α:Returner
ピクシブで二次創作もしてるんで良かったらどうぞ
降りしきる雨の中、その男は膝を折る。
雷鳴が瞬く黒雲を虚ろな瞳で見上げていた。
「疲れた……疲れたな」
誰もが夢に見ただろう、画面の奥に戦う者たちの姿。
誰もが模倣しただろう、架空の中で戦う者たちの様。
生まれた場所を間違えたのか、この世界には憧れた物は何一つとして実在せず、何もかもが虚空の果てへと消えていく。
子供心を手放せなくて、こんな現世に叛逆したくて。
「でも、もう疲れた。疲れたんだ……」
現実に馴染めなかった男は、空を眺めて眠るだろう。
暗雲の中に瞬く雷光が、いずれ落ちるだろう。
「今日は、眠れるといいな」
「哀れな」
ふと、男の耳に声が届く。
周囲を見回しても、自分以外に誰も居ない。
雷鳴轟く嵐の日に出歩く狂人がそういるはずも無い。
「天罰か、神の怒りか……いずれにせよ神の死んだ今、そんなものに命を差し出すなど愚昧極まる行為ぞ」
「なんだ、誰だ今更……」
「神の雷に命を差し出すくらいならば、我らに魂を預けよ。そうすれば、お前の望む叛逆と革命を成すための手を貸し与えよう」
「今更……こんなに老けた俺になにを……」
顔には皺、肌もくすみ、筋肉も衰えた。
声は太く、目は薄く、背も丸い。枯れて朽ちて、老いて果てて、死を待つばかり。
現実に抗ったがために、現実に生きるものより日の光、明かり温もりから遠ざかり、眩しささえ覚えるほどに。
自分の選択に後悔は無い。自分の不運と現実の残酷さには落胆と絶望を禁じえない。
「否、今でなければならなかった。貴様が胸に抱く理想を手放さぬまま、死を迎えつつある今でなければ……ネクストワールドへ向かえ」
「ネクスト……なんだ、何の話だよ」
「そこはこの世ならざる場所、人間の言うところの異世界。理想を抱きながらも道半ばで果てた者たちが、もう一度その理想を成就せんと行き着く果てだという」
「馬鹿馬鹿しい、そんなどこのアニメや漫画みたいな話を……もう放っておいてくれ」
男の言葉を、謎の声は無視して話続けた。
「我と契約しろ。我等と貴様の悲願を成就せしめるためには、それが必要だ」
「誰だか知らないが、自分たちだけで行けばいいじゃないか。俺には関係が無い」
「そこへ辿り着くには死なねばならぬ。理想持つ魂でなければならぬ。しかし我等は死ねぬ。神は死ねども、悪魔は死ねぬのだ」
「悪魔……?」
「我と契約しろ。そして彼の地にてお前の求むる理想を手に入れ、この地に舞い戻り、その時こそ本当の叛逆を……夢心地なる革命を始めるのだ」
男には、その声が確かなものなのか、それとも気が狂ってしまった末の幻聴なのか分からなかった。
しかし仮に悪魔だというのなら、契約などすべきではないと思った。
「我の手を取れ人間。我々こそは神の創りだした現実と人間に追いやられた者同士だ」
それでも、現実と人間への怒りは、この嵐の雨の中でも未だ燻り続けていた。
「神は死んだ、神は死んだ。ならば次は我々の番だ。魔と人が手を取り合い、空いた神の座を分け合う時だ」
男はおぼろげな意識の中で、冷たい手を伸ばした。
その先にあるのは暗雲ではない、雷でもない。ましてや神や人ですらない。
そこに居るのかも分からない、しかし確かに聞こえてきた悪魔を名乗る虚空へと、手を伸ばした。
そして落雷するよりも僅か先に、心臓は鼓動を止めた。
ある中年の男が命を落として、十年の歳月が過ぎ去った頃。
からっと晴れた天気とは対照的に、公園のベンチで項垂れるスーツの男。
「あーあ、どうすんだよもう、今日も上司に怒鳴られるのか……」
持っていた缶コーヒーの空き缶をゴミ箱へ投げる。しかし縁に当たって地面に落ちる。
「クソッ……あー、ガキの頃に戻りてぇ……」
嘆かわしい現実、疎ましい現状。それでも食い縛って生きるしかない。
それこそが皮肉にも、現代の死に至る病であった。
「行くかぁ……あっ?」
重い腰を上げて、空を見上げ、そして硬直する。
雲ひとつ無い青空に、青い雷光が走っていた。
「なんだ、あれ……」
男が呆然としていると突然、少年の声が街に響き渡った。
「夢を抱く者よ、夢を棄てた者よ、聞け! そして仰ぎ見よ! このボクを!」
「な、なんだ、なにが起きてんだ……!?」
「夢を守るために、空想の世界に逃げ込むしかなかった者たちよ、ボクの元に集え! そしてこの地を治め、希望と欲望の炎を燃え上がらせよ! ボクはそれを与えに戻ってきたぞ!」
青い空を、青い雷光で満たされる。
鼓膜を劈く雷鳴は激しさを増していく。
「求めるならば集え! キミたちにそれを叶える魔力を与えよう、ボクの名はアルクルスト。魔人アルクルスト・無礼皇・ブルーハートだ!」
「アルク、ルストって……なんだそりゃ、馬鹿馬鹿しい……仕事だ仕事」
「嫌気の差した現実に復讐を望むなら、現状をひっくり返したいなら、叛逆の機会を待ち望んでいたなら、何もかもを投げ捨てたいなら、魔人と成り果て成り上がれ!」
会社へ戻ろうとした足が止まる。
自分の心に重ねてきた嘘、積み上げてきた妥協の数々。
叶うならば、今すぐにでもかなぐり捨てて、踏み躙って、欲するままに行きたい。
いつの日か抱いていたはずの、少年の心を取り戻したい。
ヒーローに憧れたあの日々を、青春に見惚れたあの日々を、いつの日か手に届くと信じていた奇跡を、もう一度信じたい。心の底から膨れ上がる情熱を、熱心と熱狂を蘇らせたい。
「クソッ、クソッ! なんで、なんで今更こんな……クッソぉっ!」
そんな渇望に抗えなかった男は、未だに続く演説の声を辿っていく。
呼び覚まされた少年の心のままに、あらゆるしがらみを捨て置いて往く。