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籔の中  作者: 和紀河忍
第6幕 巫女の口を借りたる死霊の物語
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第6幕 巫女の口を借りたる死霊の物語

巫女の口を借りたる死霊の物語ーーー、これにて最終幕となります。

どうぞお楽しみ下さい。

 黄泉を写す鏡になにやら祈りを捧げていた巫女が、ふっと意識を失って倒れた。俯いたまま、両肩を振るわせ、ヨロヨロと起き上がり、男の声色で独白が始まった。


 その男は・・・妻を犯してしまうと、そこへ腰を下ろしたまま、甘い言葉を巧みに操りながら、なにやら妻を慰めはじめた。俺は、勿論、猿ぐつわで口は利けない。その身体も杉の根に固く縛られたままだった。が、俺はその間に、幾度も幾度も妻へ目くばせをした。

(この男の云う事を真に受けてはいけない!奴が何を言っても嘘と思え!)

 と、俺はそう伝えたたかったのだ。しかし、妻は悄然と笹の落葉に座ったなり、何かを考えるようにじっと膝へ眼をやっていた。それがどうも甘く甘美な男の言葉に聞き入っているように見えるではないか!

 妻は潤んだ瞳を男へ向けた・・・。

 男は時折涙を拭うような仕草を見せて、肩を抱いて妻の耳元へ囁き続けた。言葉も発せず動くこともできぬ俺は、妬ましさの炎に身悶えした。しかし、俺が止める事もままならぬままに、二人の間で巧妙に話を進めていくのだった。


ーーーあの男は確かにこう云った。


「一度でも他の男と肌身を汚したとなれば、お前の夫との仲も折り合うはずがないだろう。この先、そんな夫に連れ添うよりも、俺の妻になる気はないか?一目見た時から、熱く滾る思いに、ビビッ!と来たのだ。運命が俺たち二人を結びつけたのだと、思わないか?俺は、お前を愛しいと思えばこそ、全てを捨てる覚悟で、このような大それた真似を働いたのだ。」

 男がこう語ると、妻はコクリと頷き、恍惚とした表情で男の顔を見上げた。

 俺は、俺は今までこれほどまでに美しい妻の顔を見たことがなかった!

 妻は・・・妻はその時、縛られ苦悶に悶えている俺を前に、何と返事をしたか?俺のどす黒い絶望に満ちたこの時の心のうちを想像する事が誰に出来るだろうか?!

 妻は確かにこう云った。

「では、どこへでも私を連れて行ってください。」

 妻は、夢うつつに男に手を取られながら、ゆったりと立ち上がった。その時、俺を振り返り指差して、夜叉のような顔でこう云った。

「あの人を殺して下さい。」

 あの眼は今でも身震いがする。そう、人とは思えぬ、感情を一切排した、冷たい眼だった。

 そして、再び、鉄のような冷たく固い声で、こう告げた。

「あの人を、殺して下さい。」

 そこにいた美しき悪鬼は、あの愛しかった妻ではなかった。


 この言葉は、嵐のように、今でも俺を、遠く暗い闇の底へと、真っ逆さまに突き落とそうとする。一度でもこれ程、憎むべき言葉が、人たるものの口を出たことがあろうか?一度でも、これ程呪わしい言葉が人たる者の耳に触れたことがあろうか?一度でもこれ程に・・・。


 妻は、俺の心を切り刻むかのように、繰り返した。

「あの人を殺して下さい。」

 そうして、俺を嘲笑して、どす黒い恨みを含んだ眼差しで俺を見下ろした。

「あの人を殺して下さい!」

 そう、叫びつつ、妻は青ざめた男の腕に縋り付いた。

 妻の、その言葉を聞いたときは、あの男さえも色を失ってしまった。

 男は殺すとも殺さぬとも返事をせぬまま、妻をじぃっと見据えていた。と、妻をまるでゴミ屑かのように見下ろして、落ち葉の上に一蹴りに蹴倒した。そのまま、静かに両腕を組み、俺へ眼をやって低い声で俺に云った。

「あの女をどうするつもりだ?殺すか、それとも助けてやるか?返事は、唯、頷けばいい。さあ、殺すか?」

 俺は、この言葉だけでも、こいつの罪は許してやっても良いとも思えてきた。

 妻は、俺が答えに戸惑っている隙に、一声叫んで走りだした。男はあわてて逃げた妻へ飛びかかろうとしたが、時既に遅く、するりと男をかわすと、藪の中へ逃げていってしまった。縛られたままの俺は、唯、幻のようにその光景を眺めていた。

 男は薮の奥から戻ってくると、俺の縄を解いた。

「あばよ!」

 男はそう一声叫んで、再び薮の奥へと姿をくらました。その後は何処も静かだった。


 いや、まだおれの脳裏に、だれかの泣く声がしたーーー。

 おれは、身を伏せたまま泣いていた。妻のあの冷酷な囁く声が胸を何度も突き刺した。

「あの人を殺して下さい・・・。」

 苦しかった。

 俺はもう一度、じっと耳を澄ませてみた。が、その声も気が付いてみれば、俺自身の泣いている声だったではないか・・・?

 俺は、静かに輝く木漏れ日の中、ゆっくりと重そうに起き上がった。杉の根から、疲れ果てた身体を起こして、足元に転がる、黒い鞄に視線を落とした。それはあの男が忘れていった鞄だった。中を開けてみれば、冷たく重い光を放つ銃が一丁、入っていた。


俺は銃を取り出した。

俺はそれを手に取ると、ぼやけた思考のまま、暫くそれを眺めた。

風が静かに俺の髪を揺らして行った。

何も考える事は出来なかった。

ただ悄然と銃口を見つめたあと、俺は銃口をこめかみへあてた。


ーーー引き金を引いた。


 遠い遠い静けさの中、頭の奥で何かが爆ぜた音が聞こえた気がする。

 俺は生暖かい血溜まりの中、どうっと倒れ込んだ。


 何か、何か生臭い塊が俺の口へこみ上げてくる。

 が、不思議と苦しみは少しもなかった。

 唯、唯、胸が冷たくなると、あたりが一層しんとしてしまった。

 俺はゆっくりと首をもたげて真っ暗になったそらを見つめた。


 ああ、何という静かさだろうか。


 寂しい、唯、無性に寂しかった。

 この山陰やまかげの薮の空には、小鳥一羽、囀りに来ない。

 ただ、くらく沈んだ杉や竹のうらに、冷たく寂しい日影が淡く漂っている。

 そう、日影が。

 そうしてそれもしだいに、暗い闇に溶けてゆくようにぼんやりと薄れてゆくーーー。


 ああ、もう、杉や竹も見えない。


 俺は独りだ。

 唯、そこに倒れたまま、深い静けさに包まれている。

 なんと云う静けさであろうか。


 意識が闇に融けた。

 この時、誰か忍び足に、俺のそばへ来たものがある。

 俺はそちらを見ようとした。が、俺の周りには、いつからか薄闇がたちこめ、もう見る事さえ叶わない。

 誰か、その誰かは判らぬが、俺の胸のあたりで銃を構える硬い音がする。

 この闇の静けさを、ただ一瞬だけ、切り裂く音が響き渡った。

 同時に俺の口の中には、もう一度、血潮が溢れてくる。


 そうして俺は・・・俺はそれきり永久に・・・常闇の中へと・・・沈んでしまった・・・。

短いお話ではありましたが、読みづらいところ等あったと思いますが、

最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。

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