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ライラック色の少女たち  作者: 斉藤なめたけ
第5章 半纏少女の怒り
31/53

07

 寮棟区へ向かう途中、白髪の美少女が尋ねた。


「それで、暁音とやらに会うための算段はちゃんとできてるんでしょうね」


 和佐の問いかけは、岬の思考の空虚をジャストに小突いていた。


「あ……」

「あ、じゃないでしょう。相手がどれくらい怒ってるかは知らないけど、彼女が素直に私たちを部屋へ通すとは思えないわ。そのへんの対策はちゃんと考えるかと聞いてるのよ」

「…………」

「……とんだ時間の無駄だわ。私は戻らせてもらうから」

「ま、待ってください! 今、思いつきましたから~!」


 振り返った編入生が必死な形相で騒音を撒き散らしてくるので、和佐はきびすを返すのを断念した。


「はぁ……社交辞令で聞いてやるわ。言ってごらんなさい」

「まず、寮母さんに頼んでマスターキーで扉を開けてもらうんです。お見舞いに行った際に大事なものを忘れてしまって、それを取りに行くという名目で」

「強権的にもほどがあるけど、まあいいわ。あなたは入室できるとして、私はどうすればいいの」

「一条さんはあたしと一緒に入ってもらいます。忘れ物はあたしが一条さんから借りた、あるいは、ちょろまかしたでもいいんですが、とにかく、そういう私物であると設定して、その私物が戻ってくるのを見届けるまで目を離すつもりはない。……というのはどうでしょうか?」


 灰色の空よりも重い沈黙。岬の心情は気難しい上司に新プロジェクトを提言して評価を待つ部下のそれに近かったが、そんな時間も長く続かなかった。


「却下よ」


 その一言が岬の気力をたちまち空気を抜けたようにしぼませた。


「そんなあ、協力してくれるって言ったじゃないですか~」

「どうして私がわざわざそんな三文芝居に乗ってやらなきゃならないの」

「ええ~。もしかして気に入りませんでした? じゃあ、こんなのはどうです? 春山さんにちょっとお願いして部屋を開けさせてもらうとか」

「よくもまあ次から次へと悪知恵が出てくるものね。そもそも春山というのは誰よ」

「ああ、言ってませんでしたっけ? 暁音のルームメイトですよ」

「そう。とにかく、彼女に強要して扉を開けさせて暁音とやらを怒らせるわけね。それじゃ私のルームメイトじゃなくても嫌われるわ」


 和佐としては珍しく本心で編入生を案じていたのだが、岬は自分の身の振り方を気にしている余裕はなさそうであった。歩いているうちに寮が見えてきて、和佐は面倒臭いと思いながらも少しなら会ってやろうと諦めることにした。



 結論から言ってしまえば、岬は侵入者にも恐喝者にもならなかった。

 する必要がなくなったからである。


「……なんか、すごい顔ぶれだね」


 自動ドアを開けた瞬間、岬は独り言のようにつぶやいていた。


 半纏姿の東野暁音は友人とおぼしき二人の女子に挟まれて立っていた。だが、彼女たちと会話の応酬を楽しんでいるわけではなく、揃いも揃ってばつの悪そうな表情でうつむいている。

 そして、そんな彼女たちと向き合うように立っていたのは、後ろ姿であるが、寮母と雪葉である。


 美点か欠点かの議論は分かれるが、岬はたとえ一見物々しい空気を放っている中でも、必要とあらば平然と首を突っ込むことができた。呼びかけに寮母が振り返る。説教の途中だったらしく、表情と声に怒りの余韻が残っていた。


「あら、上野さんに一条さん。ごめんなさい。いま立て込んでるのよ」

「見ればわかりますが、いったい何があったんです?」

「いえ、大したことじゃないわ。春山さんに頼まれて東野さんを捕獲してきたのよ」

(捕獲って、野生動物じゃないんだから……)


 心の中でツッコミを入れる岬に、寮母は丁寧に説明してくれた。


「退屈だからといって、部屋を抜け出して外で友達と話していたのよ。まったく、風邪なんだからちゃんと安静にしてなきゃ駄目というのに」


 和佐が突然、岬の袖を引っ張った。暁音はどれよ、と無言で尋ねているらしい。意外と子供っぽい仕草だなと思いながら、岬は視線だけで「半纏の少女です」と囁くと、和佐は腕を組みながら、


「……やっぱり知らない顔だわね」


 と冷静につぶやいた。


 今まで寮母の説教を受けて神妙なようすで立っていた暁音は、ここで和佐の灰色の視線とまともにぶつかった。寮母が和佐の名前を出したにも関わらず、白髪の少女の存在に今ごろ気づいたのである。


 化学反応よりも鮮やかな変化が暁音の顔に起きた。


 まっさきにそれに気づいたのは左右にいた暁音の友人たちだ。悲鳴を辛うじて呑み込んで一歩離れ、雪葉もわずかに後ずさった。217号室の二人が一番反応が遅かった。

 暁音の全身は震え、表情はもはや火口を縛りつけられた噴火寸前の火山といったありさまだ。岬が息を呑むと同時に、半纏の少女は口を開いた。


「一条! てめえ、ぶっ殺してやる!!」


 怒るというより発狂したかのような絶叫である。


 彼女は病床に就くべき身体にも関わらず、すごい勢いで駆け出した。このままうまくいけば一条和佐も無事に済まなかったに違いないが、結論から言えば、暁音はうまくいかなかった。白髪の少女にしか目にいかず、足元まで注意がいかなかったのだ。

 さりげなく差し出された寮母の足にまともに引っかかった暁音は、かわいそうなことに、顔面から地面に突っ込んだ。


「ぎゃぶっ!」


 暁音はカエルの潰れたような悲鳴を上げたが、すぐに跳ね起きた。口調とは裏腹の可愛らしい鼻からわずかに血が出ていたが、見た目も痛みも構っている余裕はないといったところか。

 もう一度、和佐に飛びかかろうとする。

 だが、これもうまくいかなかった。暁音の腕を寮母が掴み、さらに彼女を引き寄せて羽交い締めにしたのである。50代の女性とは思えないあざやかな手さばきである。


「まったく! 病人のくせに部屋から勝手に出るわ、一条さんに殴りかかろうとするわ、あなたはどこまで迷惑を広げれば気が済むの!」

「るせえッ!」


 寮母の一喝に暁音は罵声で応じた。寮母はショックでよろめいたが、それでも手の力は緩めなかったようだ。


 岬も思わず動いていた。いくら怒りで我を忘れていたとはいえ、このような目上の人に対する無礼を看過する気にはなれなかった。


「ちょっと何? 事情は知らないけど、寮母さんに対して『うるせえ』なんて何様のつもりなの? いい加減にしてよね」

「黙れ、岬!!」


 良識的な岬の言葉に、暁音はさらに罰当たりな態度で応じた。正対する岬に唯一自由であった足で攻撃しようとしたのである。

 寮母ほどスタイリッシュには決められなかったが、岬もなんとか風邪の勢いで飛んできた暁音の片足を押さえ込むことに成功した。細い丸太を抱える要領で暁音の脚を掴んだのだが、完全に威力を封じることはできず、脇の下辺りがびりびりと痺れている。


 両腕と片足の自由を奪われた暁音は、予防接種を嫌がる大型犬さながらに抵抗し、その間、徹底的に岬を罵倒した。


「岬! 一条に会わせたのはてめえの差し金か!?」

「そうだよ。一条さんが本当に暁音のことが知らないか確かめたくて。でもまさか、こんなに暁音が怒り狂うとは思わなかったよ」


 早く鼻血を拭いてやらないとと思いながら、しかつめらしく岬は応じた。


 和佐の暁音に対する反応が嘘とは思えない。ならば、やはり暁音が一方的に彼女を憎み嫌っているのだろうか。だとすれば、原因はいったい何か。


 ここで空気のように控えていたルームメイトがうんざりしたように口を挟んだ。


「彼女の反応はわかったでしょう。いい加減、帰らせてもらってもいいかしら」

「あ、はい。すいません。ありがとうございます」


 暁音に気を取られて反射的に答えていた。反応がわかった以上、どのみち彼女にやってもらうことはもうないだろう。

 再び寮の外へと消える和佐を見送ると、押さえ込んだ暁音を改めて見て詰問した。


「答えて。暁音はどうして一条さんのことをそこまで毛嫌いしてるの?」

「それはね。三年前の一条さんのルームメイトが春山さんだったからよ」


 答えたのは羽交い締めをしていた寮母だったが、岬はあやうく暁音の片足を取り落とすところだった。仮に今の状態で横っ面を蹴り飛ばされても、痛みに気づけたかどうか非常にあやしかった。

 呆然と(それでも暁音を脚はがっしり掴みながら)岬は雪葉の顔を見た。


「嫌がらせのキスで追い出されたルームメイトって、春山さんのことだったの!?」

「はい……」


 悄然と答える雪葉の手には真新しい木綿のハンカチが握られていた。暁音の鼻血を拭くつもりだったのだろうが、熾烈な争いの中に入り込む勇気がなかったらしく、今までおたおたとしていたようである。

 白髪のルームメイトがいなくなると、暁音の暴走もようやく落ち着いたようで、バレッタをつけた幼馴染みに向かって顔を突き出した。雪葉がやれやれと鼻血を拭くと、寮母が口を開いた。


「さあさ。上野さんも、もう脚を放しても大丈夫よ。あなたたちも今日のところはいいわ」


 あなたたち、というのは暁音の友人たちのことだ。もともと勝手に抜け出したのも話しかけてきたのも暁音ということだったので、彼女たちにしてみれば、寮母の説教といい、暁音の暴走といい、とんだ災難であっただろう。


 岬は少しためらってから暁音の脚から手を放した。放した瞬間、跳び蹴りを食らう自分の姿を幻視したが、それはただの幻で終わった。暁音は相変わらず憮然としていたが、もう攻撃する意図はないらしい。

 寮母も彼女の両腕を放して、思い出したように咳き込む彼女の背中を叩きながら寮室へと連れて行く。


 暁音の友人も立ち去ってしまうと、ロビーには岬と雪葉の二人だけが残った。


 岬は側にいる大人しい少女が三年前の和佐のルームメイトであるという事実を改めて噛みしめ、同時に頭の中であらゆる思考のチップをうごめかせていた。

 和佐が当時のルームメイトの幼馴染みなどに興味を示すとは思えない。ならば、暁音のことを知らずとも当然である。同時に、幼馴染みが嫌がらせのキスをされたと聞いたら、暁音が激怒するのは普通だろう。


 岬はため息を吐いた。同時に、ルームメイトを早めに解放したことを後悔した。当時のことをもう少し聞いておくべきだったと、あの時の自分の行動に対して腹を立てていると、もう一人の当事者がそっと声を寄越してきた。


「あの、岬さん……」

「あ、春山さん。暁音と一緒にいなくていいの?」


 笑顔に戻って岬は言ったが、雪葉はそれを無視して、必死の面持ちで尋ねてきた。


「岬さん、午後からわたしの家に来ていただけませんか? 三年前のことについて話を聞いていただきたいんです」

「あら。それは願ったり叶ったりだけど、あたしが春山さんの家に行っていいの?」

「ぜひお願いします。あの、他の人には聞かれたくなくて。幸い、今日は家に誰もいませんから……」

「あはは。なんか最後、意味深に聞こえるなあ」


 だが、彼女の家に行くことに悪い気がしない。

 快く受け入れ、岬はひとまず雪葉と別れた。

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