんこれから私たちすごく仲良くなれる、というか私自身が夢前先生と仲良くなりたいので、どうぞ春美と呼んでください!」
「へにゃ!? い、いいんですか……そんなこと?」
「いいんですよ」
「じ、じゃあ! わ、わわ私のこともあ、彩芽って呼んでください……」
「はい、これからもよろしく彩芽」
「は、はい……よろしくです春美」
これが二人の初まりであり、始まりだった。
さらにこの一週間後には打ち解けあい、私はだらけ、春美に呆れられる毎日が続くと言うこと、この日の私はまだ知らない。そんな日常が幸せの連続なんだということも同時に知ることになることを、まだ知る由もなかった。
そして、その日もまた、私は梨花のいる文芸部の部室に訪れるのであった。
今日、ヴァイオレット・エヴァーガーデンの劇場版を観てきました。感動に圧倒され、心がこみ上げられる一方でした。そのあと京まふにもソロで参加するという充実な一日を過ごしました。はい。