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読書タイムを振り返る〜自分の読みたいものを書く〜

作者: hiroliteral

 卒業式から入学式の間は、何となく友達と会うことも少なく、宿題は当然にないわけで、読書時間にぴったりの時期だと思う。

 親に誘導されたのか気まぐれかはわからないが、小学校卒業の際は「三国志」(吉川英治)を読んだ。父の持っていたものはハードカバー版で立派な本だと思い、しばらくは面白かったが何時まで読んでも終わらない。やっとこさ終わったと思ったら春休みが終わっていた。

 中学校卒業の際は、また父が「新・平家物語」(吉川英治)を持ってきた。三国志の倍の巻数だ。もう高校入学だし国語の成績はぶっちぎりだった思い上がりもあって軽く読み通せると思っていたら、また春休みが終わってしまった。

 高校卒業の際は、何となく三島由紀夫、フランソワーズ・サガン、漫画を読んでいた。好色五人女や方丈記といった古文(現代語訳していないもの)を趣味として読んだりもしていた。

 大学の授業で寂しかったのは、国語の教科書がなかったことだ。私は読書狂だったので、中学からは教科書が配られるとその日のうちに全文読破していた。正に一年分。今考えると、そりゃ国語の成績で困らないよなと思う。理系なのにね。


 ファンタジー物は変な読書遍歴だ。小学校の頃はミヒャエル・エンデの作品が好きだった。「モモ」で読書感想文の佳作を貰ったし「はてしない物語」を買ってもらったときは朝から晩まで読み続けて親に叱られた。

 とくに自分の中で大切な本は「ナルニア国物語」(C.S.ルイス)、「ホビットの冒険」(J.R.R.トールキン)だ。とくにナルニア国物語で、翻訳者の瀬田貞二氏があとがきに書いていた「自分の読みたい本を書いてくれる本がいないから自分で読みたい本を書く」といったルイスの言葉が自分の中で大切な言葉として残っている。

 中学生になって読んだ「空色勾玉」「白鳥異伝」(いずれも萩原規子)は福武書店(現ベネッセコーポレーション)が出版していた本で、進研ゼミ以外に普通の本を出版していたことが一つの衝撃だった。あのとき、出版社のレーベルというものを気にするようになった。

 小説の中身も古事記を下敷きにした純日本のファンタジーで、佐藤さとるのコロボックルシリーズを読んだとき以来の日本が舞台で楽しかった。また、白鳥異伝の恋愛情景に感動を憶えた。大人になってから伊勢神宮への観光をしたり、私自身も日本を舞台にしたり日本の神々をモチーフにした作品をいくつか書いているし私服として和服を着ることもあるが、この作品を読まなかったら興味を向けなかったかもしれない。

 小学生の頃に読んだホビットの関係で中学生時代には「指輪物語」「シルマリルの物語」も読んだ。指輪物語の設定狂と言える作り込み方にはあきれてしまった。また、「シルマリルの物語」でエルフの不死を、憧れよりも絶望に近いものとして描いていくすごみに心が震えた。その影響か、能天気な不死の描写にはコメディでない限り反発をしてしまうことがある。

 一方、同時期に読んだ「ゲド戦記」(ル・グウィン)については、あまり好きではないのに気持ちの引っかかる作品だった。今も好きな作品か、と問われると首をかしげるが、心に残る作品かと問われれば間違いなくうなずく。

 他にそういう作品は、ジョージ・マクドナルドの作品だ。「お姫様とカーディの物語」や「リリス」などで、とくに「リリス」は怪奇ゴシックの風味もあり重々しい。「お姫様とカーディの物語」は物語自体は好きなのだが、表紙カバー絵がいがらしゆみこという、男子には極めてハードルの高い絵描きだったことも大きく影響している気はする。

 高校生になって、初めてライトノベルに手を出した。最初に読んだのは「フォーチュン・クエスト」と「スレイヤーズ」だと思う。とくにスレイヤーズの視線をずらした笑いは楽しく、一方でこういう切り口があるかと思った。この設定の裏を取るやり方(白馬の王子様が既に中年だとか)は今も大好きだ。

 逆に損をしたのは「ロードス島戦記」で「本格ファンタジー」という売り文句にわくわくして読んだがいまいちに思えた。当時、ライトノベルの評価がはっきりしていない中で、さらに先にナルニア国物語、指輪物語、はてしない物語などばかり読んでいたせいで、そちらと比較してしまっていた。読む順番とレーベルというものは大切だと思う。

 児童文学の大所をあらかた読んでしまったこともあり、高校生の頃に読んでいたファンタジー系はドイツロマンゴシックなどに行った。岩波文庫から出ていたノディエ、ゴーチェなどの短編集が面白かった。また「水妖記オンディーヌ」には感動した。劇団四季がこれを舞台にしているそうなので一度見てみたいのだが、機会に恵まれずにいる。

 少し異質な読書体験は「時の輝き」(折原みと)だ。何故なのか知らないが、同級生の女子(もしかしたら学年の女子)が全員読んでいるという異様なブームが起きていて、ただ中学生にがっちがちの少女小説というのはなかなかハードルが高く隠れて読んだ。あまり好みの物語ではなかったけれど、内心を表現するための改行手法などには衝撃を受けた。その後、何冊か折原みとを読んだ記憶はあるが、どの小説だったかよく覚えていない。ただ、数年前に読んだ大人向けの作品「天国の郵便ポスト」には抵抗感なく素直な気持ちで読めたのは、作風の違いだろうか、それとも私自身の変化だろうか。


 高校時代はファンタジー以外の作品をずいぶん読んだ。北杜夫は五十冊ほど、星新一も三十冊程度だろうか。川端康成も十冊ほど読んだ。三島由紀夫は前述の「盗賊」のほか「音楽」「憂国」「午後の曳航」が好きだった。

 それなのになぜか、高校生定番の太宰治にはあまり興味がなかった。大人になって太宰の生家を観光に行ったが、結局は今もろくに読んでいない。太宰の生き方が嫌いなのかもしれない。そういう意味でだろうか石川啄木も嫌いだ。あと三島由紀夫を好きだと言うとどうも政治的に見られるきらいがあるので自己紹介などでは使いにくくて困ったものである。

 高校からやっと詩歌にも興味を持つようになった。フランソワーズ・サガンの作品には、冒頭にエリュリアールの詩を引用していることが多かったことがきっかけだ。ただ詩はどうも飽きやすく俳句はほぼ受け付けなかった。また、短歌も正岡子規以後の作品は好きになれず、もっぱら伊勢物語辺りの作品が好きだった。

 そんな中、感性に合った作家は俵万智と寺山修司だ。とくに寺山修司の「少女詩集」は大好きな詩集で、おかげで大人になってから寺山修司記念館にまで行った。寺山修司記念館は駅からほぼ公共交通機関がなく、タクシー代だけで三千円はかかったはずだが、またいつか行ってみたいと思っている。


 大人になって強い印象を受けた作家は嶽本野ばらだ。深田恭子主演の映画「下妻物語」の原作者といった方が分かりやすいだろうか。ただ、この作家は独特の文体から立ち上る華美さと、それ以上に露悪的とも映る痛みが特徴で、それは本でなければ味わえない世界だと思う。それは「下妻物語」にもあるし「ミシン」や「ハピネス」には強烈にある。また、「カフェ小品集」のような静かな物語も味わいがある。ただ、ロリータという世界観のせいか、いまいち色物に分類されがちな点は残念だと思う。

 もう一人、衝撃を受けた作家は桜庭一樹だ。「砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない」の毒々しさと、「GOSICK」のヒロイン像の厚さにライトノベル作家の枠から出ていくだろうと思って友人と話していたら、その年に直木賞を受賞してむしろ自分に驚いた経験がある。

 また、「はたらく魔王さま!」(和ヶ原聡司)シリーズは楽しく、また案外とライトノベルファンタジーなのに案外と社会派群像劇で面白い。むしろ私小説などより現実を描こうとしている感じがして、これは本当にファンタジー小説に分類すべきなのかと思うことがある。


 こうして書いてみると、ほとほとまとまりのない読書経験だと思う。それだからこそ、私は自分の読みたい作品を書くのだと思う。

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― 新着の感想 ―
[一言] 筒井康隆読んだことないのか……うらやましい。 すべて新作として読めるってことだよね。いいなぁ……。
2016/03/21 14:57 退会済み
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