03
一人になった岬は寮棟区と呼ばれる箇所を改めて見て回った。そうしているうちに昼時になる。
寮長の広瀬マキ先輩から購買の存在を教えてもらった岬は、そこで菓子パンを購入して木の下に置いてあるベンチに腰を下ろした。
木漏れ日を受けながら箱谷山の圧倒的な自然を見て食事をする。
贅沢なひとときだ。
「素敵な眺めでしょう? ふふ、わたくしのお気に入りの場所でもありますのよ♪」
美しい女性の声だ、と思うと同時にベンチがきしむ。黎女の生徒たちよりは少し年上と感じられる艶やかな声であるが、どんな声であろうと、ここまで接近されて気づかないことが岬には信じられなかった。
「そうなんですか……って、ぶわあっ!?」
振り返った瞬間、岬は奇声を上げてしまった。手に持っていたパン袋を取り落としそうになる。
その女性はありとあらゆる点で圧倒的な存在感を放っていた。外見は二十歳前後、座っているため具体的な背丈はわからないが、明らかに岬より高い。
現代にもかかわらず、その女性は全身をすっぽり白いドレスで包み、ひらひらのレースやフリルで豪華に飾っていた。なんだかロリータファッションとウエディングドレスを足して二で割ったような印象である。
袖は手首を隠し、ふんわりと膨らんだスカートは足首を覆うほど長い。襟元もきっちり詰められているため、あらわになっているのはすべすべとした白い手と、同じくらい色の薄い美しいかんばせだけだ。
そのかんばせは派手なドレス以上に存在感を放っていた。顔立ちは年齢のわりに幼く、つくりはため息が出るほど素晴らしいが、岬がそれ以上に衝撃を受けたのは彼女の髪の色だった。
腰のところまでふんわりと波打たせた真っ白の髪。
これだけで彼女が何者か、岬は一瞬で理解できた。
あえぐように問いかける。
「もしかして……一条さんのお姉さまですか?」
ドレスの女性は目をぱちくりさせた。岬のルームメイトは灰色だったが、彼女の場合、柔らかな明るい金色をしている。
逆に質問を返す。
「そういうあなたは、もしかしてエミリーのルームメイトさん?」
「はい?」
変な声が出た。確かに自分のルームメイトは外国人めいた容姿をしているが、名前まで外国人めいてはないはずだ。
「あの~。あたしのルームメイトは一条和佐さんって言うんですが。あなたと同じ、真っ白い髪の持ち主の」
控えめに岬は訂正したが、聞いた瞬間、ドレスの女性は顔をぱあっと明るくさせた。
「やっぱりエミリーのルームメイトさんだ! じゃあ、あなたが編入生の上野岬ちゃんですのね! あはん、わたくし、あなたにずっとお会いしたかったですわ~!」
「うわッ! ちょっと……」
珍しく岬はうろたえた。白い髪とドレスの女性が嬉しそうに、いきなり横から三つ編みごと抱きついてきたからである。ゆったりとしたドレスでわからなかった、岬よりも遙かに大きな柔らかいものが押し付けられる。
女性がいたく満足したように抱擁を解くと、今度はその手を岬の両肩の上に置いた。
「写真でも見ましたけど、本物はそれよりずっと可愛らしいですのねえ。どお? エミリーとの同棲生活はうまくいってまして?」
「ちょ、ちょっと待ってください~」
顔を近づけて言い寄る女性に、岬は困惑して両手を広げた。
「あたしには何が何やらさっぱりなんですけど、エミリーって一条さんのあだ名か何かですか?」
「そうですわ。わたくしが付けましたの」
どうして一条さんがエミリーなんだろうと岬が考えていると、ここで女性はようやく自己紹介をしていないことに気づいたらしい。
編入生の肩から手を離し、姿勢を改めて言った。
「初めまして。一条和佐の姉の黎明と申します」
花が咲きこぼれんばかりの、それこそ輝くような笑顔だった。
岬もしどろもどろに挨拶を返した。広瀬先輩の話によれば、彼女は他の候補生と大差を付けて最後の聖花の座に就いたそうだが、彼女と直接会うと、それもうなずける。
「あの、一条さんのお姉さん」
「ふふふ、どうか黎明と呼んでくださいな。もちろん、お姉さまと呼んでくださっても、わたくしはいっこうに構いませんことよ?」
「ええと。じゃあ、黎明さま」
「はい」
「今日はどのようなおもむきで? 妹さんに用事でしょうか」
「そうですの。実は先日まで友達と一緒に海外まで卒業旅行へ行っておりまして、その時買ったお土産をエミリーに渡そうかと思いまして。ああ、もちろん、岬ちゃんの分もちゃんとあげますわよ」
「ありがとうございます」
と、岬が頭を下げようとしたとき、ある事実に気づいた。
「あれ? でも黎明さま今は手ぶらじゃないですか」
「ふふ、実はメイドさんに運ばせてますの」
「へえ、メイドさんですか」
思わず感嘆の声が漏れる。本職のメイドさんなど、現代日本においてはとうに絶滅したと思っていたが、この女性が言うと、不思議と違和感を感じない。
「でも、そのメイドさんもいらっしゃらないようですが……?」
いるのは木の陰からドレスの女性を熱く見つめる女子生徒たちだけだ。
岬がちらりと視線を送ると、慌てて顔を背けてくる。『私たちの黎明さまになれなれしくつるむなんて、あんた何様のつもりなの?』とぐらいは思っているかもしれないが、今はあえて考えないことにした。
一方、その黎明さまは後輩たちの視線に気づいているのかいないのかわからないようすで首を傾げている。
「そうですの。正門に着いた時は確かに一緒でしたけど、途中ではぐれちゃったみたい。まったくもう、主人を置いて迷子になるなんて、困ったメイドさんですわね」
あまり深刻そうでない表情で呟くと、黎明さまはまた、いつもの笑顔に戻った。
「ま、いいですわ。とにかく今は一にも二にもエミリーと会うことが重要ですわ」
「一条さん、部屋に戻ってますかね?」
「別にいなくてもいいですの。いなかったら、待ち伏せてやるだけですわ♪」
キャハ、と子供のようにはしゃぎながら黎明さまは自分の白い頬に両手を当てる。岬の気持ちも限りなく黎明さまのそれに近かった。少なくとも当てもなく後を追いかけるよりましである。
菓子パンの空袋をくずかごに放り込むと、ドレスの女性に続いて岬も立ち上がった。
ここの卒業生だけあって、黎明さまは非常に慣れたようすで敷地内を歩いている。通り過ぎる生徒たちにも気さくに挨拶をして、受けた生徒は一人も例外なく顔を赤らめ、しどろもどろに挨拶を返していく。さすがは聖花さまと言ったところだろうか。
慌ただしく立ち去る生徒を岬が見送っていると、その聖花さまが声をかけてきた。
「どうかしら。わたくしの妹は? とても可愛らしいでしょう」
普通の人が聞いたら『本気で聞いてるのか?』と顔をしかめるかもしれないが、岬は別に自分の感情を隠す気はなかった。満面の笑みで言う。
「いやはや、このような入学祝い、あたしには正直もったいなさ過ぎる気がしますね」
「ふふ、謙遜する必要はノーですわ。わたくし、着飾った女の子は大好きですけど、心はむしろフレッシュであってほしいですの」
(そのフレッシュ、妹さんにも適用してほしいなあ)
黎明さまは足を止めて、編入生の身体をじろじろ眺めて言った。
「ふふ、岬ちゃんならモモイエから出た最新の服も似合いそうですわ」
「もしかして、ロリータファッションの最新鋭の、あのモモイエですか?」
「そうですの! 岬ちゃん、通ですわねえ!」
黎明さまの金の瞳は、今やスパンコールをまぶしたかのようにキラキラ輝いている。
ものすごく流暢に語り出した。
「ジャンパースカート風のワンピを着せてー、白タイツに黒のパンプスを履かせてー、三つ編みをほどいた艶やかな黒髪の上にカチューシャを乗せてー……。あはん、想像したら色々着せたくなっちゃいましたわ❤ 岬ちゃんは今は私服ですけど、モモイエのような服はよく着ますの?」
「いやー、あたしも一度は着てみたいんですが、こういうのって総じて値段が高いんですよねー。お小遣いだけじゃ到底たどり着けません」
「ふっふっふ、そうですのそうですの~」
黎明さまの笑顔はまるで、満点のテストを後ろに隠す劣等生のよう。
「そんな岬ちゃんに朗報ですわ! わたくしの屋敷にはモモイエを始めとして色んな服がたくさんありますの! 岬ちゃんが屋敷に訪れた暁にはわたくしの秘蔵コレクションに是非とも袖を通していただきたいですわ~」
「えっ、いいんですか?」
「あはん、モチロンですわ! 本当はエミリーのために買ったのですけど、全然着てくれませんの。誰かが身につけてくれませんと、買ったお洋服が可哀想ですわ。岬ちゃんが着てくれるならわたくしとしても万々歳ですわ」
「あはは、ありがとうございます~」
二人は再び歩き出した。その間にも黎明さまは岬の黒髪を絶賛して頬ずりしたりとスキンシップを欠かさない。岬はすぐさま年の離れた聖花さまを気に入ったが、この人に同じようなことをされたときの妹の反応も容易に想像がついて、思わず同情を禁じ得なかった。




