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ライラック色の少女たち  作者: 斉藤なめたけ
第1章 不機嫌な少女の接吻
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04

 第三者の声がかかると同時に、まばゆい光線が少女二人の視界を覆った。

 二人は反射的に腕で顔を覆い、ようやくその光に慣れたころに岬は薄目を開けて給湯室の入り口に現れた人物を見た。

 その人物は、このあたりに知り合いが一人もいない岬でも知っていた。先ほど会って話をしたばかりだ。

 三号棟の寮母さんである。


 初老の女性である寮母は夜中にやってきた岬のことを嫌な顔一つせずに受け入れてくれたが、今はその顔が冷ややかなものになっている。


 持っていた懐中電灯の光を消すと、呆れたように二人の寮生を見やった。


「こんなところで何をしてるの? 消灯時間はとっくに過ぎてるわよ。東野さんはともかく……」

「私はともかくって、なんだよ」


 ふて腐れたように言う暁音を無視して、寮母は編入生の少女に視線を移した。


「上野さん、あなたまで。寮生と話したい気持ちはわかるけど、それは別に今やる必要はないんじゃないかしら?」

「申し訳ありません」


 岬は素直に頭を下げた。本当は暁音と話すつもりはなかったのだが、それを口にしたところで寮母は納得しないだろう。

 それに、暁音を貶めるような気がして好かなかったのだ。


 だが、その暁音は無視された恨みもあってか、寮母に対して非常に乱暴な口調で叫んだ。


「今すぐ岬の部屋をよそへ移しやがれ!」


 岬は肝を冷やした。とてもではないが目上の人に対する態度ではないと思ったのだ。暁音は一条和佐のこと散々問題児扱いしてきたが、岬から見れば、暁音のほうこそはるかに問題児のように見えた。

 だが、孫のような少女の怒号に寮母は不思議そうに首を傾げるだけ。


「不思議ね。どうしてあなたの口から上野さんの話が出てくるの?」

「岬がかわいそうだからに決まってるだろ! 一条だって一人を望んでるんだからほっときゃあいいじゃねえか!」

「私は、あなたになじられてる今の上野さんのほうがよっぽど可哀想だと思うけど」


 暁音は一転して泣きそうな顔になる。まさか、こんな形で自分の善意を否定されるとは思わなかったのだろう。岬もさすがに栗色の髪と猫目の少女が気の毒になった。

 寮母は厳しい口調ながらも丁寧に暁音にさとした。


「一条さんをこれ以上一人にさせるわけにはいかないの。今はまだいいわ。先生がたや一条さんのご家族がなんとかしてくれるから。でも、社会に出ればそれも通用しなくなる。そうならないためにも、在学中に一条さんには社交性というものを学んでもらう必要があるの。その手段の一つとしてルームメイトの存在は必要不可欠なのよ」

「そんなのそっちの都合だろうが!」


 暁音はまだ必死に食い下がろうとしたが、寮母はひとにらみでその彼女を黙らせた。威圧的であると同時に、高齢による深みを感じさせる瞳だった。

 残念ながら、血気盛んなだけの少女でかなうはずがない。


「東野さん。そんなに気に入らないなら、いっそあなたが上野さんの代わりに一条さんのルームメイトになったらいかが? あなたは一条さんとは仲が悪かったからね。もしかしたらよりを戻せるかもしれないわ」


 やはり、暁音は一条和佐のことを嫌っていたらしい。薄々岬も予想できていた。


 暁音はぐっと言葉を詰まらせている。それだけは絶対に嫌らしい。顔にそう書いてある。

 唇をきつく引き結んで沈黙していると、寮母はさらに突き放すように言った。


「その程度の覚悟で一条さんを貶めようなんて呆れるわね。本気で上野さんを守るつもりだったら、せめて自分のルームメイトを捨てる覚悟でやったらどうかしら?」

「寮母さん、さすがに言い過ぎじゃあ……」


 耐えきれず、岬が真顔で取りなした。だが、ルームメイトのもとへ行くことを決めた編入生のフォローは、短髪の少女にとってなんの慰めにもならなかった。


 猫のような栗色の瞳に大粒の涙をため、物理的に穴が開きかねない勢いで二人を睨みつけると、憤然と給湯室を飛び出してしまったのである。


 その視線を受けて岬は表向きは平然としていたものの、心臓に氷の杭を打ち込まれたような気分だった。自分の決断に間違いはないとは思っていたものの、このような結末を決して望んでいたわけではなかった。


 その足音がだんだん遠くなり、やがて消えると、寮母は改めてため息を吐いた。

 給湯室を出て、暗がりの廊下を歩きながら少し緩めた表情で岬に声をかける。


「ごめんなさいね。まさか東野さんが待ち伏せてたとは思わなかったのよ。あの子、一条さんのことを嫌っててね」

「そんなことより、どうして一条さんについて一言も話してくれなかったんです?」


 岬の口調に非難が混じったのは仕方のないことである。ルームメイトにキスされることを知っていたはずなのに、彼女はあえて黙っていたのだ。

 暁音に対する寮母の冷たい態度もあって、岬の声にはだいぶトゲが含まれていたが、寮母はその点について素直に詫びてくれた。


「その件については悪かったと思ってるわ。正直に話したら、上野さん、ルームメイトに来てくれないかと思ったから」

「あたしは別に逃げたりはしませんけど、事情があるならできればちゃんと説明してほしかったです。もしキスに耐性のない子だったらどうするつもりだったったんです?」

「それを言われたら辛いわね。でも、上野さんはそういう子じゃないっていうのは何となくわかるから」


 暗闇の中で岬の頬がわずかにほてった。


「……わかりますかね?」

「ええ」


 年の功と言うべきなのだろう。寮母の前で変態ぶりをさらけ出したおぼえはないが、岬はこれ以上言及しようとはしなかった。この人に自分の性癖をさらけ出すのは気が引けるし、正直、それ以上に気になることがあったのだ。


「一条さんがルームメイトをキスして追い出したのは事実なんですか?」

「ルームメイトを追いだしたのは確かに事実よ。でも、それは三年も前のお話。今は追い出したことを反省して、あなたが来るのを心待ちにしているわ」


 岬はかなり懐疑的な顔になった。いつの間にか寮母に対する信用ポイントがかなり下落していたらしい。

 本当に反省しているのなら、なぜ暁音はいまだに彼女のことを憎んでいるのか。


 暁音にもした質問を岬は寮母にした。


「一条さんって、どんな人なんです?」

「そうねえ。簡単に言うと、弱みとか隙とか、そういうのを他人に見せるのをすごく嫌がる子かしらね」

「……なるほど」

「常に不機嫌というか、しゃちほこ張った態度をとってるけど、本当はすごく優しい子よ。……東野さんから、一条さんの髪のことは聞いた?」

「はい。真っ白と聞きましたが」

「あの子、自分の姿がコンプレックスになってて、自分が他の人と仲良くすることができない、許されないと考えてるのよ。三年前にやったことが尾を引いてるのもあるわ。でもね、東野さんは別として、他の生徒は三年前の事件など気にしてないのは事実なのよ。どちらも一歩踏み出す勇気がないから、ずっと膠着状態が続いているだけ」


 そして、寮母は引きしまった顔で編入生を見る。


「だから、あなたに一条さんと生徒たちとの橋渡しをお願いしたいの。と言っても、特別なことをする必要はないわ。あなたは見た目は内向的に見えるけど、口を開けば案外そうじゃないものね。あなたの思うように普通に接してくれればいいのだわ」

(へぇ、普通に接すればいいんだ?)


 と、岬は内心ほくそ笑んでいた。同性の少女にキスするのは端から見れば異常であるが、自分にとってはいたって普通のことなのだ。しかも、向こうからキスをしてくれるというのなら文句を言われる筋合いもないはずである。


 もっとも、岬の下心など寮母は気づいていないようすで、岬が申し訳ないと思えるほどの真摯な表情で訴えかけた。


「一条さんのルームメイトを頼めるのは、彼女に対して拒否反応をおぼえないあなただけなのよ。正直なところ、これを逃してしまうと一条さんはもうどうにもならないような気がするのよ。一条さんのことを隠してたのは申し訳なかったけど、とにかくお願い、この通りよ」

「わ、わかりました。あたしも一条さんのことは気になりますし」


 あまりに必死な態度に岬は狼狽しながら承諾を示した。


 正直、岬は自分がそこまで重要な役割を担うハメになるとは思わなかったが、焦ったところでどうしようもない。ルームメイトに興味があるのは事実だったので、とりあえずは寮母の真摯な態度に応えることにした。


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