06
入寮期間の初日、寮母が217号室にに訪れたことを和佐は思い出している。
新しいルームメイトが訪れる。そのことを伝えに来たようだが、それは部屋割りを見ればわかることだ。それだけでなくルームメイトを追い出さないようにと念を押しに来たらしい。
「新しいルームメイトは、遠方からやって来る編入生の女の子よ。この辺りのことも、あなたのことも何も知らないから、どうか仲良くしてやってちょうだいね」
「可哀想なことをしたものね」
静かに和佐は答えた。本心だった。
何も知らない編入生が自分のもとへ来てどのような目に遭わされるかを思うと、当事者ながら同情を禁じ得なかった。
雪のような白い髪を掻き上げながら、相手を目上とも思ってないようすで続けた。
「三年前のことを忘れたわけじゃないでしょうね。何も知らない編入生をあてがったところで、三年前の二の舞になるだけだわ」
「あなたが問題を起こさなければ、そんなことにはならないわよ」
寮母は穏やかながらも真摯な口調で言い、知性にあふれた灰色の瞳を見つめた。
「ねえ、一条さん。あなたも高校生になるのだから、いつまでもルームメイトに突っぱねるような態度をとっては駄目よ。今はよくても、社会に出てからは通用しないんだから」
「社交辞令として受けておくわ」
投げやりな態度で和佐は応じた。苛立ちよりも、よくもまあ何度も何度もと呆れていたのである。
「用はそれだけ? それならさっさと出ていきなさいな。時間の無駄よ」
「……そうね。だったらいいことを教えてあげるわ」
寮母がいきなり意味ありげな笑みを浮かべるので、和佐は警戒した。
そして次の寮母の言葉に、和佐は表情を変えたのだった。
「新しいルームメイトの子、お姉さんの推薦なのよ」
「なっ」
和佐の反応に、寮母は「食いついたわね」と言わんばかりの顔になる。
「まあ、推薦というほど大袈裟なものじゃないけどね。彼女に編入生の顔写真を見せたら、一目で気に入って、この子を妹のルームメイトにしてと言って聞かなくて」
「まさか、それだけでルームメイトを寄越したというの?」
ほとほと呆れ果てた和佐である。
「あいつの言葉を真に受けて? まるでインチキ占い師のたわごとじゃない」
「あなたのお姉さんの勘は良く当たるからね。彼女がそう言う以上、何かいいことが起こるような気がするのよね~」
「そもそも、学園の情報をよくべちゃくちゃと話せたものね。かつては寮生とは言え、今じゃ立派な部外者じゃない。この学園の機密事情は大丈夫なのかしら……」
「ふふふ、お姉さんはぽわぽわしてるけどお口は堅い子よ。私が説明するまでもなく、あなたならよく知ってるじゃないの」
「知ってるからこそ心配なのよ」
苦々しく言うが、和佐は内心警戒していた。
寮母の言うとおり、姉の勘はよく当たる。
よく当たるどころか、今まで外したところを見たことがないほどだ。
もし本当に姉が編入生を気に入ったというのなら、まともな少女と思わないほうがよい。
退室の際、寮母は言うのであった。
「お姉さんのお墨付きの編入生、私もとても楽しみだわ」
和佐は難しい顔のまま、しばらく身動きがとれずにいた。
何とも嫌な予感がする。姉の言葉をカッサンドラ……ギリシャ神話の凶事の女予言者のように受け取ったのである。
◇ ◆ ◇
……そして、姉の予言は入寮期間の三日目の夜にして見事に成就され、凶事を体現したかのような三つ編みの編入生は、小首を傾げながら無邪気を装った笑みを浮かべていたのであった。
「椅子、座らせてもらいますね」
わざわざ言う必要もないだろうが、岬はいちおう念を押し、もう片方の椅子を引き出した。
そして向かい合うように座ると、岬は表情を引き締めて身を乗り出していた。
「一条さん、いくつか質問させてください」
「…………」
和佐が無視を決め込むので、岬は勝手に質問をすることにした。
「ルームメイトを追い出すのはいいんですが……いや、ほんとはよくはないですけど……その手段がどうしてキスだったんです? 普通の方法じゃ駄目だったんですか?」
「駄目だったのよ」
意外にも、和佐は反応してくれた。
「確かに、追い出す手段なら他にもいくらでもあるわね。暴力を振るうとか、金品を盗むとか。けど、私はそんな手段はとりたくなかったのよ」
「その点は一条さんの意思を尊重します。それでルームメイトを追い出したと知れば、さすがのあたしも同棲をためらっていたでしょうし」
意味深に沈黙する和佐に、岬は慌てて言い直した。
「あ、だからといってあたしを暴力などで追い出すのはやめてくださいよ」
「できるものならそうしたかったわよ。でも、私にだって、できないことがあるのよ」
和佐は悔しげに言うが、岬は思わずそんな彼女の頭を撫でたい衝動に駆られ、そうしなかった代わりに暖かい笑みを浮かべた。
「それを聞いてほっとしました。ルームメイトを追い出すという発想自体はどうかと思いますが、一条さんはもともと優しい人なんですよ。だからこそ、寮母さんも一条さんが更正してくれると信じていられるんです」
上から目線の言葉に聞こえた和佐はきっとなる。
「編入生のあなたに何がわかるというのよ」
「そりゃわかりますよ。一条さん、考えてることが顔に出てますから」
「いい加減なことばかり言わないで」
和佐が美しい顔をしかめる。本格的にへそを曲げて、口を利いてくれなくなりそうだったので、岬は苦笑して話題を元に戻した。
「でも、なんで一条さんがルームメイトにキスしたのかわからないんですよね~。もしかしたら、本当はキスしたかったのでは?」
「ふざけないで。女子同士で唇を重ねるなど正気を疑うわ」
「あなたがそれを言います!?」
「私は愛情から口づけを迫ったわけじゃないから、問題ないの」
「何言ってるんですか。そっちのほうが問題ですよ。問題」
岬が呆れ果てると、灰色の瞳の少女がため息交じりに言った。
「はあ……どうでもいいから早く出ていって。私は一人でいたいのよ」
「ご冗談でしょう?」
岬は面白そうに黒い目を丸くした。
「寮母さんにも一条さんのことを強く頼まれてますし、出ていくなんてするわけないじゃないですか。えへへ、悪いようにはしませんよ~」
「今の時点で気分は最悪なんだけど……。あなたは、私と付き合ううえでのリスクを理解してないわ」
「付き合うって聞くとカップルみたいですね。それで、リスクって何です?」
「私が周囲から嫌われてるのは聞いたでしょう。そんなのと一緒にいたら生徒など誰も寄りつかなくなるわ。せっかく黎女に来たのだから、わざわざ生徒に嫌われることもないでしょうよ」
「なるほど。それは考えませんでした。でも、何とかなるでしょう。クラスメイトなんて皆あたしが手なずけてやりますから」
清純な笑みを浮かべながらの発言である。
男児生徒なら表情と心をとろけさせたのかもしれないが、女子しかいない聖黎女学園では、さて、どうなることか。
和佐の反応は女子の中ではまだマシだったのかもしれない。編入生の発言に呆れたようにため息を吐くだけだったが、内心、彼女のしたたかさを意外に思っていた。
そのしたたかな少女はいきなり椅子から立ち上がった。
「それよりも、まだ質問があります。構いませんね?」
ルームメイトの返答を待たずに、岬は動き出した。
だが、その動きは白髪の少女を大いに狼狽させるものだった。
「ひっ……!?」
和佐は初めて少女らしい恥じらいの表情を浮かべた。同い年の少女にこれだけの恥辱を受けたのは初めてだった。
同性のキスをもろともしなかった編入生は、和佐の首に抱きつき、耳元に囁いた。
「一条さん。キスは達者なようですが、どこで学んだんです?」