3:魔を以て外道を誅す
「じゃあ先に帰るから、明日までにその仕事終わらせておけよ」
(……またか)
威圧的に言い放つ上司の言葉に、彼は小さく溜息を零した。連日に次ぐ残業で、顔には濃い隈が出来ている。
窓の外は既に夜闇に包まれ、かつての都会の明かりは欠片も残っていない。
物騒なレジスタンス被りが治安を乱した結果、計らずも企業の有り方を正しい状態へと浄化させた。
しかし一部の企業は未だに恒常的な残業が改善されていない。
(いつまでこんな生活を続ければいいんだ……もう、楽になりたい)
ふと、彼の脳裏にレジスタンスを取り上げたニュースの記憶が蘇る。
青天の霹靂、百鬼夜行……社会の秩序と治安を乱す危険な存在、反社会的集団だと言われていた。
(こんな残業だらけの生活を送らされて、なにが秩序と治安だ。無法地帯の間違いじゃないのか)
キーボードを叩く手が止まる。
心の奥底で捻じ伏せていた自由への渇望が牙を剥き始めていた。
「もう、嫌だ。もうこんな生活まっぴらだ!」
「何か言ったか? 無駄口叩いてる暇があったら……ぐぎっ!?」
彼は立ち上がり、上司の言葉など意に介さずに殴りつけた。
倒れた上司は驚きつつも、怒りの形相を浮かべる。
「や、やめろ! こんなことをしてただで済むと思って……ひっ!?」
「お前らが、お前らが悪いんだ! 労働者の敵めッ!」
倒れた上司の床に突如として現れる幾何学の線と緑色の光。床からは無数の黒い腕が這い上がって上司の全身を拘束する。
「な、なんだこれ! なん、うあっ、ああああっ……!」
黒い手に口を塞がれ、底無し沼に引きずり込まれるように床へと飲み込まれていく。
一方、彼の視線は上司より上に向けられていた。
沈んでいく上司を挟んだ対面に立っている、白い制服に蒼い外套をはためかせる男。
「通報ご苦労。君が勇気を振り絞ったおかげで、また一歩革命は前に進んだ」
「あ、あなたはいったい……」
「青天の霹靂の者だ」
魔法陣と光が消えうせる。さっきまで仕事を押し付けていた上司はもはや影も形もない。
「ではこれで」
「ま、待ってくれ。あなたたちはいったい、どうしてこんなことを?」
「どうしてって、こうしたかったからに決まってるだろ」
それがさも当たり前のことであるかのように、男は言う。
「俺も昔はお前みたいなサラリーマンだった。上司にケツを蹴られ、雨の日も風の日も営業で駆け回り、無理なノルマに怯えて……俺はそんな人生を変えたかった。そんな社会は間違っていると叫びたかったんだ」
社会に蔓延している違法労働。労働者同士が負を押し付けあう地獄。
魑魅魍魎が蔓延り、百鬼夜行が人々を襲う前から、遥か前から世界は地獄だった。
「誰も戦おうとしない、誰も変えようとしない。それを成し遂げる力もなかった……でももう違う。俺は力を授かって、こうしてお前を救うことが出来た」
絶対に変わらないと思っていた人生、変わらないと思っていた社会。それを変革する力を得たならば。
それだけで成し遂げようとするには十分だった。
「いや、ぶっちゃけ世界を変革するとか大それた考えはない。ただ昔の俺や、今のお前みたいな被害者を助けられれば、それでいいと思っている。それでいいと、アイツは言ってくれた」
無礼皇の不敵な笑みを思い出しながら、男も彼に対して笑みを向ける。
「だが、俺が力を使えるのは被害者自身が抗おうとする意思を持ったときだけだ。お前がさっきそうしたようにだ。それはお前自身の力だ」
「俺は、ただ我慢出来なくて……」
「それでいい。理不尽への怒り。それを報わせるのが俺たちの仕事だ。あとはそれを広めてくれれば申し分ない。それじゃあ俺は行く。おつかれさん」
男はそう言い残して、緑色の陣に飛び込んで消えた。あとには残されたのは彼だけだった。
「……帰るか」
彼は帰り支度を始めた。いつもとは違う晴れ晴れとした気分で。
自分の勇気を認めてくれた誰かがいる。そして報われるように影から応援してくれる誰かがいる。
心強い味方の存在を強く意識しながら、彼は職場を後にした。
所変わって異なる職場、血だら真っ赤なムシロとなった、中小零細町工場。
不正違法な強制労働、不法不遜の横行に、訃報を以って強制終了。
赤い貌に蒼い面、分厚い面を剥ぎ取る包丁。対の手に桶。
「まったく現代人ってのは危機感がねえ。そう思うだろ? あんたらも」
その言葉の送り先は、隅で怯える敗北主義者か、血の池に浮かぶこと切れた命か。
「自分たちが押し付けた分のツケを払うことになるなんて思いもしないで、のうのうと生きてやがる。不満の声も上げないで、団結して抗うこともせずに、誰かが死んでいくのを他人事みたいに放っておく。なぁ?」
過労死と自殺。ニュースでいくら流されようと、誰も危機感を抱かない。
死んだ本人が悪いのだと、それは不幸な出来事だったと、同じ労働者であるのにもかかわらず見捨てていく。
いったいどれほどの屍を積み上げれば獣の牙は、人は矛を取り戻すのか。
最後まで、それはありえなかった。叛逆は人の手ではなく、妖人の手によって。
「血祭りだ。俺たちは百鬼夜行。善も無く悪も無く、ただ害する者をひたすらに害するのみ。反撃と叛逆の徒だ。そうだよな、我等が首魁?」
そうしてなまはげのような一団は、嵐のような血の雨を降らし終えて、次なる場所へと向かう。暴風のような有様を隅で見ているしかなかった、無力な者たちを遺して。
その時、暗い景色の一部が爆発した。夜の闇に抗うように。
「向こうも派手にやってるな。向こうは学校だっけ、蒼鬼?」
「ああ、そのはずだ」
蒼い面の鬼はスマホを耳に当てる。
「こちらナマハゲ。そちらの進捗はどうか」
「こちら七不思議、緊急事態だ! すぐに応援を……くっ!?」
青鬼は赤鬼と顔を見合わせる。
「おい、どういうことだ。詳細を伝達しろ」
「俺たちとは違う力の持ち主らしい。特定の人物を執拗に追いまわし、殺して回っている。法則性は分からん。障害として排除しようとしたが歯が立たない」
「青天の奴等ではないのか?」
「蒼い制服を着ていない。白と赤の服、黒く長い髪……悪魔というより、あれは怨霊の類だぞ。それに奴らの目的は俺たちみたいな殺戮じゃないはずだ」
「分かった。今からそちらに向かう。持ちこたえろ」
火の手の上がる学校へと、赤蒼の鬼は急行する。
白と血のドレスを着た女性は、天使のような笑みを浮かべながら、怯える少女を見下ろしていた。
「や、やめて! 殺さないで!」
「面白い、みんな同じようなことを言うのね。でも知っている。あなたたちは絶対にその言葉に耳を貸さない。やめてと言ってもやめないし、いじめないでって言ってもいじめるの」
「ひっ、ちがっ……ごめんなさい!ごめんなさい!」
床の血だまりから、触手のように血が伸びる。
それは群れて束ねられ、巨大な河をなして怯える女子生徒へ這い寄っていく。
「だ、だずげ! ごぼ、がっ……」
体に絡みつき、穴という穴からそれは侵入する。
長く長く苦しめ甚振った末に、それは原型も残らぬ無惨な姿になった。
「……次は」
「動くな」
女性は振り返る。包囲する異形の集団。幼い少女、口の裂けた女、巨大な鋏を持つ男、上半身だけの女……魑魅魍魎の力を借りた、妖怪変化の徒党。百鬼夜行である。
「なぜそいつを殺した。お前の目的を尋ねたい」
「あなたたちはニュースでやっていた……百鬼夜行?」
「答えろ。答えなければ敵としてお前を排除することになる」
「……制裁のため。断罪のため。私の贖罪のために」
「なに? それはどういう……」
「失礼、私は暇ではないの。貴方達は邪だけど、見逃してあげる。同じ穴の狢だものね」
そう言い残して、血のドレスを着た女性は血だまりに溶けていった。
妖人よりも妖怪らしい、謎の女性の存在が初めて確認された出来事だった。




