09
学生食堂は寮生をすべて入れるだけあって、かなり広く作られている。
食券制の食堂のようで、岬は今まで使ったことがなかったが、使い方は和佐が教えてくれた。余計なことをされる前に面倒なことは済ませてしまおうという算段らしい。
岬は日替わり定食、和佐はドリアとスープをそれぞれ注文し、日当たりのいい席に腰を下ろした。
「そんな怖い顔をされては、せっかく食事が台無しですよ」
岬が思わずたしなめてしまうほど、和佐の顔は不機嫌だった。食器を握る手も明らかに力がこもりすぎている。
「表情ぐらいで味が変わるものじゃないでしょ。いちいち話しかけないで」
きつく言い返しながら、和佐も淡々とドリアを口に運んでいる。
席に着いてから今まで、彼女は一言も会話を交わしていない。同席を歓迎していないのは改めて書くまでもないことだ。……編入生の少女に逆らうことができないことも。
だが、編入生の少女はお構いなしに話しかけてくる。
「一条さんの家のことについて聞いてもいいですか?」
「食事中よ」
「食事中でなくても口を利いてくれないじゃないですか」
「家のことを聞いてどうするつもりだと言うの」
岬は不思議そうに首を傾げてみせた。
「どうするつもりって、ルームメイトのことを知ることがそんなにおかしいですか?」
「おかしいかどうかはともかく、あなたに話してやる義理はないわね」
「じゃあ、あたしが勝手に喋らせてもらいますね」
「勝手にすればいいわ。どうせやめろと言っても聞かないし」
和佐は諦めたようにため息を吐いて、黙々と食事に取りかかった。
「一条さんは見た目からしてお嬢様ですからね。思いっきり主観で言わせていただきますが、きっといい家に住んでるのでしょうね。ちょっと、うらやましいな。あたしはご覧の通り、普通の家育ちの普通の女の子ですから」
さんざん変態的な行為をしておきながら普通の女の子とはよく言えたものだ。
白々しいにもほどがあると和佐はよほど言いたかったが、談議に持ち込むと面倒臭そうなので無反応を貫いた。
反応を示したのは、次の編入生の言葉を聞いたときである。
「あたしは両親と妹の四人家族なんです。一条さんは兄弟姉妹はいらっしゃいますか?」
カッ。
和佐のフォークが食器を突く。そのまま手が止まってしまう。
あまりの反応に、岬は和佐の顔を覗き込んでしまった。
「どうしたんです、一条さん?」
「別に……なんともないわ」
「なんともない顔には見えませんが」
和佐は何とも複雑な表情で沈黙。その顔に悲しみはなく、むしろうんざりとしているようにも見えたが、岬は一応念を入れて尋ねた。
「あの、もしかして聞いちゃいけないこと聞いちゃいました……?」
「そう思うなら、さっさと黙りなさいよ」
突っぱねるように言われると、岬としても下手に出るのが馬鹿らしく思ってしまう。
岬が思わずため息を吐きかけた、その時である。
「……ふふ、相席、よろしいかしらね」
「あっ、寮母さん! おはようございます!」
岬はすぐさま、生徒の模範のような元気な挨拶をした。
三号棟の寮母は穏やかな笑みで岬を見て、さらに白髪の少女に視線を移した。
「どうやら二人ともうまくやれてるようね。一条さんもルームメイトを気に入ってくれたみたいでよかったわ」
ぬけぬけと言ってのける。
寮母のしたり顔に、和佐は凄絶にうなってみせた。
「……とんでもないのをルームメイトにしてくれたわね」
「あら、なんのこと?」
「私はこの娘に陵辱されかけたのよ!」
寮母の目が丸くなる。発言内容より、声を荒げる和佐のほうに驚いているようだ。
よほど珍しいことらしい。すでに食事中の生徒も食器を止めてこちらを見ている。
さすがに訂正の必要性を岬は感じて口にした。
「陵辱はひどいなあ。最初に仕掛けたのは一条さんのほうじゃないですか」
「私はキスしかしてないわよ!」
声高に叫んでから、和佐はキッと寮母を睨みつけた。
「この編入生を私の目の届かないところに追い払って!」
なんだかどこかで聞いたような台詞である。
寮母も同じことを思ったのだろう。真顔で指摘した。
「あなた、東野さんと同じようなことを言うのね」
「どうだっていいわそんなの。とにかく、こんなのと一緒に生活なんて冗談じゃないわ。いきなり抱きつかれて、む、胸を押し付けられたり、耳たぶを噛まれたり、うっ、裏側を舐められたり……。こんなのただのイジメじゃないの」
「具体的に言われると逆に期待してるように聞こえちゃうんですが」
「上野さん。余計なことを言わない」
寮母の忠言は賢者の言葉であった。和佐は編入生の言葉に頬を染めて全身を振るわせている。それは怒りかそれ以外のものか。
初老の寮母は呆れたような目つきで恥じらう少女を見た。
「あなたは三年前にそのイジメでルームメイトを追い出したんでしょう。今になって、そのしっぺ返しを受けただけ。自業自得じゃないの」
「だったら、こいつにもしっぺ返しを食らわしなさいよ……」
恨みがちに灰色の眼をルームメイトに向ける。黒い三つ編みの少女がその視線を受けてわずかに興奮したのは内緒だ。
「さあさ、一条さん。悪いけど、一度席を外してもらえるかしら。上野さんと二人きりでお話したいのよ」
「言われなくてもそうしてやるわよ……」
低い声で吐き捨てた和佐は少女らしい健啖を発揮し、すでに朝食を食べ終えていた。
トレイを抱えて逃げるように去っていくルームメイトを、岬は名残惜しそうに見送ったが、寮母の言いつけとあらば逆らうことはできない。
寮母は焼き魚定食を乗せたトレイを置いて、先ほど和佐のいた席に座る。
「あなたが昨夜、一条さんに何をしたかは問わないけど、あまり彼女を束縛させすぎるのもよくないわ。たまには自由な時間を与える。それが彼女と長く付き合うためのコツよ」
「心がけます」
「それで、どうだったかしら。初めてのルームメイトの感想は?」
自分の食事を再開した岬は、またしても楽しげな笑みを浮かべた。
「えへへ、もっと早く一条さんに出会えればよかったです」
「そうね。中等科の時に会えていれば、あの事件も起こらなかったかも」
しんみりとした寮母の言葉に岬は反射的に押し黙ってしまった。
三年前の、嫌がらせのキス事件。
自分がもっと早く黎女の存在に気づければ、それは未然に防げたのだろうか。
編入生の思考を読んだのか、寮母はなだめるように言い添えた。
「上野さんが責任を感じることはないわよ。むしろ、今からでも一条さんと仲良くなろうとしてくれて感謝してる。あんな表情豊かな一条さんは初めて見たわ」
「そうなのですか」
「ええ。さすが黎明さまが気に入っただけのことはあるわ」
「黎明さま?」
初めて聞く名前に岬はキョトンとなる。
寮母さんが興味深い発言を投げかけてきた。
「一条さんのお姉さんの名前よ」
「お姉さんがいたんですか!?」
思わず腰を浮かせかけた岬である。
「……どのような方なんでしょうか?」
「黎明さまは聖黎女学園のOGでね。一条さんのことが大好きなの」
「へえ、あたしよりもですが?」
寮母は驚きの顔になったが、すぐさま面白そうに笑った。
「会ったばかりの上野さんが黎明さまと張り合うのは難しいわ。彼女は妹が生まれたときからずっと愛し続けたのだから」
「それじゃあ、勝てるわけないかあ」
岬は肩をすくめ、ふとある疑問が頭によぎって尋ねた。
「それにしてもお姉さん、寮母さんにさま付けされるほど偉いんですか?」
「いいえ、普通の一生徒よ。私はただ生徒がそう呼んでるのに便乗してるだけ。でも……そうね。さま付けで呼ばれるだけの人物ではあると思うわ。何せ生徒たちによって選ばれた最後の聖花さまですからね」
「聖花さま?」
またも新しい単語である。岬が問う目になると、寮母は答えてくれた。
「聖カトレア祭……通称、聖花祭と言うのだけどね。高等科二年の中から『お姉さま』を選出する祭儀が三年前まで行われていたの」
「ああ。あたしも聞いたことがあります。似たようなもの」
岬は相づちを打った。もっとも、聞いたことがあると言っても創作世界に限った話であり、実際の出来事として聞いたのは初めてだ。
「でも、なんで二年生なんです? 三年生のほうがよりお姉さまっぽいと思いますけど」
「三年生は受験で忙しいからね。エスカレータで附属の短大に行く子もいるけど、全員がそうとは限らないし」
「なるほど」
寮母は懐かしむように言う。
「黎明さまは学園始まって以来の神童と言われてね。頭も良くて、スポーツもできて、妹さんと違って性格も良かったから、多くの生徒に慕われてたの。何より、圧倒的なカリスマ性を持っていた。だから、聖花祭をやる前から彼女が頂点に立つことはわかりきっていたのよ。いちおう形だけはおこなわれたけどね」
寮母さんが感心したように言うのを見ると、そうとうな大物なのだろう。
岬は食事をしながらため息を吐いた。
「そんな人に気に入られると思うと、すごいプレッシャーだなあ」
「そんなに構える必要はないわ。黎明さまは気さくな方でもあるから。上野さんもきっと気に入ってくれると思うわよ」
「でも、会えますかね? 黎明さまはすでに卒業されてると聞きますけど」
この問いに寮母は、声を立てて笑って答えた。
「その心配は無用だとはっきり断言できるわ。彼女は卒業してからも頻繁にここへ訪れるからね。あなたもすぐにそのお姉さまと会えるわよ」