その19
人生、やりきったと思うには、それはもうやりきるしかないんじゃないかな。
毎週日曜日に投稿していきます。恐れ入りますが、時間帯は作者の都合によります!
それは、毎年のように訪れる中でも少し特別な夏の日のことで。
その日、ある一つの青春が、産声をあげた。
「あっつ……」
容赦なく差し込む太陽の光の直下、私は我慢できずにその悪態を吐く。文句を垂らせば垂らすほど、滴る汗の量が増すばかりだというのに……そんな辟易が募る季節。
「いやぁ……夏だねぇ……」
そう。まさしくこのうざったらしい直射日光の暑さこそが、夏の真骨頂。
隣で呟く先生は、それこそ夏を実感しているようだった。
…………ほんと、夏ってこんなに暑かったんだって感じ。
「…………」
「梨花、なんかぼーっとしてるけど大丈夫? しんどくない?」
「ううん、大丈夫。ちょっと暑すぎるけど平気」
「そっか。体調悪くなったらすぐに言ってね」
「うん、ありがと」
これが真夏の中を歩く気持ちなんだな……って。
あのとき、奏が私を連れ出してくれなかったら。
先生と出会ってなければ。
今ごろ私は、この暑さを知らないまま、夏がいたずらに過ぎるのをただいじけながら待っていただけだったんだろうなって。
だから、今私がこうして歩いていられるのも、きっと。
…………ずっと隣でいてくれたからなんだよね。
って、そんなの恥ずかしくて心の内の奥の隅の方に追いやって隠すけど。
でも、まぁ、そういうことだから。
「今日、勝てるといいね」
「そうだね。せっかくあんなに頑張ってたんだからね」
私たちは、甲子園を目指す野球部員たちの夏の初戦を応援しに、その球場へ向かっていた。
「あんたなんで、ギター持ってきてるわけ?」
私と先生が並んで歩く後ろでは、また二人が揃ってついて来ていた。言うまでもない、奏と俊介だ。
「え、だってこいつ俺の友達だし」
「あ、そう。あんたほんとバカなのね」
「いやバカってなんだよ!? なんでそういうこと言うんだよ。お前だって楽器持ち歩いてんじゃねぇか!」
「私は今から使うからに決まってんでしょ……バカ」
俊介が平然とギターを担いでいる横で、呆れたように溜め息を漏らす奏は、溢れ出す汗でへばりつく髪の毛を邪険に払い、緩い歩調を保っている。
その余裕あり気な俊介はバカと言われたことにぶつくさふてくされていたが、気付けば奏に手を差し出していた。
「……なに?」
「持ってやるよ」
「いいよ別に。そんなに重いものじゃないし」
「でもお前の本番は今じゃねぇだろ。ここで体力無駄にすんなよ」
「……じ、じゃあお言葉に甘えて……」
「おう」
「あ、ありがと……」
なんてやりとりがあったりして……。
その後も、俊介は両手に奏のトランペットを抱えながら、その隣にいた奏もまた俊介の汗を拭ってあげながら、目的地を目指した。
「てかこういうのって車とかで運んだりしてくれないの?」
道中、私はふとした質問を投げかけたりして。
「うん。私たちって謂って弱小だから……。パーカッションとかさすがに重たすぎる楽器は先生が用意してくれた車で運んでるけどね」
「へぇ、そうなんだ……大変だね」
「まぁでも、これで野球部が活躍でもしてくれたら私たちの評価も変わると思うからそんなに苦じゃないかな」
それを奏が軽く笑って答えてくれたりして。
そんな些細な言葉を交わしていると、長かった道のりもあっという間に過ぎていく。
だから、体感時間としてはそれほど嫌気の差すほどの道程ではなかった。
でも、実際はもう試合まであと1時間と迫っていたころ。
「よし、到着〜!」
先生が声を上げ、私たちはその球場の観客席に向かった。
甲子園の土を踏むために努力を積み上げた少年たちの真っ向勝負がもうじき始まろうとしている。
その憧れの地に赴くにはこれを含め、あと何試合勝たなきゃいけないのかは私には詳しく分からない。
でも、今日がその一歩だってことは知ってる。
今までのなにもかもが証明される本気を賭けたその先の萌芽を、私たちは見守る。
勝て。
と信じながら……。
そして。席につき水分を取り、ひと段落する。
隣の方では、奏たち吹奏楽部のメンツが配置やチューニングなどの準備を整え、その勇姿に対して送る応援の支度をしている。
それも束の間で、落ち着こうにも球場内の選手がぞろぞろと姿を現しはじめた。
試合が開始するには前兆がある。
ホームベースから一塁と三塁に向かって引かれた一直線の白線の上に、それぞれのチームが一列に並ぶ。
審判を中心とし、お互いが健闘祈り挨拶をする。
一度帽子を取り頭を下げ終わったら、そこから一気に緊張感が球場全体に走り渡る。
いよいよ今からなんだって緊迫感が漂う……。
とうとう、その幕が開こうとしていた。
「ごめん遅れたわ」
そう言って、試合の中盤にやってきたのは春美先生だった。その後ろには和も引っ付いている。
和は颯爽に私の元まで歩いてきてちょこんと隣に腰を下ろす。顔には出ていないが、ちょっと疲れているのかぐったりしているようだった。
「大丈夫だった?」
「うん……ちょっと、暑かった」
「そっか。わざわざありがとね」
私は手に持っていたペットボトルを和に手渡す。自然と受け取った和は「ありがと」と小さくお礼をしてすぐに呷る。やっぱり和にはきつかったかな……。
元々、人混みや遠出が苦手な和のことだから、この炎天下の中どうしようかとも思ったけど、せっかくだし今日の試合に誘ってはみた。
和は当然来てくれるとは言ってくれたものの、それでも心配だった私は、少しゆっくり来るように提案した。それを新田先生も賛成してくれて、現状に至ることとなった。
「あそこで、梨花の友達が頑張ってる?」
和はマウンドに向かって指を差す。
「え? あぁ、まぁ……うん。知り合いがね。友達って間柄でもないけど、たぶん、頑張ってる」
「……じゃあ、わたしも、応援する」
「うん。ありがと」
「がんばれー」
珍しく、和がそれでも小さいが、いつもよりも大きな声を張った。
おそらくその声が本人たちに届くことは厳しいかもしれないけど。和の声援はマウンドで汗を流す選手たちにきっと伝わっているはず。
気持ちはどこかで繋がっているから。
「それで、試合はどうなの?」
飲み物などの買い出し物や、荷物の整理を一通り済ませた新田先生は、彩芽先生の横に座る。
「まぁ、あれを見ての通りです……」
彩芽先生は言いづらい躊躇を隠せないまま、おそるおそる電光掲示板に視線を促す。
それを見た新田先生も全てを察する。
「……そう」
そう。現実はきっとそれしか教えてくれないから。
ただ、積み重ねた努力の数がその数字を表していた。
0-8の残酷な点差。
必死で攻防を続けるも、相手の方がいくつも格上だった。
そして、今ちょうど5回表の攻撃が終わる。
結果は無残にも三者凡退。ずっとそうだった。5回とも綺麗に3人で抑えられて、すぐに攻守交代の連続。私たちは彼らが足掻くように守備する姿ばかりを目にしていた。
そう。きっと誰もが思っていたことだと思う。
これは、諦める試合だと。
もう勝てやしないんだと。
試合前の希望的観測は、あえなく毅然として散った。
無理なものは無理なんだと。
いつの日か、あの大石が言ったように。
夢は儚く切ないものなんだと、その試合内容は語っているようにも見えた。
……というのが、きっと私だけだったらの見解。
そんなかつての私も、今は一人じゃないから。
「おいお前ら諦めんなよ!! 次がまだある!! だからちゃんと守れ!!」
こうして、自ら率先して最前列で、憐むような視線を浴びながらも諦めることを許さない大声を叫び続ける男がいるから。
だから、私はまだ、背けたく惨めな試合でも、目を逸らさずにいられる。
そして、それもまたこいつ《しゅんすけ》だけじゃない。
「さっ、みんな水分補給しっかりしてね! 次すぐ回ってくるはずだから今の内にしっかり休んでおいて!」
そうよく通る声で指示する姿を見せたのは奏だった。
自分が一番苦しいんだろうに、自分が一番休みたいはずなんだろうに、奏は自分よりも仲間を大事にしていた。
きっと、それが自分にとっての責任みたいなもんだから。
だから奏は隣にいる同じトランペット奏者である後輩にも気を配っていた。その証拠に自分の飲みかけのペットボトルを差し出して笑いかけていた。
私も知っている、あの子はかつて文化祭で奏に邪魔だと罵った子だ。
そんなあの子も、今の奏が偽善者なのではないかと怪訝な目を向けていたが、本当はもう奏の気持ちに気付いてるんじゃないかな……。
あの二人だって、もうちゃんと繋がっているはずだもんね。
そのまま周りの様子を伺っている内に、いつの間にかスリーアウトの瞬間が訪れていた。
大石のピッチングが相手を3人で抑えていた。あいつもまだ、諦めていないということなんだろう……頑張れ。
けれど、それだけで相手の勢いが落ちることもなく、6回表の打撃も、三振。キャッチャーフライ。凡打の三者切りであっけなく終わる。
三者凡退の嵐。いつまでも実力の差は埋まらない。漫画やドラマみたいな奇跡は起きない。誰も進化しないし覚醒なんてもってのほか。
これじゃ俊介の一生懸命な声援も、奏の必死の音色も、今じゃコップの中の嵐かのように切なく聞こえる。
それでも、その音が途切れることはない。
試合が終わらない限り、諦める必要はないから。
それがたとえ、負けると分かっていても、本当は負けていないかもしれないから。
勝つのは今じゃないかもしれないけど、いずれは勝てるかもしれないから。
だから、今ここで諦めるのは早すぎるということ。
そして。
6回裏は3点取られて点差は11点に広がってしまう。
このままでは7回が終わった時点でコールド負け。
なんとしてでもここで最低でも2点は欲しいというところ。
そんな7回表の最後かもしれないバッターボックス。
そこで、バットを振り回すのは大石だった。
まだノーアウト。でも、ランナーもゼロ。
打って繋げて、協力しないと得られない点数が目の前で待ち受けている場面。
その一球目。ストライク。虚しくもフルスイングは空を切る。
背景には俊介の叫び声に近い声音と、奏の心強い太い音色。
そして続く二球目。ボール。三球目。ストライク。
追い詰められた四球目。カンッと、甲高い金属音が響く…………ファール。
五球目。次はキンッとつんざくような残響がマウンドに広がる。
見上げると、打球は空高く宙を舞っている。
「いけ」
新田先生が祈るように手を握りしめ願った。
「いけ」
「いけっ」
「いけっ!」
和、私、彩芽先生の声をボールに届ける。
「いけぇええ!!」
俊介は観客席の柵の前のめりになりながら強く望む。
そのとき、時が止まったかのように、ゆっくりとボールを目で追っていた。きっと周りのみんなも同じ軌道を追いかけていた。
そして、頼むから入ってくれと、心から求めた。
「いっけぇぇぇえええ!!」
その気持ちを誰よりも代弁するように、彼女の声は球場全体に轟いた。まさに轟音の如く。
打球は勢いを殺すこともなく、綺麗な円弧上を描きながら、重力のまま落ちていく。
そのまま、そのまま……。
そのまま、待ち受けていたかのようにスポッと入った。
その守備位置に座していたグローブの中に……。
「…………」
「ダメ、だったか……」
そう小さく囁いた奏は、静かに涙を流していた。
その色は悔しさなのか、達成感なのか、はたまた物足りなさなのか、私が知る由もなかった。
ただ、言えるのは。
大事なのは結果であり、それを証明する中身なのだということ。
その全部が詰まった自分自身の結末が今こうして、幕を閉じた瞬間だっただけのこと。
見返せば、それだけのこと。
そうして、この日、青春はあえなく夏の終わりを告げたのだった。
それから次に待ち受けていたのは、学生にとって最も一大事な壁と言っても過言ではない受験だった。
まぁ、その前に高校最後の文化祭があったりしたのだが、それはまぁ、楽しかった。去年同様、和と歩き回る文化祭は満喫そのものだった。
けど、今年はもう一つ嬉しいこともあったりした。
奏とあの後輩ちゃんが仲直りをした。
いや、仲直りでは足りないかもしれない……。
すごく、懐かれたとでも言うべきだろう。
それはそれは私たちが呼びかけても奏を独り占めしてしまうくらい、後輩ちゃんは奏好きっ子になってしまったのだ……。
その一部始終の巻は、またいずれ近いうちに奏に話してもらうとしましょうか。
そういえば、あの後輩ちゃん。琴香ちゃんって言うんだって。
秋になったころには、受験勉強にも本腰が入り、あの大石のバカも一緒に机を囲う仲間になった。なんせあいつバカだからめちゃめちゃ焦ってたのは笑うしかなかった。冬の模試ではなんとかB判定まで持ち堪えてたけど、そりゃ努力の賜物ってやつなのかね……。もっと最初から頑張っとけっての。
一応、剛の呼べるほど、絆は深くなったような気もする。
そして気付けば木枯らしの吹く純白の季節がやってきた。
別れを惜しむことも許さない、冬が訪れた。
肌に貼りつく、凍てつく空気がぶるっと体を震わせる。
同時に、その冷たさは、今までの苦労や苦辛、名残惜しさを教えてくれた。
この寒さが過ぎ去る頃には、私たちの明日はきっと今とは違うから。
この痛さを覚えているうちが、私たちにとって、青春のひとときだから。
だから、私たちはずっと一緒だった。
クリスマスも、年末年始も、そしてそのあとも、片時も離れず、その青春を味わった。
それはきっと、不器用であまり自慢できるものじゃないかもしれないけど。
ただ夢を追いかけ逃げられを繰り返し、葛藤の渦に呑みこまれながら、それでも必死で答えを探して。
ただ、ひたすらに、そこが進むべき道なんだと信じて。それが上なのか前なのかは分からないけど、ひたむきにその栄光を掴めると渇望して。
そして、今に至るまで。
その先で待っていたのは、いつも彩芽先生だった。嘘偽りなく、いつも。
その先生が、今、かすかに綻ばせた表情で、また私に一つ訊く。
「梨花」
「ん?」
「青春に恋はできましたか?」
と。
どうもこんばんは、雨水雄です。
令和も2年目に突入し、いかがお過ごしでしょうか?
様々な目標と抱負もあることでしょうし、お互い成長できるように充実した毎日を送れることを願っています。雨水頑張って祈ってます!
さて、物語もいよいよ終盤となって参りましたが、最後までお付き合いいただければ嬉しい限りです!
それでは来週もよければここで!!