02
学舎区の施設をひととおり巡り、三人は寮棟区に戻った。学舎区の敷地もまた広く、施設の外観をめぐるだけで、かなりの時間が経っていた。
自然公園のような敷地を歩きながら、岬は寮母から聞いたことを二人に話した。
「そう言えば、ここは三年前までお姉さまを決める行事があったんですよね?」
「ああ、聖花祭か。懐かしいな、今となっては」
マキの口調は随分とあっさりとしたものだった。行事がなくなったことに対しての未練もあまり感じられない。
そのことを疑問に思いながらも、岬はさらに尋ねた。
「具体的に、聖花祭って何をやったんです?」
「そうだな。まず四月に立候補者を募り、運営委員によって聖花候補生が選定される。成績、品行方正ぐあい、生徒から慕われてるかなどの様々な判断基準があるらしい。これが第一選考」
「それじゃあ、運営委員になる人の責任は重大ってわけですね」
「ああ。生徒からよほど信頼されてないとまずなれない」
マキは肩をすくめた。
「さらに第二選考を経て候補者を絞り、九月の最終選考で生徒投票が行われて聖花さまが決まるんだ。候補者がステージに上がって、おのおのの自己アピールをするんだが、そのときが黎女の学園生活で最も盛り上がってた時だろうね」
「あたしも見たかったなあ。どうして辞めちゃったんです?」
「三年前の聖花さま、つまりは黎明さまが、カトレア祭の廃止を宣言したからだ」
岬は絶句した。黒い目を丸くしてまじまじと先輩を見る。
「……それ、本当ですか?」
「本当だとも。聖花の称号を受けた黎明さまが感想のインタビューを受けたときに全校生徒の前で宣言したんだ。会場が一瞬で凍りついたよ」
普通はそうなる。
彼女が何を考えていたかは知らないが、晴れやかな場でこんな爆弾発言をして聴衆が平然としていられるはずがない。
「それじゃあ、大騒ぎになったでしょうに」
「なったなった。大いになった。運営委員は泡を噴いて倒れそうだったし、下級生にいたっては悲鳴を上げたまま失神して、担架まで運び出すという有様だった」
「そんな、馬鹿な……」
口をあんぐりと開ける岬に、マキは楽しげに笑った。
「いや。本当にあった話だよ。当然のことながら式の後、運営委員は黎明さまに詰め寄ってね。その言葉を撤回しろ、さもなくば聖花の資格を取り消すなどと息巻いてたらしい」
「黎明さまはなんて?」
「取り消すのなら好きにしても構わないと返したそうだ。もともと黎明さまは聖花の称号に興味はなかったらしく、聖花祭の廃止を訴えるためだけにわざわざ頂点の座に立ったみたいだね。そちらの方が説得力があるということで」
岬はため息を吐きかけた。とてもとても、夢見る乙女の発想とは思えない。
中には本気で聖花になろうとする生徒もいたはずなのに、このような動機で立候補するのは失礼ではないかとも思ってしまう。
それ以前に、よく聖花の座まで上りつめられたものである。
「どうして黎明さまは、聖花祭を廃止しようとしたんでしょう?」
「黎明さまは皆に対してこう言ったのさ。この花……聖花の人には白いバラのブーケを渡すことになってるんだけど、これは聖花一人が独占するものではなく、生徒全員で愛でるものである。自分は最後の聖花として、この美しき聖花を皆に還す、ってね。聞いてた人は何も言えなかった」
岬も、今までポーカーフェイスを貫いていた有美流も知らぬうちに足を止めて、寮長の口から紡ぎ出される聖花さまの言葉を神妙に聞いていた。
ややあって、岬が口を開く。
「それで、結局、聖花祭は廃止になったんですか?」
「すったもんだの挙げ句にね。もともと、教師たちは生徒たちが勉学をおろそかにする聖カトレア祭の存在を快く思ってなかったんだ」
「そんなあ、あたしも見たかったのに~。有美流ちゃんもそう思うでしょ?」
「な、なんでわたしに振るんですか……」
「そう言えば、有美流も聖花祭を見たことはなかったよな」
年上二人に面白そうな目を向けられ、ジャージ服の少女はふて腐れたように顔を背けた。
「わ、わたしはそんな祭りには興味ありませんから」
「聖花祭はなかなか華やかな祭りだったよ。運営委員が心血注いだだけのことはある」
「それだけ華やかならなおさら見たかったですよ~。もし、今まで続いてたなら黎明さまの妹さまだってきっと素晴らしい聖花になってたことでしょう」
マキと有美流もびくっと身体を反応させた。
だが、それは一瞬のことで、それから有美流は重苦しい沈黙を保ち、マキは貼りついたような笑みを浮かべながら編入生を見たものだ。
「……そうか。そう言えば君は一条和佐のルームメイトだったね」
「えへへ、そうですよ」
思わせぶりなようすで岬は微笑む。
実のところ、岬は二人の反応を確認するために、あえて和佐の存在を出したのであった。
何せ先輩から彼女の印象を聞き出せる機会など滅多にない。しかも、目的はわからないが後輩の有美流までついてきてくれるのだ。
岬が後輩の少女の同行を認めた理由もそこにあった。
「お二人のこと、ご存知なんですね?」
「ここで知らない人のほうが珍しいかと」
有美流が淡々と言った。動揺してない時は、本当に声やから感情を読み取ることができない。
「それで、二人は一条さんに対してどんな印象を抱いてるんです?」
先輩代表のマキは慎重に考え込んでから、こう答えた。
「私は一条さんとほとんど関わりがないから、あまり偉そうなことは語れないが、忌憚ない意見を言わせてもらうなら、あのような非社交的な態度は感心できないな」
「ごもっともです」
「あの髪のせいで周囲に馴染みにくいというのはわからなくもないが、それを理由にすべてを拒絶するのはどうかと思う。今は、彼女の髪に嫌悪感を抱く人間は少ないだろうし、彼女は現状を改善する方法を知ってるはずだ。それができる状況でありながら、決して実行に移そうとしない人間を私は評価できないな。結論として、彼女は姉の足下にも及ばないだろう」
なんかもう、思わず平伏したくなりそうなくらいの正論である。
岬は苦笑しながら、今度は後輩代表に尋ねた。
「有美流ちゃんはどう? 一条さんに対して何かある?」
今回は呼び名も気にならないようすで、瞑想するように静かに目を閉じた。
「わたしもあまり関わりがないので……。でも、少し接したことのある同級生からは『こわい』と」
「ああ、わかるわかる」
嬉しそうに岬が呟き、ついでに彼女の姉についても聞いてみた。
マキはしみじみと言ったものだ。
「黎明さまは素晴らしい方だよ。聖花祭も正直、審査も馬鹿らしいと思ったほどだ」
「へえ、それほど優れた人なんですか?」
「優れたなんてもんじゃない。……あの人のようには、決して誰もなれない」
「わたしはそうとは思えませんが」
尊敬の念で呟く寮長とは裏腹に、その後輩の口調はやや懐疑的。
「一条先輩のお姉さんの姿をちらりと見たことはあるのですが、個人的に性格が軽そうで、格好も派手派手しすぎて、少々受け入れがたいものがありましたが」
「有美流はほとんど黎明さまと関わる機会はなかったろう。長く見ているとまた違う印象があるんだ」
「わたしは見た印象をそのまま口にしただけです」
有美流はポーカーフェイスに不機嫌さを貼り付けた。先輩に指摘されたのがよほど不服らしい。
「まあ、多少のひいきはあるかもしれないが黎明さまは優れた方だよ。そうでなければ、あれほど圧倒的な大差で聖花の座に就けるはずがない」
すごいべた褒めだ。妹の和佐とはえらい違いである。
この先輩も寮母同様、適当に人物を評価するとは思えないが、実物を見ない以上、岬には半信半疑であった。
二人とは寮の前で別れたが、岬はその後も聖花さまの存在が気になって仕方がなかった。




