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ライラック色の少女たち  作者: 斉藤なめたけ
第1章 不機嫌な少女の接吻
7/53

07

 和佐は編入生の質問に答えるどころではない。いきなり抱きつかれ耳元に囁かれて、クールな態度など、とっくに夜空の彼方へと吹っ飛んでいる。


 ネグリジェの布地を押し上げる柔らかいものが、柔らかいもの同士で押し合っている。


 耳元に顔を寄せた岬が哀愁のある笑い声をこぼす。


「一条さん、大きいですねー。あたしも自信がありましたけど、ちょっと敗北感……」

「あ、あ、あなた……」


 和佐は口をぱくぱくさせている。文句を言おうにも言葉が出てこない。


「それで一条さん。質問の答えをまだうかがってないのですが」

「しっ、知らないわよ……!」


 聞き分けのないルームメイトの耳たぶを岬は喜んで甘噛みした。


「ヒゃう……ッ!」


 和佐の身体が飛び跳ねる。欲情をそそるような悲鳴を漏らし、頬をバラ色に染めている。

 岬の吐息が耳に当たる。


「……次は耳だけじゃ済みませんよ?」

「や、やめて……」


 今にも泣き出しそうな声で和佐は懇願する。先ほどまで無感情でむさぼるようにキスをした少女にはとても見えない。ルームメイトにその顔が見られなかったのがせめてもの幸いである。

 そのルームメイトは白髪少女の反応を不思議がり、思わず尋ねてしまった。


「感じてるんですか? 一条さんからキスしてきたときは何ともなさそうな顔をしてたのに」


 和佐は弱々しく首を振った。そんなことはない、と言いたいのだろうか。あの時の無感情が、不感ではなく快感を抑えてのものなら、和佐のポーカーフェイスぶりは大したものである。


 もっとも、この時は編入生が反撃するなど想像だにしなかっただろうが……。


「まあ、いいです。この質問は後でいつでも聞けますから。それより、今聞くべき質問を思い出しました」

「ま、まだあるの……?」

「これが最後です。もしキスであたしを追い出せなかったら、一条さんどうするつもりだったんです?」


 和佐は抱きしめられたまま、ネグリジェの裾をきつく握りしめた。

 返答がない、ということはその可能性を考えていないことだろう。岬はそう解釈した。


「打つ手なし、とわかったら素直にあたしをルームメイトと認めてくれます?」

「…………」

「嫌なのはわかりますが、せめて何か反応してくださいよ」


 和佐は反応した。しかも、かなり扇情的な反応である。

 身体を痙攣させ、桜色の唇から甘い声が立て続けに上がる。

 もっとも、その原因はふざけた編入生がルームメイトの耳の裏に舌を這わせたからであるが。


 和佐のほてった顔に怒りの感情が広がった。


「あなた、もういい加減に……!」

「キスで追い出せなかったらそうするつもりだったんでしょう? 一条さん、やらしいなあ」

「ち、違う……!」

「え!? じゃあ、もっと進展させるつもりですか? 困ったなあ。そんなことされたら今すぐにも出ていきそうです」


 言葉とは裏腹に、岬はへらへらと笑っている。

 和佐はさっきから何もかもが気に入らなかった。この状況も、見ず知らずの編入生に主導権を握らされていることもだ。


 その編入生がさらに恐怖の宣告を投げかける。


「……あたしを追い出す気なら、今言ったことを本気でやるからね?」


 和佐は危うく悲鳴を上げそうになった。背中に冷や汗が流れる。あまりの汗の量にネグリジェの背部が透けるかと思われたほどだ。


 和佐にとって、これは究極の二択だった。彼女とのルームメイトなど冗談ではないが、だからといって彼女に辱めを受けるのも耐えられない。


 長考の末、和佐は我が身の安全を優先した。


「わかった、わかったから。あなたをルームメイトとして認めるから……」

「ほんとに?」

「本当よ! だからもう、いい加減離れてッ!!」


 編入生はようやく身体を離してくれた。胸に当たった感触が消えたが、和佐は息づくことができない。あまりのことが続いて身体が動かなかったのだ。


 諸悪の根源である少女が、天使の皮を被った悪魔の笑みを向けてくる。


「ちょっと名残惜しい気がしますが、すごく気持ちよかったです。ルームメイトを認めたこと、忘れないでくださいよ」


 忘れたら、忘れないように教え込ませるだけである。

 内心ほくそ笑んでいた岬だが、次の和佐の行動にはさすがにうろたえた。


 和佐はうつむいたまま全身を震わせ、辛うじて聞き取れるほどの音量ですすり泣いていたのであった。


「い、一条さん……」

「もういや、こんなルームメイトなんて……」

「うっ」


 さすがに岬もしまったと思った。ルームメイトとして認めてもらおうと、ちょっといたずら心を起こしただけなのだが、まさかクールな彼女がここまで打たれ弱いとは思わなかったのだ。

 怒らせないように、慎重に顔を覗き込む。


「あの、一条さん、すみませんでした。泣かせるつもりはなかったのですが」

「…………」

「でも、一条さんだって三年前のルームメイトをこんな風にいじめて追い出したじゃないですか。一条さんの今の気持ちは三年前のルームメイトのものと同じなんですよ」

「……そんなことまで、してないわ」

「キスで出ていかなかったら、きっとしたでしょう」


 岬は決めつけた。白髪の少女はおそらく有効だとわかればどんな手段を使ってでもルームメイトを追い出そうとしたに違いなかった。


 和佐はすすり泣きをやめて忌々しげに立ち上がる。表情にだいぶ生気がない。

 岬は気遣わしげにネグリジェの少女に尋ねた。


「一条さん、先にシャワー浴びちゃいます? その間にあたしは自分の荷物を確認しちゃいますので」


 さすがにこの状況で「一緒に入りますか?」とは言いにくい。

 だが、和佐はその呼びかけを意図的に無視するので、つい強く言ってしまった。


「一条さん!」

「入るわよッ!」


 やはり涙声である。着替えを取り出して、さっさと洗面所へ駆け込んでしまう(浴室は洗面所に続いたところにあるのだ)。足音や扉を閉める音に、怒りの感情が表れていた。


 ルームメイトがいなくなると、岬は大きくため息を吐いた。ルームメイトに呆れたわけではない。今の今まで、長旅の疲れをずっと抑えていたのであった。

 あくびを噛み殺しながら、岬は部屋の隅に置かれた段ボール箱を覗き込む。


 ルームメイトとの初めての出会いはあまり理想的とは言えなかったが、岬は正直、白髪の少女に好感を抱いていた。外見はもちろんであるが、反抗的としかいいようのない和佐の性格が、そこまでひどいもののように見えなかったのだ。『本当はすごく優しい子』という寮母の言葉が事実なら、周りに対して単に素直になれないだけだろう。


 岬は顔を上げ、ルームメイトが姿を消した短い廊下に視線を向けて言った。


「これから三年間、よろしくお願いしますね。一条さん」


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