神器
シエラは手元の資料を軽く捲り、ある程度の内容を把握する。
これは、とある兵士の報告書だ。
──チラッ。
どうやら、自分以外はすでに内容を把握しているようだと、シエラは周囲を見回して知った。
「シエラ以外はすでに知っていると思うが、一応復習のために聞いてくれ。先日、巡回の兵士から報告が入った。昔から問題視されていた盗賊団『荒野の牙』は覚えているな? そいつらが、制覇済みのダンジョンを寝ぐらにしたらしい」
「……それ自体は問題ないのでは? 制覇されているダンジョンは魔物も居ませんし、誰にも危険はないはずです」
「ああ、それはシエラの言う通りだ。しかし、問題はその次だ。そのダンジョンの近くに、ある辺境貴族が治めていた領地があってな。そこが──盗賊団によって占領された」
「……ほう?」
シエラの目が細められる。
その盗賊団はドランヴェイル王国でも危険視されていた。
だが、手出しはしなかった。
それは何故か? 盗賊団には珍しく、統率が取れていたからだ。
無駄に組織を引っ掻き回して、殺人も厭わない無法者をバラけさせるより、一つの組織として存在させていた方が、被害は少なくなると王国は判断した。
それから兵士を巡回させ、様子見を続けていたのだが……今になって無視出来ない事件が起きた。
「理由は、把握していますか?」
「……残念だが」
報告書によると、その盗賊団は妙に殺気立っているらしく、少しでも近寄れば一斉に牙を剥かれるとのことだった。
実際、兵士が何人か生け捕りにされたとも書いてある。
「捕虜はどうなっているのです?」
「わからない」
「生存状態も不明、ですか……それはなんとも厳しいですね」
「ああ、ミシェルが行けば、捕虜の生存確認くらいは出来るだろう」
確かにミシェルなら楽勝な任務だ。
しかし、今はそれをやっていない。
……つまり、出来ない理由があるということだ。
「何が問題なのです」
「──神器だ」
部屋の空気が凍った。
神器。
神が創りし道具のことを、人々はそう呼んでいた。
それは未知の現象を生み出し、どれも天変地異を起こすほどの力を宿している。
人が扱えるような代物ではない。もし無理矢理にでも使おうとするならば、強大な力を得る代償に、使用者の精神は蝕まれていく。
「その情報は確かなのですか?」
「──本当だよ」
シエラの問いかけに、鈴のような声が答える。
視線をそっちに移すと、不機嫌そうに腕を組んだミシェルが、シエラを見ていた。
「直接私が調査しに行った。あの全身を突き刺すような威圧感。間違いなく神器だ。……悔しいけど、神器があるなら、私はどうすることも出来ない」
「…………なるほど。私がここに呼ばれた理由が、今ようやくわかりました」
報告書をテーブルに置き、国王に体の向きを変える。
「話は理解しました」
「では、受けてくれるのだな?」
「いえ、それは報酬によります。陛下だってわかっているでしょう?」
騎士として仕えている時だって、シエラと国王との契約は続いていた。
何かある度にシエラに依頼を頼み、出される報酬によってシエラは動く。
主従関係なんて面倒な縛りは、二人の中に一切存在していなかった。
「……何が望みだ?」
「そうですねぇ……神器の対処。これだけで高く付きます。それに加えて、盗賊団の殲滅も考えているのでしょう?」
「当然だ。今までは監視だけに留めていたが、無視出来ない事件を起こした以上、見逃すことなど出来ない」
ならば、殲滅の手しかない。
そうなればミシェルとシエラ、両方の力が必要になる。
「だが、なるべく無理のない物で頼む」
「あはは……無茶を言いますね。誰もが手に触れることさえ叶わない神器の処理ですよ? 国家に関わる以上の報酬が出なければ、依頼に見合いませんね」
「おいシエラ、流石に──」
「黙ってください、レイ。これは国王と私の、対等な商売話です」
「…………チッ、わかった。だが一度、気を休めるために休憩しよう。ほら、そろそろいい時間だ」
そう言って壁に掛けられている時計を指差し、ちょうど良いタイミングでお昼を知らせる鐘が鳴った。
「……ああ、もうこんな時間でしたか」
「そうだな。レイチェルの言う通り、昼休憩にしよう。どうだシエラ、全員で昼食にしないか?」
「申し訳ありません陛下。折角のお誘いですが、お断りさせていただきます。……今、私が鍛えてあげている子に店番を頼んでいるのですが、流石に心配なので戻りたいと思います」
「……そう、か。残念だが、今日は無理を言って来てもらったのだ。仕方ない。この話はまたの機会にしよう」
「ええ……それとミシェル」
「…………なに」
「後で私の店に来てください。今回の依頼について、少し話し合いましょう。相手は神器です。慎重に行かなければなりません」
「……っ、わかった。後で、行く」
相変わらず顔は不機嫌だ。しかし、その声だけは嬉しそうに弾ませながら、ミシェルは答えた。
「はい、あなたの大好きなケーキを作ってお待ちしていますよ」
「っ!?」
ミシェルのぴょこんと出たアホ毛が、犬の尻尾のように左右に揺れ始める。
これは彼女が相当機嫌がいい時に見える現象だ。
「おいミシェル、遊びに行くんじゃないんだぞ?」
見かねたレイチェルが釘を刺すが、すでにケーキのことしか頭にないミシェルは、素っ気なく答える。
「…………わかっている。ついでにケーキを食べるだけ」
「ええ、とびっきり美味しい物を二人で食べましょう」
「……約束、破ったら殺す」
「妹に殺されるのは困りますね。なので、頑張ります」
「妹じゃない。間違えた罰、苺二倍」
「はいはい、了解です」
そんな姉妹にしか思えない会話を聞きつつ、各々が自由に食堂へと向かう。
そろそろ本当に店に戻らなければ。そう思ったシエラは、最後に重要なことを聞いていなかったと国王に質問する。
「そういえば、件の占領された領地は、何処なのですか?」
「ああ、ここから西にある辺境──クライシス領だ」
◆◇◆
──カランッ。
来客を報せる鈴の音が、静かに店内に響いた。
スライムと談話していたレーナは、来客を歓迎するために声を上げる。
「いらっしゃいま──シエラ! 遅かったな……って、どうした?」
「レーナさん。状況が変わりました」
「ん、どういうことだ?」
「今から集中して、レーナさんの最終試験を開始します」
「……………………へ?」
それは、初めての接客で疲れ果てていたレーナにとって、トドメの一撃となる言葉だった。




