その16
思っていること全部を言葉にできても、声にすることはなかなか難しくて……。
でも気持ちははっきりしている歯痒さ。
だからこそ、隣にいる人がいつもその人だと信じて止まないのかもしれない。
毎週日曜日に投稿していきます。恐れ入りますが、時間帯は作者の都合によります!
「あのさ、和。私ね、先生とケンカしちゃったんだ……」
梨花の落ち込んだ顔を見て、わたしはなんて言ってあげるべきなのかなって言葉を探してみる。
「って、こんなこと和に言っても意味分かんないよね……ごめん。忘れて」
梨花は辛そうに笑っていた。いつもわたしが見ている、知ってるはずの梨花の顔じゃない。
梨花、すごい悩んでる……。
わたしはなにか言わなきゃいけないと思ったけど、上手く言葉が選べなくて、でも梨花に伝えたい気持ちはいっぱいあって、頭の中がごちゃごちゃしていた。
その中で、梨花は先生と仲直りがしたいんだなってことはちゃんと分かった。
あと、先生も梨花と仲直りしたいってことも、わたしは知ってる。
だから、わたしはそのことを梨花に言わなきゃいけないんだと感じて、それを頑張って声にしてみた。
「梨花」
「ん?」
「わたしは梨花が好き」
「うん。私も和のこと好きだよ」
梨花の声の色はあったかくて、わたしはすごく安心する。
「でも」
「…………」
「先生はもっと梨花の近くにいた」
「……うん」
梨花はゆっくり確かめるように、うなずく。
「わたしより、先生の方が、梨花のこと見てたんだと思う。梨花が頑張ってるところは、先生が一番よく知ってるんだと、わたしは思う」
「……そう、なのかな……」
「うん。そうなの。わたしは梨花の頑張って作った本を読むのが好き。梨花の隣にいるのが好き。梨花と一緒に歩くのが好き。だって、梨花が好きだから。だから梨花との全部が、わたしは好き」
「和……」
「それくらい、先生も梨花のこと好きだから、ずっとそばにいた」
じゃなきゃ、二人はずっと一緒にいることはなかったに違いないと思う。
「……うん。そうかもね」
今度は、ちゃんとうなずいていた。
ちょっと明るくなった梨花を見てると、わたしも嬉しくなる。いつもの梨花が見れて、一緒にいるのがもっと楽しくなる。
「わたし、二人の笑ったところ好きだよ?」
だからこそ、梨花と先生は、自分の気持ちに正直になって、また笑い合ってほしい。
「一番近くにいたからこそ……か」
梨花はぽしょ…となにか呟いた気がした。
でもわたしと目は合わせていなくて、違う誰かと話しているような感じだった。
でもそう思って梨花を見ていると、すぐにまた目が合って、梨花はやさしく笑いかけてくれる。
ついでに頭をなでてくれた。
「ありがとね、和」
「うん……」
「じゃあ私、ちょっと行ってくるよ」
そう言って梨花は静かに立ち上がって、わたしに手を振ってくれる。
「うん。いってらっしゃい、梨花」
わたしはそんな梨花を、姿が見えなくなるまで見送った。
なんだか、もやもやする気持ちを抱えながら……。
「じゃあね、春美」
彩芽のみるみる小さくなっていく背中を見送り、その姿が視界からいなくなった後も、私はその道のりをしばらく眺めていた。
星山さん、辻本さんと前田くん、大石くん。そして最後に彩芽。
それぞれがそれぞれの思いを馳せて、そこに辿り着こうとするために進んで行く有様を、私はただ、傍観していた。約2名は、保健室に行っただけかもしれないけど、それでも、あの二人がそれだけで終わりはしないでしょう。……きっと、夢に向かって向かい合った時間に違いない。
彩芽と星山さんに至っては、さながらいたちごっこ。水掛け論とでも言うのかしら……。ほんの少しの摩擦が語弊を生み、そのまま不安定な気持ちが亀裂に持ち込んだだけ。
側から見ればそれは些細なすれ違いかもしれないけど。
当人たちは本気だったからこそ、今まで本当に信頼していたからこそ、傷つき傷つけ、でも大事なことは恥ずかしくて伝えられなくて……そんなもどかしいケンカをしてしまった始末。
それはきっと、全力でぶつからなければ味わえない時間で、幸せの導きなんでしょうね。
「これが青春ってやつなのかしらね……」
少なくとも私は、そんな関係を、悔しいけど羨んでいたりした。
さすがに一人きりで立ち尽くす時間も無駄に感じてきてしまい、私はそろそろと思い一度職員室へ戻ることにした。
緩慢な空気が漂うクラス教室とは違った、堅実な雰囲気を匂わせる職員室。さすがに今ではここが仕事場なんだという緊張感や違和感はなくなったものの、ここにいることで生徒と教師の境界を強く感じてしまうようになった。
果たして、これが大人というものなのだろうか……。
時折、彩芽のような有り体に羨望を抱いていしまうことがある。確かにあの子は大人っぽくないというか、純真無垢すぎるところがあるけれど。
でも、あれくらい天衣無縫で天真爛漫な子供のような生き様の方が、よっぽど人生が幸せなように見えてしまう。
……だから、私が思うに、大人ってきっと言葉で成るものなんだろう……。
大人だからああしなければこうしなければ、そんな使命感に負う。大人だから幼い思考を指摘、指南しなければ……と。
意識すればするほど、その姿はいわゆる大人という存在に変貌していくんだろうと、私は彩芽の側にいるとつくづく感じることがある。
でもそれが一体正しいことなのかを、教えてくれる人はいなかったりする。
「はぁ……今日はもう帰ろ」
こんな穿った見方をしたところで答えなんて見つかるはずもないし、私は潔く職員室を後にする。
どうせ、彩芽も今日はあの子との仲直りで頭がいっぱいだろうし。
帰り道、私が校内で向かった先は図書室だった。
これは至っていつも通りのことで、なんら寄り道どころか今では慣れ親しんだ帰路でさえある。
私は有無も言わず扉を開け、彼女を迎えに行く。
「和」
「春美……今日は早い」
「うん。珍しくもうやることなかったの。だから帰ろっか」
「うん。ちょっと待って」
そう言って、和は即座に読んでいた本をたたみ、鞄の中へそっと優しく仕舞い込む。
それから机の周りを一通り綺麗に片付けては立ち上がり、小さくうなずく。
「お待たせ」
「はい。じゃあ行こっか」
私は、和がカバンを両手いっぱいに抱えてやってくるのを確認して、図書室を先に出る。和も小さな歩幅で続く。
図書室を出たところで、私と和は最初の分岐点で別れる。教師と生徒では下駄箱の場所が違うから。
お互い下靴に履き替えて校門前で再び一緒になる。
家路の距離は徒歩15分ほどで、その間私たちが会話を交わすことはあまりない。
閑静なひととき。それでも和のとてとてした足音がより鮮明に耳を撫でるのどかな時間。
話さなくとも、必要な距離感が常にそこにあるという穏やかな安心感が、歩調を緩やかにする。
夕焼けの中に静かに溶け込む二人だけの時間が朗らかに過ぎていく……。
ほどなくして帰るべき場所であるマンションが目に入る。
私の後ろには依然として和がついてきていて、そのまま離れることなくマンションの中へ。
つまるところ、そういうこと。
私たちは同じマンションで、同じ階で、隣り合わせの部屋で生活している。
「春美」
「ん?」
扉の鍵穴に半分ほど鍵を差し込んだところで、隣で同じ動きをしていた和から声がかかる。
「あとで、行っていい?」
「ええ。いいわよ」
「ん」
和はそれだけ言い残して家に入って行く。
私もその様子を見届けて、すぐに家の中へ。
言われなくても、今夜の夕餉は二人分用意するつもりでいた。
おそらく、それは20分ほど経過したころだった。
ピンポンとインターホンが私に来客を知らせる。
大丈夫。モニターを見ずとも、誰かは知っている。私はすぐさまコンロの火を消し、和を玄関口で迎える準備をする。
ガチャリと扉を開け
「どうぞ」
「ん」
私は快く和を迎え入れた。
それから数10分くらいは無言の時間が過ぎる。
私は夕ご飯の支度にとりかかり、和はリビングでちょこんと正座をしてテレビと向き合っている。
「和、もうすぐできあがるからお皿運んでくれる?」
「うん、運ぶ」
料理ができあがりそうなそのとき、ようやく声が交わる。単に些細なやりとりに過ぎないが。
それでも和は即座に立ち上がって、てくてくと私の元まで歩み寄ってくる。
「今日はなに?」
「んー? 和の好きなもの」
「わたし、春美の作る料理、全部すき」
「嬉しいこと言ってくれるのね。ありがと。そんな今日はオムライスよ」
「オムライス……だいすき」
「でしょ? さっ、早く運んで食べましょ」
「うん」
そのあとの食事の時間もまた、沈静なひととき。
残るのはテレビからもれだすバラエティ番組の明るい声色。
目の前の和は目もくれず耳もくれずといった様子で、もくもくとスプーンを動かしている。
「美味しい?」
「うん……」
「そっか」
ならそれでいいか。
和はあまり自ら喋ろうとはしない。でも、感情がないわけじゃない。今だって、もしこの子に尻尾が生えていたのだとしたら思いっきり振り回しているんだろうな……ってくらいに喜んでいるのが一目で分かる。
たぶん、むしろこの子は人一倍感情に敏感で、他人のことを気遣うことで精一杯になってしまうんだと思う。だから、ついなにを話せばいいのか分からなくて、黙ったように見えてしまう優しい子なんだ。
本当はもっと自分の気持ちを正直に吐き出させればいいのに……。
なんて、他人事のように思うけれど、和の育った環境を考えればそうなるのも分からなくもない。
実質、この子はずっと一人ぼっちだったから。
私と和の出会いはご近所付き合いからだった。
元々家が近く、お互い両親が共働きで一緒にいることが多かった。そのときも、よく和が私の家に遊びにきていた。
でも、歳を重ねるにつれて私自身の人間関係が変わってくる。学生になれば友達ができるし、彼氏だってできたこともあるし、そうやって付き合いに応じて時間の使い方も変化していく。
そうして次第に私は和との間に隙間が広がっていってしまった。ただそれは仲違いや自然消滅というものでもなくて、時間の流れが勝手にそれを理解されるようなものだった。だから和も何一つ文句を言わず否定もせず、私が離れることを拒みはしなかった。
でも、今思えば本当はすごく寂しかったんだろう……すごく、すごく。
私が教師になることが決まり、地元から離れるとき、和は「またね」と言ってくれた。
私はそれはいずれ私が戻ってくることを意味しているんだろうと受け止めていた。
でも、そうじゃなかった。
実際は、和が私に会いにきた。
わざわざ一人暮らしをしてまで、私のいる高校まで。
ずっと独りで切なくて苦しくて、でもそんなこと仕事で疲れている親には言えないからと色々と葛藤を抱きしめて、それでも勇気を振り絞って私の元まで自分の足で辿り着いた。
正直、そのときの私は驚くばかりだった。
でも、それから一緒にまた時間を過ごすことになって。
やっぱり、この子はほっとけないなって。
一人にしちゃいけないなって。
この優しさを、せめて私だけでも独り占めしてやろうと思うようになった。
まぁ、それでも今は、なんだか別に大切な人ができたようだけれど。
そんなの、素直に嬉しいとだけ言えない私も、まだ子供ということなのかしらね……。
その日、ご飯を共にし、そのあと一緒にお風呂にも入った。
そのときも特に私たちは口を開くこともなく、ただ静かに癖のような仕草で、私は和の頭を洗ってあげる。これは小さいときからの名残で、再会した今でもそれは変わらない。
そのあとはゆっくり二人で浴槽に浸かり、そこでようやく今日なにがあったのか、そんな些細な会話をぽつぽつと交わす。
どうやら、和は今日やっと星山さんと会えて嬉しかったみたいだけど、先生とケンカして落ち込んでいる彼女を見て、和自身ももやもやしたんだとか。今もなおその話をする和は悄然としていた。
そんな和を目の前にする私もまた複雑な心境に陥る。
別段、この子を独り占めしたいわけじゃない。
でも、この気持ちはきっとそれを否定できるわけじゃない。
払拭できないもどかしさだけを残しながら、私たちはお風呂を後にする。
ドライヤーで髪を乾かし、ついでにその艶のあるさらさらな銀色に輝く髪を梳いてあげる。
あとは寝るだけ。それで今日が終わる。
「春美」
「ん?」
「今日、一緒に寝る」
疑問ではなく肯定。こうなれば決定事項。
「そうね。今日は一緒に寝ましょうか」
「うん」
今日にとって、もはやそれ以外に選択肢はなかったのだろう。
だから、私たちは並んで寝室に足を運んだ。
部屋の中にはベットが一つ。そこに至近距離のまま横たわる。
向かい合って、横臥。和の顔がすぐそこにある。私と同じ匂いで、そのつぶらな瞳は矢のように私の眼を射止める。
手のひらはそっと重ねられ、指は交互に絡められ、ぎゅっと握られる。
こんなこと、他の誰にも言えない。今までだって、これからだって。
私たちの関係はきっと深くて、固いから。他人が入り込める隙間はこの時間にはないから。
「春美……」
和は頭を私の胸元にもぐりこませ、くぐもった声を震わせる。
「もう、一人にしないでね……」
それは、今の今まで我慢していた本当の気持ちだったのだろうか……。
和は頭部をぐりぐりと私にこすりつける。まるで、駄々をこねるようになにかを確かめるように……。
「ええ、ずっと一緒よ」
だからこれはおそらく、私にとっての罪滅ぼしのようなもの。
ずっとこの子に辛い思いをさせてしまったから。
別れも言わず、別れてしまった、中途半端な距離感を保ったままにしてしまった私の愚かさ。
ちゃんと、また会えるからと自信よく言えたならよかったのに、私の弱さがそれを許してくれなかったから。
だからこそ、もうこの手を離してはいけないのだ。
なにより、大切にしなければいけなかった。どれよりも大事にしたかったか弱い小さな手。
「だから、その前に二人には仲直りしてもらわないとね」
「うん……うん。そうなの」
でも、二人ぼっちというのもまた苦しいだろうから。
大切な存在が増えたのなら。
その分幸せを願えばいいだけのこと。
そう、だから。
私たちは私たちのままで。
でも変わっていく宝物の中身を大事に抱えながら、私たちは一緒にいればいいのよ。
「明日は、晴れるといいわね」
私はそう言って、目を瞑った。
和がそのあとなにかを言ったのかは知らない。
ただ、握られた手が離れることはなかったのは確かだった。
こんばんは雨水雄です。
いやはや、先週は迂闊にも失態を犯してしまいました……てへぺろってやつですね。はい、すいませんでした。
それより、もうすぐクリスマスですね。先に言っておきますね、メリークリスマス!
それではよければ来週またここで〜!
あ、あとリア充は爆発しろ。