第5幕 清水寺に来れる女の懴悔
「その優しげな微笑みをもつ男は、私を強姦してしまうと、縛られた夫を眺めながら、嘲るように笑ったのです。」
白い顔を、更に白くさせて女は細い声で続けた。
「私は・・・私は、激しい息苦しさから逃れるように、男から顔を背けました。夫は・・・夫は、あの時、どんなにか無念だったことでしょうか・・・。でも、夫の身体を捕らえていた縄は、身悶えすればするほどに、より一層、その身体に食い込むばかりだったのです。」
女の回想が始まった。
「あなた・・・あなた!あっ!!」
女が走りだそうとした刹那、男が女を蹴り倒した。男は後ろへ下がって身構えた。
女は転んだ姿勢のまま、顔を上げて、縛られた夫を見つめた。
「わたしは・・・私は、この時、夫の眼の中に、鋭い、ぎらぎらとした異様な光が宿っているのに気が付きました。それはそれは何とも云いようのない、冷たい輝き。唯、冷たい。」
女は身を抱え込み、魂抜けしたように腰を落とした。
「竹の葉を口に詰められ、一言も口を聞けぬ夫は、私の夫は・・・!!その一切の感情を、その一瞬の眼の中で、私に伝えたのです。」
夫と女は、しばし見つめ合う。
「ああ、私を奈落の底へ突き落とすように爛々と彼の瞳は輝いている。ただ、ただ冷たい、まるで汚いものでも見るような、私を責め、嘖むように迫ってくる、あの眼差し。そう、あれは蔑みの瞳。唯、私を蔑んだ、冷たい、冷たい光。」
女は悲しみに暮れて蹲ると、頭を掻き毟りながら、叫び声を上げた。
「やめてぇぇぇーーー!!」
女は、地へ伏せた。男は深い藪の中へ走り去っていった。女は暫くして、よろよろと起き上がった。
「あ、あの男は・・・あの男は何処?!何処なのよぉ!!」
女は夫を見た。女は虚ろな瞳で、よろよろと立ち上がり、足を引きずるように夫に近寄り、縋り付いた。
「あなた・・・?」
夫は冷たく顔を背けた。
「あなた・・・あなた。なんて冷たい眼でわたしを見るの?何故?何故なの?わたしは、あなただけを信じているのに。もう、わたしたちは終わりだとでも言うの?」
答えはない。
「あなたは、わたしに「死ね」と言うの?わたしは、わたしは、このような恥をあなたの前にさらしてしまった以上、とうに死する覚悟はできているわ。」
女は気味悪い笑みを浮かべながら、夫ににじり寄って行った。
「ですが・・・あなた。あなたも私と一緒に死んでください。」
夫に縋り付き、耳元で囁いた。
「あなたは私の恥を見ました。ですから、ですから、私は、私はこのままあなた一人、この世に生かしておくわけにはいかないの。」
夫は依然忌まわしそうに女を見つめている。女は側に落ちていた短銃を見つけ、両手で構えた。夫は何かを云おうと身 悶えし、唸った。
「判っているわ、あなたの言いたいことは。だってわたしたち、七年もずぅっと一緒に過ごして来たのだもの。」
女はゆらりと夫に近づく。しかし、消えない夫の冷たい瞳の色に怯え、狂ったように叫んだ。
「やめてっ!!その目で、そんな目で見ないで。わたしを見ないでェ!!」
夫は低く、押し殺したような呻き声で
「殺せっっ!!」
「何よりも、誰よりもあなたを信じていたのに!!」
女は引き金を引く。
同時に男は力無く首を垂れた。女はその場に暫く茫然と立ち尽くした。
「い、いやぁぁぁーーー!!」
女は倒れ込んだ。暫くして、ゆっくりと起き上がり、蹌踉めきながら、夫のそばに近寄っていった。冷たくなった夫を揺さぶり、夫の縄目を解いた。血に濡れたまま、前のめりに倒れ込んだ夫の背に縋り付き、泣きじゃくった。一頻り泣いた後、茫然としてさまよい出した。
「死ぬ勇気もなく・・・わたし一人、こうしてここにいます。そうして、生の苦しみを今、ひしひしと味合わせられています。私のような女は、きっと、神も仏もお見放しなさったのでしょう。いえ、見放されて当たり前です。ですが、ですが夫を殺した私は、あの憎い男に犯された私は、一体どうすればよいのでしょうか?だれか、だれか教えてください!!だれか・・・。」
激しくすすり泣いた。