08
聖黎女学園の朝は早い。
たとえそれが春休みの期間でもだ。すでに寮へと移り住んでいた運動部員は日が昇りたての時間から走り込みをしており、高等科の三年生は受験勉強のために図書館へ向かう。
また、そこまで具体的な目的がなくとも、寝間着姿のままで廊下を出歩く寮生は多かった。同じように廊下に出る級友を待ったり、早めの朝食を摂りに学生食堂に行くのである。
七時過ぎ、一階の廊下にはすでに十数名ほどの女子生徒がいたが、新たに現れた人物を見た瞬間、その全員が凍りついた。
申し合わせたように談笑が鳴り止み、廊下に静けさが満ちる。
聞こえるのは二人の少女の足音だけだ。
二人とも寝間着姿ではなく、しっかりと私服に着替えていた。一人は艶やかな長い黒髪を三つ編みにし、丸襟の白いブラウスの上にベージュのセーターを重ね、デニム地のタイトなミニスカートを穿いている。
そして、もう一人の少女はと言うと。
彼女の見映えは千金に値した。美しい白髪を持つ少女もまた、長袖の白いブラウスを身につけていたが、黒髪の少女の木綿製と違い、明らかに絹の光沢がある。下に穿いているのは濃紫色のハイウエストのロングスカートであり、そこから黒のタイツで包まれた脚と黒光りするシューズを出している。優美に歩く姿はまさにお嬢様学園のお嬢様にふさわしかった。
果たしてこれを私服と呼べるのか、隣にいる三つ編みの少女……上野岬は大いに疑問に思っていたが、白髪の少女である一条和佐の表情からは窮屈なようすを感じさせない。
この手の服装を着慣れているのは明らかであるが、窮屈さの代わりに灰色の瞳には恐ろしいまで非好意的な光が浮かび、美しい顔も純粋な敵意にあふれている。
「えへへ、一緒に並んで歩くとまるでデートしてるみたいですね♪」
白髪の少女とは裏腹に、黒い三つ編みの編入生はとろけるような笑みを浮かべている。
窓の外を見て、岬はさらに感嘆のため息を漏らした。
「昨日はわかりませんでしたけど、窓から見る敷地は格別ですね」
岬の言葉は決して社交辞令ではない。
七つの寮があるこの敷地は広く、きちんと整備されていた。舗装された道があり、芝生には青々とした木が植えられている。フェンスで囲まれた花壇には色とりどりの季節の花が咲き誇っている。
自然公園の中という印象がぴったりだ。これほどの空間を少女たちだけで使えるというのは贅沢の極みとも思っていた。
「あの芝生の上に敷物を敷いて皆でお弁当を食べれば、さぞ楽しいでしょうね。ねえ、一条さん?」
その一条さんはルームメイトに顔も向けようともせず、顔に貼り付けた不快感をますます濃くしたようだった。
◇ ◆ ◇
昨夜の情事未遂からようやく解放された和佐は、シャワーを浴びた後、ベッドの中でしばらく眠れずにいた。ルームメイトの再襲撃を警戒したためである。
だが結局、寝ているうちに貞操を奪われるようなことはなく、目を覚ましたときは表向きだけは平和な朝であった。できることなら昨夜の出来事をすべてタチの悪い夢と思いたかったが、ルームメイトの底抜けに明るすぎる声でその期待は幻に終わった。
ルームメイトをはね除けて洗面所まで逃げ込めたのはいいが、正直なところ、着替えている間も、どこかから彼女が見ているのではないか思って気が気でなかった。
着替え終わって扉を開けると、制服姿の編入生が待ち構えていた。
私服を見るなり、岬は黒い目をきらきらと輝かせてはしゃいだ。
「いやあ、相変わらず一条さんは素晴らしいですねえ!」
頬を染めて、両手まで合わせている。
「あたしが同じ格好をしたところで決して一条さんのようにはなれないでしょう。服に着られるのはわかりきってますから。本当に、素晴らしいと思います」
「社交辞令として受けておくわ」
反射的に答えてから、和佐はなんともばつの悪そうな顔になる。
どうしてこんなやつと会話をしてるの……と自分に言い聞かせているようだった。
ため息を吐きながら早足で玄関へ向かおうとする。
「学食へ行くんですか? あたしもお供します」
無視されかけたルームメイトが早足でついてくる。
当然のことながら、和佐は冷ややかに応じた。
「お断りよ。いちいちついてこないで」
「ほかに頼れる人いないんですよ。お願いですから案内してください~」
「嫌よ。案内なら他の生徒にでも頼めばいいわ」
「目の前に案内してくれる人がいるのに、わざわざ他人を頼る必要ないですよ」
「社交辞令で聞くけど……誰のことを言ってるつもり?」
「えへへ。もちろん一条さんのことに決まってます!」
「だから私はしないって……ひゃぶッ!?」
うなじを触れられて、和佐はまたしても嬌声を上げる。
触ったほうの岬は悪びれたようすもなく言い放った。
「昨日言ったこともう忘れました? 口答えするたびに恥ずかしい目に遭わせるって」
「それはルームメイトと認めなければ、の話でしょう!」
「一緒に寝ろと言われるよりはマシでしょう? お願いしますよ」
和佐は殺気立った目でルームメイトを睨んだが、やがて観念したようなため息を吐く。
昨夜の一件でだいぶ諦めのよさを学んだようである。
「わかったわよ。だけどその前に私服に着替えて。制服のまま外をうろつかれたら目立ってしょうがないわ」
「一条さんも十分目立ってると思うけどなあ」
岬は苦笑しながらも、素直にルームメイトに従った。私服に着替えると、嬉々として和佐とともに部屋を出たのである。